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環境と愛と人

作者: めんち

人生は始まった瞬間に、勝ち負けが決まると考えている。

容姿、環境、etc..出せばキリがないが間違いなく「勝ち組」は決まるだろう。

勝ち組以外は負けだ。勝ち組の奴ら以上の努力をし、追いつけないことをいつか理解し、後悔する。

「こんな人生」

「後悔ばっか」

「死にたい」


かくいう僕も負け組の一人だ。

あまりにも負け組を極めている。

人の醜さをかき集めてそのままはっつけたような容姿をしている。

はっきりいうならば他者も認める完全体ブスなのである。


その上、環境だって悪かった。


家は金がなく貧しかったが、それ以上に愛が貧しかった。

親は父母どちらも30半ばに世間体を気にし始め焦った結果デキ婚した親だ。

よくはないが、それが悪いというわけでもない。


一番の問題は父母どちらとも子供にも愛を捧げなかったことだ。

愛のあり方はそれぞれだというが、それならばどんな形でも愛と思って行動した行動は愛があるのか?

私は違うと考える。

私の親は、毎度600円だけ渡してどこかに毎夜行っていた。


600円をコンビニで使い、一人で夕食を済ませ、一人で寝ていた。


時折泥酔した父親が夜中に帰ってきて、暴力を浴びせることもあった。


その時は母親もいたため、助けてもらおうと思ったが、母親は空虚でも見ているかのような目でこちらをみて、最終的には無視して部屋に戻ったのである。


愛とは何だ?

私は、私が嫌いで仕方ない。

ブサイクでノロマで間抜けで親からも愛してもらえすらしなかった間違いない「負け組」だ。


わたしは声を大にして言いたい。

あふれんばかりの愛を子供にはわけあたえてやってくれと。

できるだけ生まれたあと、幸せになって自分を好きになるように育ててくれと。


「大丈夫だよ」「一緒に頑張ろう」「あいしてる」


小さな言葉でも持つ力は強大だ。

それは罵声も同じである。

どうか、子供や自分が本当に想っている人には小さくても構わないからちゃんと愛を注いで欲しい。


人をどう育てるのは環境が大きく関わる。

できるだけ環境を整えて子供を育ててやってくれ。

私だって愛があれば。

僕だって愛があれば。

そう考えたってもう今更だ。


結局の問題なにを言いたかったのだと思う人もいると思う。

私は私のような人を増やしたくない。

だからこうして私の思いを載せた。


しかし私はこうも思ったのである。


私はもう成長してしまった。

昔のように愛に飢えることもなくなってしまった。

昔の私はもう昔の私なのである。

取り返しのつかない傷が心についている。

昔の私はもう救えないのだ。


私だって愛されれば


私だって愛されれば






愛とは何だ。


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