女の子を救うために勉強を教えます
「あはは、倫也寝ぼけて私服で学校行こうとしてる」
「弟君はドジだなあ」
スーツ姿の姉である恭子と制服姿の妹である星那が、私服姿の僕を見てゲラゲラ笑い、行ってきますと家を出ていく。そういえば親には説明したが二人には説明してなかったな、と今日の晩御飯の時の話のネタを作りながら僕も家を出た。学級委員で保崎さんよりは適任だからという理由で僕が二人の不登校の担当となった訳だが、二人はご近所さんでも何でもなく電車に乗ったりして行く必要がある。初回は制服で宇月さんの家に行き、家に帰って私服でゲームセンターに行ったが面倒なので家に帰らず私服で行く事に決めたのだ。宇月さんの家に向かい、前回同様に彼女の母親と入れ替わりで家に入り、彼女の部屋のドアをノックする。
「宇月さーん、久我だよー、もしもーし」
何度かノックして見るも反応は無し。また寝ているのだろうかとドアを叩く音を強くしたり、気持ち大声で話す。不登校にとっては朝も昼も夜も無いのかもしれないが、普通の学生はとっくに授業を受けている時間帯だ。午後に別件が控えている以上、あまり彼女に安眠させる訳にはいかない。
「……人の部屋の前で、何してるんですか」
「うわっ、おはよう宇月さん」
「失礼な反応ですね……」
突如後ろから声をかけられ振り返ると、そこにはジャージ姿の彼女が立っていた。髪が少し濡れているところを見るに、お風呂にでも入っていたのだろう。
「というわけで毎週僕が来ることになったから」
「私と気の合いそうな人はいなかったんですか?」
「宇月さんのこと良く知らないし。1年の時に宇月さんと同じクラスだった人も、下の名前も知らないって」
「ぐふっ……確かに、私の事を知って貰わないといけないですね。わかりました、それでは部屋へどうぞ」
高校一年生の時に友達が作れなかった、というのは嘘偽り無いらしく、彼女の事を知る人を見つけることはできなかった。唯一中学生時代に彼女とギリギリ友達関係だったらしい人も、友達グループの中で空気みたいな存在だったと悲しい事を言う。彼女は虐められないように必死で立ち回っていたと言うが、彼女が虐められなかったのは彼女の努力の成果でも何でもなく、単に周りが彼女をどうでもいい存在だと思っていたからなのだろう。『誰も宇月さんのことなんて興味が無いから安心して学校に来るといいよ』なんて身も蓋もない事を言って安心して学校に行けるようなメンタルの持ち主には見えないので、口にチャックをしながら少し嬉しそうな表情の彼女と共に部屋へ入る。
「今期の一推しは『ニートが課金制度の無いVRMMORPGで豊富な時間を武器に無双するけど社会人ギルメンに陰で馬鹿にされてつれえわ』なんです」
改めて彼女の部屋を見る。床に漫画本や服が散らかっていたり、髪の毛が目立つくらい落ちていたり、生活感のある部屋だ。姉の部屋も妹の部屋も似たようなものなので、特に動揺することはないが。ギリギリ二人で作業ができそうなテーブルがあったので、そこにカバンから教科書を取り出して置いて行く。勝手に録画したアニメを見ようとしている彼女がその光景を見て首をかしげた。
「……? 何をしているんですか?」
「宇月さん。僕が何しにここに来たと思ってるの?」
「私の友達作りのために私の趣味を知ってそれを使って学校でマッチングしてくれるんですよね?」
「勉強だよ。今頃皆教室で授業を受けているんだから」
勉強、というワードを聞いただけで彼女の顔がしかめっ面になる。きっと学校に来なくなってから今までずっと、この時間帯は漫画を読んだりアニメを見たりゲームをしたりと、周りが学校で勉強をする中遊べるという一種の優越感を得られていたのだろう。ただ、それを続けても彼女の人生は良くはならないというのが一般論だ。
「べ、別にここで勉強しなくたって、夏休み前に学校行ってテストを受けて、そこから復帰すればいいんですよね?」
「……宇月さん。成績は?」
「……ち、中の、下」
