【番外編】催花雨の沈黙(side ルーカス)
その日、城に隣接された訓練場でルーカスはヴィルヘルムと対峙していた。
ルーカスはいつもの胸当てと小具足を纏った。
ヴィルヘルムはいつもの黒いシャツに黒いパンツ。
国章が刺繍されたマントのみ。
二人は互いに愛刀を携え向かい合った。
「ヴィルヘルム様、やっぱりやめませんか?」
ルーカスが困った顔をすると、ヴィルヘルムが鼻で笑った。
「自信が無いか?ルーカス。夜を賭けた決闘では無い。己の力を示す決闘だ。弱き者では夜を守れぬ。ルーカス、力を示してみろ」
ヴィルヘルムは問答無用に構えた。
ルーカスも仕方なく構えの姿勢に入る。
訓練場は静かだった。
夜間は通常は皆訓練をしている筈が、ルーカスとヴィルヘルムしか居なかった。
静かに、間合いを計りルーカスがジリジリとヴィルヘルムを中心に移動する。
ヴィルヘルムはただ立っている。
ルーカスの顳顬を一筋汗が伝う。
全く隙がない。
頭の中で何百という剣筋を頭の中でイメージした。
しかし、そのどれもが手痛く返される。
当然だ。
ルーカスが騎士として身を起す為に剣を習ったのはヴィルヘルムなのだから。
ヴィルヘルムはいつも自然体だ。
川の流れの様に揺蕩っている。
その川は剣を振るう時だけ激流となる。岩をも砕く程の鋭い一閃を放つのだ。
ルーカスは目を閉じる。
開けていても閉じていても敵う気がしなかったから瞑った。
暗闇の中で、意識を集中した。
不意にヴィルヘルムの隙が出来る気配を感じる。
ルーカスは下段に構えたまま走り抜けた。
訓練場の地面に軌跡の様にルーカスの愛刀の切っ尖から火花が散る。
そのままの勢いでヴィルヘルムの三歩手前まで駆け抜けた。
足に力を込め、剣を振り上げる。
「そこまで」
ヴィルヘルムが終了の合図を告げた。
ヴィルヘルムに対する恩義や忠誠心を総てかなぐり捨てた。
殺すつもりで挑んだ。
どうしても夜が欲しかったからだ。
しかし、勝敗は歴然であった。
ルーカスがやっとの事で見つけた隙も、ヴィルヘルムに意図的に作られた囮であった。
そしてルーカスが放った渾身の一撃をあっさりと避けて、剣の柄頭をルーカスのがら空きになった脇腹に叩き込まれた。
ルーカスはその場に跪く。
「強くなったな。これであればどちらが夜を娶ったとて変わらぬな。ルーカス、そなたどうする?」
ヴィルヘルムはルーカスに背を向けている。
又、ルーカスも跪いた姿勢のまま背を向けている。
ルーカスは考えた。
惨敗したルーカスにヴィルヘルムはどちらが娶っても問題無いと言った。
「ヴィルヘルム様、僕の浅慮な頭ではご真意を計りかねます」
「ルーカス。先程私を本気で殺そうとしたな?」
ルーカスは返答に詰まる。
「責めているのでは無い。それで良い。非情になれなければ、夜の伴侶は勤まらぬ」
ルーカスはその時ヴィルヘルムの言葉の意味を初めて理解する。
永遠の時を生きるヴァンパイアに取って、普通の人間を伴侶に選ぶ残酷さをヴィルヘルムは誰よりも理解していたのだ。
ルーカスはまだ五百年と少ししか生きていない。
方やヴィルヘルムは何万年という気の遠くなる様な孤独を生きてきた。
夜は、永遠の命を拒絶した。
ルーカスやヴィルヘルムにとって夜がこれから生きる数十年は瞬きよりも短いのだ。
その短い時間を永遠に抱えて生きなければならない。
夫婦となり、情交を交わしてしまえば今よりも夜が亡くなった時の喪失感は大きくなるだろう。
そんな地獄を耐えられるのか。
それを確かめる為に、ヴィルヘルムはルーカスに決闘を申し込んだのだ。
「ヴィルヘルム様……。ご慈悲に感謝致します。夜を、よろしくお願い致します」
「それで良いのか?」
ルーカスは立ち上がる。
愛刀を鞘に収めると、ヴィルヘルムの方へ振り返った。
「大事な妹ですから。よろしくお願い致します」
まだ総てが振り切れた訳では無い。
しかし、これは時間が解決してくれるだろう。
何せ、ルーカス達ヴァンパイアには時間だけはたっぷりあるのだから。
♢
ルーカスは出窓に座したまま。
雨は矢張り止まない。
ルーカスは窓に当たり流れていく雨粒をどれとなく視線で追う。
ルーカスは結局夜が死ぬまでずっと夜が好きだった。
皺くちゃのおばあちゃんになってしまっても、いつまでも夜はルーカスにとって可愛い人であり、唯一愛した初恋の相手だった。
もう夜が亡くなってから随分と経つのにルーカスは夜を忘れられない。
ヴィルヘルムの心中を思うと更に複雑だ。
ルーカスは結局最後まで夜に沈黙を守り抜いた。
だが、一つだけ夜に打ち明けた事がある。
夜と出会ってから暫くして思い出したのだ。
ルーカスの生贄時代の名も夜だった。
ルーカスは窓の外を相変わらず見つめながら口元を緩めた。
これは、甘くて悲しい催花雨の沈黙。
end.