女の子を救うために下着を見ます
「彩美のこと、どうかよろしくお願いいたしますね」
「いえいえ……」
翌日の朝。不登校の子を説得するためにその子の家に行くとして、私服で行くべきなのか制服で行くべきなのか悩んだ結果、公欠を使っているのだからと制服で行くことに。彼女の両親には既に話がついており、これから仕事に行くであろう彼女の母親は、僕を家に入れるとペコリと会釈をして出て行った。これでこの家にいるのは僕と部屋で引きこもっているであろう彼女のみ。高校二年生なんて荒れていてもおかしくない年代の男を容易に娘と二人きりにさせるなんて不用心だなとは思うが、それだけ人を疑うことを知らない優しい人なのだろう。彼女が両親に虐待されているという線は無さそうだ。
「宇月さーん、同じクラスの久我だよ。入っていいかな?」
彼女の部屋の前まで来てノックをするが、反応は無い。同性である保崎さんならともかく、男の僕が許可なく女の子の部屋に入るのは色々とまずいだろうから何回かノックをするが、無視されているのか気づいていないのか一向に反応はない。
「う、うう……」
「!?」
困ったなぁとドアの前で立ち尽くしていると、中から微かにうめき声が聞こえる。そういえばあまり身体を動かさないで引きこもっていると、脳梗塞とかのリスクが高くなるという話を聞く。中に入って容態を確認して救急車を呼ばないと大変なことになるかもしれないと、僕は急いでドアを開ける。
「……う、うーん……むにゃ……」
「……」
そこには下着姿の少女が、ベッドで寝言を呟いていた。なるほど、引きこもりにとっては朝も夜も無い。学校を気にすることなく夜遅くまでテレビを見たりして遊んでいれば、この時間帯に寝ていても何らおかしくはない。パジャマを着るのが面倒だからと下着姿で寝る人も珍しくは無いし、彼女は寝相が悪いのだろう、ベッドの横には掛布団が転がっていた。寝顔を見てもうなされているようには見えない。そっとしておこう、無かったことにしておこうと僕はそっと部屋から出てドアを閉めた。彼女が起きるまで待っておこうと、部屋の近くに座ってクラスメイトが授業を受けている間にスマホで遊んでいると、
「まま、何か用……? ……? ……?」
「あ、どうも」
僕がドアを開けて部屋に侵入した音に気付いていたらしく、ドアが開き、下着姿の彼女が出てきて僕と対面する。数秒の気まずい沈黙の後、再び彼女は部屋の中に入りドアを閉め、スマホを操作する音がしたところで警察に連絡するつもりだと慌てて止めるのだった。
…
……
………
「えーと、改めまして、クラスメイトの久我です」
「……宇月……彩美」
「……」
「……」
しばらくして、ジャージに着替えた彼女と女の子の部屋で話はアレだからとリビングで向かい合って座る僕。彼女は自分の顔を見ることなく、少しうつむいて目を逸らし、自分の名前だけ言って黙ってしまった。保崎さんは根暗なんて失礼な事を言っていたが、客観的に見ても彼女は根暗な人間なのだろう。髪を染めたり髪型で遊んだことなんて一度もないであろう真っ黒のロングヘア―。前髪もそれなりに長く、若干目が隠れかかっている。ただ不細工という訳でも無いし、スタイルが酷いという訳でもない。どこにでもいる普通の高校生というのが僕の印象だが、どこにでもいるような子が引きこもってしまうからこそ現代社会は厳しいのだろう。
「何で学校行かなくなったの?」
「い、いきなりそれ聞きますか……」
「僕と2時間くらい雑談できる?」
「無理です……確かに、こういう話は異性の方がしやすそうです。あの女はベラベラ周りに喋りそうで多くを語りたくはありませんでしたが、貴方はそういうことをする風には見えませんし、話しますよ」
いつまでも無言のままではいかないと、意を決して本題に入ってみる。本当は世間話をしたりして自分を信用させてから本題に入るのが筋なのだろうが、性格はそこまで相性が悪く無さそうでも性別も違う僕達が世間話をしてうまくいくとは思えなかったし第一印象はさっきの件で良くないので、これ以上悪化する前にせめて原因だけでも聞いておきたかったのだ。
「私、見ての通り、友達昔から少なかったですから。マ……お母さんと話しましたか? どんな人だと思いましたか?」
「凄く優しそうな人だったけど。え、実は虐待されてるの?」
「凄く優しい人ですよ。私が学校に行かなくなっても責めもしない。でも、優しいだけの人って、子育てにはきっと不向きなんでしょうね。私が答えです。ちょっとだけ、親を恨んでますよ」
か細い声で語り始め、親の話題になると歯ぎしりをし始める彼女。優しい人間は確かに魅力的だが、優しいだけではダメな事くらいは僕だって何となくわかっている。優しい子にしようと育てた結果が、目の前のいかにも大人しそうな、自己主張が出来なくて友達が作れない子なのだろう。
