第32話 用意された幕切れ
メルク移動要塞、ブリーカーボブス。
ハイムの空中戦艦を撃沈させて沸き返っていたブリッジは、直後に起きた異常事態により恐慌状態に陥っていた。
「どういうこと!? 一体何が起こったの!?」
パティは前方のモニターを愕然と見つめていた。
島の中心部から凄まじい勢いで立ち昇る、天をも焦がす巨大な爆煙。研究所は瞬く間に崩壊し、周囲の森もろとも灼熱の炎に包まれている。
「あそこにいた皆は……! 皆はどうなったの!?」
「パティ、落ち着くんだパティ!」
混乱するパティを抱き締め、ケイはマイクを握り締めた。
「全部署に通達! これより災害沈静及び生存者の救助にあたる! ケール博士に回線を繋いでくれ!」
ケイの指示で通信が外線に切り替わる。無駄だとは思いつつも一縷の望みを託し、ケイは祈りを込めて叫んだ。
「ケール博士! ケール博士、応答して下さい!」
『そんな大声出さなくったって聞こえてるわよ~』
「……えっ!?」
予想外の反応に、ケイとパティは驚いて顔を上げた。突然モニターの画像が切り替わり、ケール博士の姿が映し出されたのだ。
そこはブリーカーボブスの外壁だった。ケール博士の他に、意識を失っているレム、ノイエを抱えているカシミール、そして白蘭とナーの姿がある。
「ケール博士!? どうしてそんなところに……!」
『“飛んだ”のよ……レムが事前に察知してくれなかったら危なかったわ』
全身汗まみれで意識を失っているレムを、ケール博士が優しく見つめる。
『この大人数を一瞬で飛ばすのは、やっぱり相当無理があったみたいね。ありがとう、レム。今はゆっくりおやすみなさい』
「しかし、他の皆は……」
ケイが呟いた途端、スケア、フジノ、そしてジューヌを連れたルルドがブリッジに瞬間移動してきた。
『スケア、ルルド……!』
モニターの向こう側でカシミールが喜びの声を上げる。
だが。
『……グラフは……?』
カシミールに抱えられたノイエの呆然とした呟きに、スケアが目を伏せ、フジノはその場に膝をついて床を叩いた。
「アイズ達は……間に合わなかった……っ!」
その時。
突然ブリッジの中空に複数のカードが舞った。
「あのカードは……!」
驚くフジノの目の前で、旋回するカードの中心に巨大なカプセルを抱えたモレロ、そしてグラフが現れる。
「うおっ!?」
「なっ!?」
突然空中に放り出され、慌ててバランスを取る二人。モレロはカプセルを庇って着地し、グラフは着地と同時にモニターに目を向けて叫んだ。
「あの野郎! どういうつもりだ!?」
第32話 用意された幕切れ
「……これは……」
アイズはゆっくりと周囲を見渡した。
揺らめく炎と煙に包まれ、自分が何処にいるのかわからない。にも関わらず、熱波も煙も遮断され、熱くも息苦しくもない。
「どういうこと? 他の皆は……」
呟き、アイズは気がついた。
足元に何もない。宙に浮いているのだ。しかも周囲を何かが旋回している。それらが熱と煙を遮り、自分を空中で護っているらしい。
そして自分が知る限り、こんなことができる人物は一人しかいない。
「何処にいるの!? 出てきなさい!」
途端、アイズの近くに数枚のカードが出現し、旋回し始めた。間もなく、カードの中心に一人の男が現れる。
「久しぶりだね、アイズ君」
「やっぱり、エイフェックス……!」
アイズの右手の黒い宝石から蔦が出現し、エイフェックスに襲いかかる。しかしパスタチオ・メドレーが結界を作り、蔦の侵入を阻んだ。
「なるほど。リングの力に目覚めたか」
「……何なのよ、リングって。貴方なら何か知ってるんでしょ?」
「プライス博士が生み出した最初の人形の名だよ。後に続くすべての人形の基本であり人形の“母”。しかし、あれはそれだけのものではない」
「それだけじゃない? どういうこと?」
一瞬。
ほんの一瞬だが、アイズは確かに見た。
