第22話 カエデ、命を賭けた戦い
「あーっ、何だか身体が軽くなった気がするなぁ」
「本気なの? ハイムを抜けるって」
アイズとグラフは、イマーニの幻によって造られた煉瓦の道を歩いていた。
「職業選択の自由だよ。それに君の仲間のスケアやバジルだって、元はハイムの兵士じゃないか。こう言うのも何だけど、あの二人に比べれば俺なんか可愛いものさ」
「それはそうかもしれないけど……」
グラフの言葉を額面通りに受け取ってもいいものか、判断に迷うアイズ。
と、グラフが突然アイズの両手を握り締めた。
「アイズ。結婚しよう!」
「……へ?」
途端、二人の近くに小さくて可愛らしい純白の教会が建った。何が何だかわからない展開に唖然とするアイズ。グラフは少し意外そうな顔をした。
「あれ? 愛の告白の仕方って、これで間違いなかったよな?」
「……違うと思うわ、多分」
「変だな。学習プログラムの中で見たドラマで言ってたんだけど……あっ、それじゃあ、二人で海まで夕陽を眺めに行かないか?」
途端、今度は赤いスポーツカーが颯爽と駆け抜けていく。グラフはスポーツカーを見送ると、感心したように呟いた。
「随分とノリのいい幻だな」
対象の意識を反映する幻なのだから、当然といえば当然である。
「貴方……それって本気で言ってるの?」
ようやっと気を取り直したアイズが尋ねる。
「ん? 俺はいつだって本気だよ。今の台詞も含めてね」
真顔で笑うと、グラフはつかんだままだったアイズの手を優しく引いた。
「まあそれはともかく、今は先に進むことが先決だな。そろそろ行こうか?」
第22話 カエデ、命を賭けた戦い
オリバーの銃を片手に、カエデは木陰から独立軍の様子を伺っていた。
「ここからじゃ無理だ……もっと近くに行かなきゃ」
一人ちいさく呟き、慎重に移動しようとするカエデ。と、
「ねぇ、ちょっと待ってよ」
「まだいたの? ここから先は危険よ、子供は引っ込んでなさい」
追いついてきたルルドを制し、カエデは再び独立軍の方に目を向けた。
「これは戦争なんだから……」
そして銃を握り直すと、木陰から木陰へと移動していった。
「なに~っ? アレ~っ! ムカつく~っ! 何よ、自分だって子供じゃない!」
白蘭の影響でも受けたのか、プンプンと怒り出すルルド。
その時ルルドの近くに、先程も見た不思議な少女の幻影が現れた。
「あっ。貴女は……」
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パティとケイは独立軍に囲まれていた。
「飛んで火に入る夏の虫──ですわね、オリバー堤督?」
ハースィード少佐が妖艶な仕草で髪を掻き上げ、舌なめずりをする。
「メルク長官のパティ・ローズマリータイム。そして副官のケイ・ロンダート。この二人を仕留めれば、情報局は潰したも同然……」
オリバーは予備の銃を構えると、自らに言い聞かせるように呟いた。
「これで形勢が大きく傾く。すべては我等の独立のためだ」
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「あらら、これはマズイんじゃない?」
言葉とは裏腹に、相変わらずまるで焦った様子のない玉響。
「いわゆるチェックメイトってやつね。ああ、でもキングじゃないか」
『確かにチェスなら攻め込まれたクィーンの負けです。ですが、ここからが情報局の戦いですよ』
もう一人のトトは悠然と駒を進めた。
『情報局の力は争いに勝つためのものではありません。争いそのものを消してしまう力なのですから』
「どんどん新しいルールが増えるわね。ま、お手並み拝見としましょうか」
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「パティ、まずいぞ。どうする?」