「中学の頃は、何とか友達の1人や2人は作れたんですけど、高校になったら、とうとう友達を作れなくなっちゃって。せめて虐められないように、必死に立ち回ったんです。クラス替えで、環境が変わって、その努力も水の泡ですけど。また最初からやり直しなんだなって思うと、辛くなっちゃって、学校休むようになって。……あの女、私に何て言ったと思いますか?」
「あの女って、保崎さん?」
「そうです。私を見るなり、あーどうせこいつ友達いないんだろうなー的な見下したような目で見てきて、『ウチのクラスはウチみたいな良いやつばっかだから安心して学校来いよ、イジメなんて起こらないから』って。私が、ああいう人達の標的にされないように、どれだけ精神を擦り減らして来たか知りもしないで。今まで溜まっていた鬱憤があったんでしょうね。珍しく声を荒げて、『もう二度と来ないでください!』 って言っちゃいましたよ。あーあ、クラスのリーダー格みたいなギャルと敵対して、もう学校行けませんね」
「それは保崎さんが悪いね。保崎さんみたいなギャルばかりじゃないからそこは安心して。保崎さん内申目的で学級委員なるような子だから、イジメとかもしないと思うよ」
僕は友達が多い方ではないがいない訳でもないし、学校に行くことは苦痛でも無い。勉強が出来る訳でもスポーツが出来る訳でも自己主張しすぎているわけでもない、良く言えば人畜無害、悪く言えば空気のような存在だから、イジメ問題とも今のところ無縁だ。ああ見えて無遅刻無欠席の皆勤賞な保崎さんのような子は友達と話すために学校に来ている節すらある。けれど、彼女のような子にとっては、学校に行くというのは戦いなのだろう。一人で劣等感を抱え、誰に攻撃されるともなく周りに怯え、常に周囲の顔色を伺いながら生きていく彼女の辛さは、僕には半分もわからないし、ましてや保崎さんには一割もわからないのだろう。
「とにかく、私は疲れたんです。今まで私、頑張りました。休息が必要なんです」
今までの彼女の人生の中ではかなりお喋りをした日らしく、冷蔵庫から麦茶の入ったペットボトルを取り出すとラッパ飲みをする。彼女の今までの苦労なんて僕にはわからない。僕だって周りの人間だって苦労しているなんて説教染みた事を言う必要もない。けれども、
「悪いけど僕も先生から説得するように言われているから、心を鬼にして現実的な話をするよ。……夏休みまで学校来なければ、留年だよ。休息して夏休みまでに学校来る自信や、引きこもって留年したという実績を引き下げて学校生活を送る自信、ある?」
「うっ……ううっ……」
社会は彼女中心に回っていない。漫画やアニメじゃ不登校のヒロインは珍しくもないが、現実の学校は1年の3分の1も休めば留年だ。勿論学校としても不登校が原因で留年なんて負の実績を作りたくはない。こうして不登校を説得させるために生徒を寄越したり、不登校でもきちんと勉強をさせることで留年を回避させたりとやることはやっているが、最終的には本人のやる気が無いとどうしようもない。疲れたから休む、のスタンスでは彼女の優しい母親の存在も相まって、いつまでも休み続けることになるだろう。
「僕も新しいクラスの女子達全員は詳しく知らないけど、宇月さんのような大人しめの子もいるからさ。友達になってくれるように協力するし、どうしても見つからなかったら……えーと……その……ぼ、僕が友達になるよ」
彼女を説得するために感情やらに訴えかける必要があるとは言え、僕は何を言っているんだ、告白と似たようなものじゃないかと言った後に気づいて内心ドギマギするが、そんな僕の自爆を他所に、目の前の彼女は冷ややかな目になる。
「友達って、なってくれるとか、そういうものじゃないじゃないですか。一緒の時間を過ごしているうちに、自然となるような、そういうものじゃないですか。あ、あと、男女の友情は信じません。私の下着姿見ても全然動揺してませんでしたし、見かけによらず軟派な人なんですね」
「あれは女兄妹がいるから……風呂上がりに下着姿でうろつくとかザラだし。僕の事はどうでもいいんだよ。今すぐ学校来いとは言わないけれど、学校に来ないなら定期的に僕なり別の人なりが来るからね……それじゃあ、そろそろお暇するから。鍵は忘れずに閉めておいてねってお母さんが言ってたよ」
「……それじゃあ、また」
たった1日話すだけで説得できるなんて僕も先生も思っていない。彼女の身の上話をある程度聞けただけでも十分な成果なのだろうと、これ以上話しても効果は薄いと判断し、家から立ち去るのだった。