自分の知る限り常に泰然としているエイフェックスの貌が、はっきりと嫌悪に歪んだのを。
エイフェックスは自身を護る結界を解くと、パスタチオ・メドレーを一斉に周囲に投げ放った。それぞれのカードから放たれる力が連結し、巨大な結界に守られた『平面』が出現する。
アイズの周囲を旋回していたパスタチオ・メドレーも二枚を除いて飛び散った。一枚がアイズの手に、もう一枚がエイフェックスの手に飛び込む。描かれているのは、水滴を受け止めた水瓶から巨大な流れが生み出され、大海へと流れ込む光景。
「すべてのカードの基本にして最も重要なカード、【増幅】だ。今の君ならば使うことができるだろう」
エイフェックスはパスタチオを手に平面に降り立った。
「互いに一枚ずつなら対等だってこと?」
アイズも平面に着地し、手にしたパスタチオから無数のイバラや蔦を出現させる。
「……来たまえ」
アイズの植物が一斉に襲いかかった。
跳躍して身をかわすエイフェックス、数本の蔦が空中で方向を変えて追いつき、全身を縛り上げる。
エイフェックスはニッと笑うと、全身から魔力を放ち蔦を吹き飛ばした。
/
毒を仕込んだ羽根を片手に、ヴィナスはアミと向かい合っていた。その顔には明らかな焦りの色が浮かび、脚はじりじりと後退している。
「……貴様、一体……」
ヴィナスの悲壮な呟きに、アミは微笑み、腕に突き刺さった羽根を抜いた。
そこに傷口はない。
傷跡までも完全に消失している──血痕すら残さずに。
可変性鉱体。最初にヴィナスの脳裏に浮かんだのは、その可能性だった。どのような傷もたちどころに再生してしまう、自身を構成する神秘の金属。アミも自分と同等の存在だとするならば、毒が効かないことも、傷口が残らないことも納得できる。
だが。
それだけではない。
それだけでは、この女の存在は説明がつかない。
「どうしたの? 随分と顔色が悪いみたいだけど」
楽しげに笑うアミの顔が霞んでいく。
視界がぼやけ、膝が折れる。
身体中から力が抜け、もはや羽根を持つ手さえも思い通りには動かない。
「くっ……」
「再生できる貴女には初めての感覚でしょうね」
片膝をついて必死に立ち上がろうとするヴィナス。その目の前にしゃがみ込み、アミはヴィナスの腕にそっと触れた。
上体を支えていた腕が崩れ、ヴィナスは為す術もなく地面に倒れ込む。
「…………!」
かろうじて首を動かし、顔を上げたヴィナスの瞳に、周囲の異様な光景が映る。
鬱蒼と生い茂っていたはずの森は失われ、ただ朽ち果てた植物の残骸と白骨化した小動物の死骸が積み重なる、地獄のような光景。
──生命が、奪われてゆく。
「そう、これが“死”。すべての生きとし生けるものに平等に訪れる永遠の安息。そして私は、万物に死を与える役目を代行する者」
ヴィナスの顔が、初めて感じる恐怖に引き攣る。アミは満足げに微笑み、ヴィナスの首に手を伸ばした。
と、その時。
空を切り裂く音と共に、一条の閃光がアミの頬をかすめた。
咄嗟に後方に逃れて第二射を避けるアミ。その周囲を、宙に浮かぶ二つの丸い機械が──スパークス・ブラザーズが飛び交う。
『侵入者発見。侵入者発見。速ヤカニ退去セヨ。繰リ返ス、速ヤカニ退去セヨ。サモナクバタダチニ攻撃ヲ再開スル』
「……何かと思ったら……」
アミは微笑んで立ち上がった。その頬の火傷が、瞬く間に再生していく。
周囲のスパークスには構わずに、アミは楽しげにヴィナスに告げた。
「ヴィナス、貴女に特別惨めな“死”をプレゼントしてあげるわ」
/
バジルとオードリー、そしてアートは炎上する森を疾走していた。
「大丈夫か、オードリー!」
「私のことはいいから! 急いで!」
オードリーが周囲の気温を下げ、アートが風で炎をかき分ける。しかし炎の勢いはとどまるところを知らず、オードリーの能力だけでは熱波を完全に遮断することができない。
(このままじゃやばい……!)