「ええ。絶体絶命、逃げ場なしね」
一帯に緊迫した空気が流れる。
と、突然パティの雰囲気がガラリと変わった。
「フフフ……久し振りね、こんな逆境。確か2年前にナイル社のビルであの古ダヌキと対決したとき以来じゃない?」
「そうだね。あのときはもう少し数が多かった気もするけど」
ケイの眼鏡がキラーンと輝き、パティと同じく異様な雰囲気を纏う。
パティは一歩前に進み出ると、重く澱んだ空気を払うように音高く手を打ち鳴らした。
「独立軍の皆さんね、会えて嬉しいわ! 私はメルクの長官、パティ・ローズマリータイム! 貴方達のリーダーはどちらかしら!?」
「私が南部独立解放軍堤督、オリバーだ」
一旦銃を降ろし、オリバーが名乗りを上げる。
「あら貴方、何処かで見たことがあるような」
「ああ、思い出した!」
ケイがポンと手を叩いた。
「パティ、ほらあれだよ。フットボールの天才、エルウッド・オリバー!」
「あ、そっか! 道理で見覚えのある顔だと思ったわ。でも、ねぇ。なんでその貴方が軍人なんてつまらないことをやってるの?」
二人のまるで緊張感のない様子に戸惑いながらも、オリバーは律儀に答えた。
「我等が民族の独立のためだ。我々南部の人間は、昔から北部の搾取を受け続けてきた」
「なるほど。だから戦争を起こして独立するのね? でも考えてみなさいよ、戦争をすれば貴方の民族の人間も死ぬのよ。貴方達のような軍人だけじゃない、小さな子供も、女の人も、お年寄りも。それって本当に民族のためになることなの?」
「……自由のためだ。多少の犠牲は仕方がない」
「自由、ね……戦争をなめるんじゃないわよ!」
それまで淡々と喋っていたパティは、突然激しい怒りを表に出した。
「戦争っていうのはね、どんな綺麗事を並べても結局はただの殺し合い、人間の醜い部分のぶつかり合いよ! 正義だの自由だのでごまかしてもね! 死んだ人間は、もう二度と戻っては来ないのよ!」
「……っ」
パティの豹変ぶりに圧倒されるオリバー。パティは少し間を置くと、再び落ち着いた声で話し始めた。
「戦争で勝とうが負けようが、必ず誰かが命を落とすわ。そしてその数だけ悲しみも増えるの。そうなってしまったら、もう二度とわかり合うことはできなくなるわ。仮に独立できたとしても、決して対立が消えることはない」
「…………」
「何を迷っているんですか? オリバー堤督」
ハースィードに急かされ、迷いながらも銃を構えるオリバー。
「何と言われようと……いつか誰かが通らなければならない、避けられない道だ」
「本当にそうかな?」
ケイがパティを庇って銃の前に立ちはだかる。
「それなら、もし血を一滴も流さずに独立する方法があると言ったら……どうする?」
「何だと?」
オリバーの動きが止まった。
/
「人生において最も難しいことは何か? ……それは“意見を変えること”だ」
アイズと並んで歩きながら、グラフは言った。
二人は煉瓦の道を歩き続け、巨大な城の目前まで来ていた。ちなみにこの城は『名前のない通り』に登場する魔女の城である。
「自分なりの意見を持つのはいいことだ。でもプライドやこだわりは、人の心を固くする。本当に柔軟な考え方をするのは難しい」
「そうね。確かにプライドが高いと自分の間違いを認めにくいわ」
アイズが頷く。
「例え自分の意見の中に間違いを見つけても、それを認めるのは難しい。……で、結局何が言いたいの?」
「だから俺を信じろ。愛してるよ、アイズ」
「……悪いんだけど、正直あまり信頼できないわ」
「信頼しろよ、今の俺達は『名前のない通り』の住人だ。これから魔女の城に攻め込むんだぜ? 協力が必要だよ」
「とは言ってもね……危ない、グラフ!」
アイズがグラフを突き飛ばす。
直後、ついさっきまでグラフがいた場所を一筋の閃光が貫いた。
/
「どういうことだ? 戦争をせずに独立するとは」
