第13話 多重奏狂詩曲
「五本脚の馬ね」
「……何それ?」
アイズが尋ねると、ジューヌは手の指を脚に見立てて説明し始めた。
「恋愛っていうのはね、二人の人間が四本脚の馬になって進もうとするようなものなの。でもね、いつでもバランスが取れているとは限らない。時には足並みが乱れて、倒れそうになることがある。そんな時、人は五本目の脚を求めてしまうの」
「? よくわからないわ。それって当然のことじゃないの?」
「ダメなのよ」
ジューヌはあっさりと否定した。
「たとえ倒れても、自分が動かせる二本の脚だけでもう一度立ち上がろうとするくらいの気持ちでいなきゃ。それで一時的に相手の気持ちが離れてしまっても、二本脚か三本脚なら何とか歩いていけるわ。でも五本脚じゃ歩けない。無理に作り出した五本目の脚は、どちらにも満足に動かすことができないの。多くを望みすぎる者は……自滅するわ」
「ふ~ん……それが今のカシミールさんなんだ?」
ジューヌは少し困ったように微笑んだ。
「不安なのよ、きっと。いつまた支えを奪われてしまうかわからない、ってね。姉さんは一度、アインスという支えを失ってしまっているから」
アイズとジューヌは二人で話をしながら、ブリーカーボブス内部の廊下を歩いていた。
やがて二人が辿り着いたのは、頭上が開けた中庭のような場所。高い塔状の建造物に四方を囲まれており、その中の一つ、最も高い塔の先端に小さな少女の姿がある。
「ルルドーっ! 今日のレッスンどうするー!?」
かけられたジューヌの声に、少女は──ルルドは振り返ると、アイズの姿を見つけて嬉しそうに手を振った。
「アイズお姉ちゃん! 久しぶりー! ……あれ?」
「うーん、久しぶりねルルド……でもさ、いくら貴女が身軽でも、肩車はちょっとキツイわ」
「あはは、ゴメーン」
瞬間移動してきたルルドは、無邪気に笑いながらアイズの上から飛び降りた。
第13話 多重奏狂詩曲
しばらく再会を喜びあった後。
「ママのこと……ありがとうね、アイズお姉ちゃん」
「あ~。やっぱバレてたかぁ」
ルルドがポツリと呟いた言葉に、アイズは困った顔で頭を掻いた。
「何となくわかってたの。アイズお姉ちゃんたちが村から出ていった時に一緒にいた女の人。姿は全然違ってたけど、きっとあれはママなんだろうって」
真剣な瞳で話すルルド。しかしカシミールとは違い、ルルドの言葉に刺はなかった。
「でもね、ほんと言うとあたし、そんなことどうでもよかったんだ。もう二度と会いたくないって思ってた。あの人は親って感じがしなかったし……カシミールママの方が優しくていいや、って。だけど、今のママとはもう一度会ってみたいような気がする」
「そうね、私もフジノとは話してみたいわ」
ジューヌが会話に加わる。
「私の知らない内に、あの子がどんな風に変わったのか……この目で確かめたい」
「ママはこの島にいるよ。絶対に」
ルルドは島の中央の山を見て言った。
「それから、他にも何かいるわ」
「何かって?」
「よくわからない。この島全体が、一つの大きな力で覆われてるの」
「……大きな力、か……」
アイズは何となく予感した。
「それじゃあ、トトもこの島にいるかもしれないわね」
/
「お兄ちゃん!」
「何だよカエデ、用もないのにブリッジに来るなって。それに皆といるときは『提督』だろ?」
カエデは焦っていた。兄に真実を伝える方法を色々と考えてみたものの、紙に書く・声を録音する等の方法もまったく通じず、何度も呼吸困難に陥っていたのだ。
どうやらアミにつけられた首輪は、カエデの思考を読み取って作動するらしい。メッセージを書いた紙は読めなくなるくらいに細かく破り捨てるまで、声を録音したテープは上書きするまでジワジワと首を絞められ続けた。稚拙なりに頭を振り絞った暗号も通じなかった。
一方、カエデは気づいていた。方法がないわけではない、ということに。
この首輪は、カエデが行動を起こしてから作動するまでに若干の時間がかかる。完全に絞まりきるまでの間に簡潔に話せば、兄に真実を伝えることは不可能ではないはずだ。