額の汗を拭うこともできないまま、オードリーは隣を走るバジルとアートを見た。
バジルはネイを、アートはトトを抱え、しかも度重なる激戦続きで機体にかなりのダメージを負っている。この高温で長時間の運動は危険だ。重傷を負っているネイとトトに至っては、この場にいるだけでも命にかかわる……!
「くっ……せめて川に出られれば……!」
オードリーが呟いた、その時。
「情けないぞオードリー! それでも元国際救助隊のメンバーか!?」
声と共に周囲に冷却弾が撃ち込まれ、炎の勢いが弱まった。驚いて立ち止まる3人の前に、全身重装備の男が現れる。
「森の出口まで一直線に炎を遮断して退路を確保する! 五時の方角だ、いいな!」
「サ、サミュエル!?」
「何を驚いている、災害に集中しろ! RFTCを使うぞ!」
サミュエルの鋭い叱責に、オードリーは我に返って叫んだ。
「了解!」
サミュエルが背負った小型のタンクから、明らかに容積を上回る大量の液体が迸る。
激流となって森を貫く液体をオードリーが冷却すると、液体は一瞬にして凍結して強固な防火壁となった。
二人の技で炎が割れ、一直線に道が出現する。
「今だ、行け!」
「しかし君達は……!」
躊躇うバジルに、オードリーは笑って答えた。
「いいから早く行きなさい。私達なら大丈夫、自分の身の安全くらいは確保できるから。そうよね? サミュエル」
「当然だ。お前らの脱出を確認した後、全力で火災の沈静にあたる。さっさと怪我人を連れて行け!」
「……すまない!」
バジルが踵を返し、既にトトを抱えて出口に向かっているアートの後を追う。その後姿を見送りながら、オードリーは小さく「バカね」と呟き、キッと表情を引き締めた。
「始めるわよ、サミュエル!」
「ああ、まずはこの一帯を消火する!」
/
「随分と火の手が回ってきたわね」
アミは研究所の方を眺め、ヴィナスに向き直った。
「ヴィナス、貴女に選ばせてあげるわ。ここでこいつらに殺されるか、それとも焼け死ぬか。敵と戦って死ぬのでもない、味方に裏切られるのでもない。誰もいない場所で、抵抗することもできずに、ただ掃除されるゴミのようにして死んでいくの。どう? 素敵だと思わない?」
「……ふざけ……るな……!」
最後の力を振り絞り、刃へと変じたヴィナスの腕がアミの胸を貫く。しかし次の瞬間、逆にすべての力を吸収されて、ヴィナスは倒れた。
アミの胸に刺さっていた刃が抜け落ち、ボロボロと崩れ去る。
「もっとも、貴女に選べるだけの力が残っていればの話だけど……ね」
アミはクスクスと笑うと、軽やかな足取りで立ち去った。
独り取り残されたヴィナスに、ゆっくりとスパークス・ブラザーズが近づいてくる。
「……い、いやだ……いやだ。死ぬなんていやだ……! 助けて、ネイ……!」
地に伏したヴィナスの瞳から、恐怖と悔恨の涙が零れ落ちる。
その時。
突然スパークス・ブラザーズが動きを止め、無機質な電子音声を響かせた。
『データノ照合ヲ終了シマシタ。御帰リナサイマセ、No.20【オルト】様』
「……え……?」
球状の機体からアームが伸び、ヴィナスの身体を抱え上げる。
ヴィナスは──プライス・ドールズNo.20【オルト】は、金属の冷たい感触に身を委ねながら、静かに意識を失った。
/
一方、その頃。
ヴィナスから離れて森を歩いていたアミは、ふと何かに気づいて歩みを止めた。
「何か御用かしら?」
アミの声と共に、近くの木陰から一人の少女が姿を現す。
青いワンピース姿のその少女は、日傘を閉じて鞄と共に地面に置き、花飾りのついた帽子の唾を軽く持ち上げた。
「いえ、ただの通りすがりの家庭教師ですよ。“代行者”さん」
アミの表情が微かに変わる。
少女はにこやかに話を続けた。
「本当は教え子が心配になって来てみたんですけど。もう私がそばにいてあげなくても、あの子は大丈夫みたいですから。ここでお会いしたのも何かの縁。折角ですから、貴女の上司の方に伝言をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「仕事熱心な方ですね。教え子のためにこんな辺境の島までお越しになるなんて」