「簡単な話さ。僕達メルクが独立をサポートするって言ってるんだよ」
「バカな。たかだかその程度のことで長年に渡る問題が解決するはずが……」
「私達の力を信用しなさい。メルクは情報の番人、何処にも属さない独立した組織よ」
思い当たることがあるのか、考え込むオリバー。
更にパティは続けた。
「ただし、条件があるわ。南部が独立するのはいいわ、でもその後はどうするの? 南部の経済は北部の協力なしには成り立たないわ。勿論、その逆も然りだけどね」
「それは……そうだが……」
「だからこういうのはどうかしら。南部北部共同体よ」
「共同体?」
「そう、共同体さ。つまり独立した後、もう一度南北を統合するんだ」
ケイが補足する。
「それじゃあ意味ないでしょ?」
ハースィードが苛立たしげに口を挟む。しかしケイはハースィードを無視して話し続けた。
「そもそも独立とは何か? 勿論意見は様々だろうけど、とにかく自分達が国際社会できちんと発言できて、伝統や文化を守れるようにしたいんだろう? それならまず南部にも政府と議会を作る必要がある。それから学校教育制度を整え、独自の教育ができるようにする。完璧な独立国としてね。だが南北の二国間にパスポートは要らない。関税もなし、通貨も統一。物も人も自由に行き来できるようにするというわけだ。どうかな?」
「わからなくはないが……ハースィード小佐の言う通り、それではたいして変わらないんじゃないか?」
「変わる変わらないは貴方達の努力次第よ。そして私達のね」
自分の胸に手を当ててパティが笑う。
「少なくとも、これも戦い方の一つじゃない? 無駄な血を流さずにすむ点から言えば、より名誉ある戦いだわ」
「しかし……」
まだ煮え切らない様子のオリバー。
パティは少し口調と表情を厳しくした。
「民に無駄な血を流させるのが指導者のすること? 常に民のことを考え、最良の道を模索するのが指導者の役目でしょう? そんなこともわからないようなら貴方に独立軍の指導者たる資格はないわ、さっさと適任者と交替しなさい! それとも……南部にはその程度の人材もいないのかしら?」
パティの物言いにプライドを刺激され、カチンとくるオリバー。部下に銃を降ろすように告げると、自身も銃をしまって言った。
「いいだろう。話だけはしようじゃないか」
パティとケイが満足気に微笑んだ、その時。
「ちょっと待ちなさい! こいつらは今ここで殺しておかなきゃダメよ!」
突然ハースィードが銃を構えた。
「やめるんだ小佐!」
「うるさい! この役立たずがっ!」
「な……!」
ハースィードの口調がガラリと変わる。
次の瞬間、大きな銃声が響き渡り──
──頭部を吹き飛ばされて、ハースィードが倒れた。
その場の全員が驚きに硬直する中、銃声に続いて茂みが揺れる。
「やった、当たった……!」
反射的に銃を構える兵士達の前に飛び出てきたのは、その手には大き過ぎる銃を抱えた一人の少女。
「カエデ!? どうしてお前……それに何てことを!」
「このガキが! よくもやりやがったな!」
「なっ!?」
頭の一部を吹っ飛ばされた状態のままハースィードが起き上がる。オリバーが驚いて飛び退き、独立軍の兵士達が恐慌状態に陥る。
「な、何だこれは!?」
「どういうことだ!? また幻か!?」
「幻なんかじゃないよ!」
更に銃を連射しながら、カエデは叫んだ。
「お兄ちゃん、そいつは人間じゃないの! それにハイムはお兄ちゃん達を利用してフェルマータを乗っ取るつもりなんだよ!」
銃弾が尽き、撃鉄がガチガチと音をたてる。全身を銃弾に撃ち抜かれてボロボロになりながらも、ハースィードは凄まじい形相でカエデを睨んだ。
「言ったな……それを言えばどうなるかわかっているのか!」
「覚悟はできてるもん! あたしはあんた達なんかに絶対負けないんだから!」