どうやら彼女は不登校生活をギリギリ留年しない程度に抑える自信があるらしい。果たしてそれがうまくいくのかは疑問だが、仮に出席日数が足りていたとしても別の問題が彼女にはあった。自分の成績を中の下と、目を逸らしながら言っている彼女を他所に、僕はカバンから、担任から渡された彼女に関するとあるデータを取りだして読み上げる。
「200人中、170位。得意教科も無し。下の中だね」
「プライバシーの侵害です!」
彼女は優等生でも普通の人間でも無く、頭が悪い方だったのだ。ヤンキーは馬鹿で、大人しい子は頭がいい。そういうイメージを持っている人は多いかもしれないが、ヤンキーはつるむことができる。テスト前にファミレスで一緒に勉強をしたり、先輩に過去問を貰ったり……保崎さんが特別勉強嫌いの馬鹿なだけで、友達が多い人間は基本的に要領の良い生き方ができる。逆に友達のいない人間は、自分の力でやるしかない。真面目で日頃からちゃんと勉強をしていて、テスト前に集まって対策をする必要のない人間ならともかく、彼女のような、別の教師によれば一年の時もしょっちゅう内職をしていたらしい彼女の成績が酷いことになるのは悲しいけれど当然の話なのだ。
「ちなみに保崎さんは200人中198位だよ。正直ドングリの背比べだけどね。3ヵ月好きなことばかりして勉強しない宇月さんと、3ヵ月一応は学校に来て勉強をしている保崎さん。果たして最後に勝つのはどちらかな?」
「う、うう……勉強すればいいんでしょう、勉強すれば!」
僕の脅し文句に、保崎さん未満になる未来を想像をしてしまったのか顔を真っ赤にして真っ白なノートとペンをカバンから取り出しテーブルに置く。きっと学校に行かなくなってから一度もカバンから出したことが無かったのだろう。
「ちゃんと宿題もして貰うからね。週に1度、半日程度勉強をして宿題をするだけで、学校に来なくても進級できるようになっているから。他の学校じゃこんな甘い対応は無いよ?」
「いいから勉強を教えてください、私は何をすればいいんですか」
「とりあえず高校二年生用の教科書を……うーん」
彼女に渡すために教師から受け取っていた、高校二年生用の教科書をカバンから取り出してふと考える。200人中170位程度の学力の人間が、すんなり高校二年生の教科書を読めるのだろうか。
「復習ってことで、一年の内容からやってみる?」
「馬鹿にしすぎです! これだから頭の良い人は嫌いなんです、大体勉強が出来たからって何の役に立つんですか?」
「……異世界に行った時とか」
「無理して私の趣味に合わせなくていいですよ……」
煽るつもりは無かったのだが、彼女の逆鱗に触れてしまったようで彼女的には大声を出して怒り出す。彼女の問いに精一杯のユーモアで答えて見たのだが、彼女に鼻で笑われてしまった。そこからは黙々と教科書や問題集を眺めながら勉強を続けていく……はずなのだが……
「……? ……?」
「大丈夫? わからないところあったら教えるよ?」
「いえ、大丈夫です。手を借りるつもりはありません」
「手を貸すためにわざわざ家まで来てるんだけどね……」
教科書を眺めるだけで混乱し始める彼女。一年の内容からやった方がいいのではという僕の推理は残念ながら正しかったのだろう。変なところでプライドが高いのか、僕に聞くこともできず、かといって勉強が進む訳でもなく、自分の想定よりも進展の無いまま午前が終わってしまった。
「やっと終わった……お昼休憩ですよね? 私遊んでもいいですよね? それじゃあアニメ見ましょう、お昼ご飯はどうしますか? カップラーメンならありますけど。あ、最近出前にハマってるんですよ」
「進捗的にはもう少し頑張って欲しいけれど、仕方ないか。悪いけど次の予定が控えているから、僕はそろそろお暇するよ。宿題置いておくから、わからないことがあったらメールなりしてね」
「え……あ、はい。それじゃあまた」
時計の形が|になり、彼女が大きく伸びをする。自分の趣味について知って貰いたい、それで友達を見つけて欲しいという思いが強いからか、若干早口になってお昼ご飯まで用意してくれようとする彼女だが、残念ながら僕の身体は彼女だけのものではない。次からは多めに休憩時間を取ってあげるか、と次に活かす決意を固めながら、不満げな彼女に見送られて家を出た。