アミが少女に向かって片手をかざす。
「それで? 伝言の内容をお聞きしましょうか、通りすがりの家庭教師さん」
「では、僭越ながら」
少女の姿が消え、アミの真横に出現する。
「なっ……!?」
驚愕に身体を硬直させたアミの胸に片手を添えて、少女は、優しくささやいた。
「そう遠くない未来、私の教え子がハイムの野望を打ち砕きに伺います。その瞬間を楽しみにお待ち下さいますように……と」
/
「見事だ、アイズ君。リングの力をここまで使いこなすとはね」
「無傷の相手に褒められたって嬉しくないわよ」
幾度目かの攻防を経て。
汗の一つもかく様子のないエイフェックスを気丈に睨みつけながら、アイズは震える膝を叱咤して立ち上がった。
「答えて。あたしは……一体、何なの?」
「……君は君だよ、アイズ君」
愉快気に微笑んでいた表情を消し、まっすぐにアイズの瞳を見つめるエイフェックス。
「そして君の存在には、多くの者達の想いが詰まっている。ハイムに戻ってきたまえ、自分が何者なのかを知りたければね。……そろそろ時間だ」
エイフェックスが片手を上げると、平面を覆っていた結界が解けた。主の元に戻ってきたパスタチオが、そのまま周囲を旋回し始める。
「待ちなさい! まだ訊きたいことが……!」
アイズが慌てて伸ばした手を、流れ込んできた煙が遮る。
そして、平面を構成していたパスタチオがアイズの周囲を旋回し始めた。視界が歪み、空間の彼方に引きずり込まれる。
「さらばだ、アイズ君。ハイムでまた会おう」
その言葉を最後に、アイズはブリーカーボブスへと転送された。
「さあ、仕上げだコトブキ!」
自動操縦で遥か上空に待機させていたスノウ・イリュージョンの翼に降り立ったエイフェックスは、パスタチオ・メドレーを一斉に撒き散らした。
「パーティーの締めくくりに相応しい、派手な奴を頼むぜ!」
/
次の瞬間、ケラ・パストルの周囲で爆発が起きた。
四方の海から巨大な水柱が立ち昇り、パスタチオ・メドレーの作り出したフィールドに……島の中央に向けて収束していく。
そして。
上空に出現した巨大な水塊は一気に弾け、島全体に滝のような雨となって降り注いだ。
/
「アイズ!」
「アイズさん、ご無事ですか!」
ブリーカーボブスに転送されたアイズのそばに、仲間達が駆け寄ってくる。
「平気よ。心配ないわ」
短く答えると、アイズは立ち上がり、モニターに映し出されている光景に目を向けた。
(待ってなさいよ、エイフェックス……今度こそあんたをやっつけて、何もかも話させてやるんだから!)
/
「スゴーイ! お兄ちゃん、見て見てあれ!」
南部独立解放軍の戦艦から、カエデは上空に目を向けて声を上げた。
ケラ・パストルの上空に出現したのは、七色に輝く巨大なアーチ──
──虹。
/
「相変わらずの派手好きだな」
全身ずぶ濡れになりながら、コトブキは海岸から虹を見上げていた。
「ま、それに付き合ってやる俺も俺だけどな」
「本当、カイル様らしいですね」
何処からともなく現れたワンピースの少女が、コトブキを見て笑う。
「ひどい格好ですよ、コトブキさん」
「……君はどうして濡れてないんだい」
「私にはこれがありますから」
少女が手に持っていたものを掲げる。
「それは日傘じゃないか……まったく、君といいカイルといい、魔法に頼りすぎだぞ。少しは力なき平民の苦労も味わえ」
「まあ。魔法も剣もなしでカイル様と互角に渡り合った御方の台詞とも思えませんね」
コトブキがやれやれと溜息をつき、少女が可笑しそうに口元に手を当てる。
「年寄りをからかうものじゃないよ、ラトレイア君」
/
「完全にしてやられたわね。まさかエキストラがここまででしゃばって来るなんて」
世界の“外”から島の様子を眺め、玉響は苦笑した。
「まだまだ彼らの時代は終らない、か。さーて、面白くなってきたわね。これからどうなるのかしら? そして……」
玉響は“上”に目を向けて呟いた。
「貴女はどう思っているのかしらね、三輪ちゃん」