怯むことなくハースィードを睨みつけて叫ぶと、カエデはオリバーの方を向き、涙目になりながら微笑んだ。
「バイバイ、お兄ちゃん。あたし、出来の悪い妹だったけど、お兄ちゃんのこと本当に大好きだったよ……最後に役に立てて良かった……っ」
「カエデ? どうした、カエデ!」
アミに填められた首輪が作動し、カエデの首を締めつける。
妹の危機を感じて駆け寄るオリバーの目の前で、カエデは首を押さえて膝をつき──次の瞬間、首を締めつける力が消えた。
激しく咳き込み、大きく呼吸するカエデ。
「……ど、どうして……? あっ、首輪が……」
「どう? 手品じゃないんだよ、魔法なんだよ!」
ルルドは小さくなった首輪を指で回しながら言った。
「ジャ~ンジャジャ~ン! 美少女天才魔法使い、ルルドちゃん登場~! すっご~い、相手の身につけてる物だけを瞬間移動できちゃった! ああっ、もう自分の才能にクラクラしちゃう! な~んてね」
「ルルド……? ルルドが助けてくれたの?」
「えへへっ。カエデ、かっこ良かったよ!」
ルルドが笑い、カエデも微笑む。何だかよくわからないが、とにかく妹が助かったらしいことを悟ると、オリバーはハースィードの方を振り向いた。
「ハースィード小佐、これはどういうことだ? 妹を危険な目に逢わせたのは貴女なのか? 妹が言ったことは……」
「ええいうるさい! ガキは引っ込んでろ!」
ハースィードが銃を構え、再びパティを狙う。
だが次の瞬間、
「ハースィード小佐!」
オリバーの上段蹴りがハースィードの側頭部を直撃した。よろめいて倒れるハースィードを見下ろし、鋭く叫ぶ。
「なめるんじゃない! ここでの最高責任者は私のはずだ、勝手な行動は許さん!」
「お兄ちゃん、かっこい~!」
「うわぁ、痛そう……」
カエデが声援を送り、ルルドが顔をしかめる。
「くそぉっ! こうなったら皆殺しだ!」
ハースィードがヴィナスの姿に戻り、無差別に攻撃をしようとする。
そこに、
「はぁっ!」
突然木陰から現れた白蘭が長剣でヴィナスを斬り裂いた。続いてナーが上空に弾き飛ばし、
「今よ、ルルドちゃん!」
「わかってるって! ──消えてなくなれっ!」
ルルドがヴィナスを強制的に瞬間移動させた。
「すごい……これが魔法の力……!」
改めて魔法の力を見せつけられ、カエデが茫然と呟く。
「あれがアインスの娘……か。流石にすごいな」
ケイは感心したように呟くと、隣で座り込んでいるパティに微笑みかけた。
「何だか最後の方は色々あったけど。格好良かったよ、パティ。これだからメルクは辞められないね」
「カエデ! 大丈夫か!?」
オリバーは急いでカエデに駆け寄った。
「お兄ちゃん……あたし……」
「すまなかった、カエデ。一人で頑張ってたんだな。それなのに俺は……」
後は言葉にならず、カエデを抱き締めるオリバー。
「ううん、いいんだよお兄ちゃん──じゃなくて、オリバー堤督。お役に立てて光栄であります」
照れくさそうに笑い、オリバーに銃を差し出すカエデ。
オリバーは銃を受け取ると、独立軍の皆に向かって言った。
「みんな聞いてくれ! 俺は南部の英雄なんて言われてこの軍を指揮している。しかし本当の英雄は、たった一人で祖国のために戦った、この勇敢な少女だ!」
そして改めて銃を手渡すと、カエデの頭を撫でた。
「これは君の物だ。君の勇気を尊敬するよ、カエデ」
独立軍の中から拍手が起きる。
「ありがとうございます、オリバー堤督」
カエデが他人行儀に挨拶する。オリバーは少し困ったような顔をした。
「これからは『お兄ちゃん』って呼べよ……命令だぞ」
「うん、お兄ちゃん!」
「おっにいちゃ~~~~~ん」
独立軍のメンバーが声を揃えて呼ぶ。
無論、全員が男性である。
「ちっがーう! お前等に言ったんじゃないっ!」
「おっにいちゃ~~~~~ん」
「しつこい!」