しかし、それと引き換えに自分は命を落とすことになる。何より、その短時間で兄を説得することができるかどうか。
「ああ、ハースィード少佐」
オリバーの声に振り返ると、ちょうどハースィードがブリッジに入ってきたところだった。身体中に包帯を巻きつけ、松葉杖を突いている。
「ご無事で何よりです。身体の具合はよろしいのですか?」
「え、ええ……ご心配には及びません。残念ながら、ブリーカーボブスを墜とすことはできませんでしたが……ううっ」
わざとらしく傷を押さえ、よろめくハースィード。オリバーが慌てて抱きかかえる。
「だ、大丈夫ですか? 無理はしない方が」
「いえ……大丈夫です。このチャンスを逃すわけにはいきませんから」
「チャンス?」
ハースィードの話によると、現在独立軍艦隊が不時着している浮遊島には、ブリーカーボブスもまた乗り上げているらしいということだった。
相手の場所は、中央の山を挟んで正反対。オリバーは士官を数人集めると、ブリーカーボブスが航行機能を回復する前にゲリラ戦を仕掛ける計画を立案した。
「それでこそオリバー提督です。では、更に打ち合せを……」
寄り掛かってきたハースィードの吐息が耳にかかり、頬を染めるオリバー。
と、
「いてっ! 何だよカエデ、向こう行ってろって!」
カエデに思い切り腕を抓られ、オリバーが悲鳴を上げた。驚きの仕草でわずかに身を引いたハースィードが、初めて気づいたかのような顔でカエデを見下ろしてくる。
「あらあら。可愛らしいお嬢さんですね。提督の妹さんですか?」
「ええ、まぁ……」
「そうですか。ちゃんとお兄さんの言うことを聞いて、いい子でいるんですよ」
ハースィードはカエデの頭を撫でると、間近に顔を寄せて囁いた。
「いい子で……ね」
恐怖と悔しさに震えつつも、気丈な瞳で見返すカエデ。
ハースィードは嘲るように微笑むと、そのまま立ち上がり、「では後ほど」とブリッジを出ていった。
「おいカエデ、お前昨日からおかしいぞ?」
「おかしいのはお兄ちゃんの方だよ! あんな人にデレデレしちゃって!」
「いや、別にそんなつもりは……あの人はハイムの軍人だし、我々に協力してくれているんだ。優しく接するのは当然のことだろ? ……まぁ、確かに美人だがなぁ」
ニヤつくオリバー。
「お兄ちゃん、あたしあの人嫌い……何か人間じゃないみたい。あんな人たちと一緒にいない方がいいってば!」
カエデは必死に説得するが、オリバーはまるで取り合おうとしない。
「それに、あの人たちの武器は強力すぎるよ! 情報局を潰した後、もしも裏切るつもりだったりしたらどうするの!?」
首輪が作動しないよう、慎重に言葉を選んで話を進めるカエデ。しかしオリバーは妹の命がけの努力にも気づかず、厳しい声で批難した。
「カエデ、滅多なことを言うもんじゃない! さっきから失礼だぞ!」
「…………っ!」
カエデは小刻みに肩を震わせてうつむいていたが、
「お兄ちゃんの……わからずやっ! お兄ちゃんなんか大っ嫌い!」
呆気に取られるオリバーを突き飛ばし、ブリッジから飛び出ていった。
「カエデちゃん、妬いてるんですよ、きっと。ねぇ、オリバーお兄ちゃん?」
ブリッジメンバーの一人が茶化して言う。
「提督と呼びたまえ! ……はぁ、でもそうなのかなぁ……」
額に手をやり、ブツブツと呟くオリバー。
──と。
何気なく腰に添えた手が空のホルダーに触れ、オリバーは銃がないことに気がついた。
「あれ? 俺の銃は何処だ?」
「しっかりしてくれよ、お兄ちゃん」
「提督だっ!」
「お兄ちゃんのバカ、お兄ちゃんのバカ、お兄ちゃんのバカ!」
廊下を走るカエデの腕には、オリバーのホルダーから抜き取った銃が抱えられていた。
「お兄ちゃんのバカ……!」
/
「ご機嫌だな、ヴィナス」
「あん。イキナリはダメよ、ネイ」
ハースィードが部屋に戻ると、声と共に一本の腕が伸びてきた。乱暴に鷲掴みされた胸の部分から変身が解け、ハースィードがヴィナスの姿に戻る。
ネイは鼻を鳴らして腕を引くと、不機嫌極まりない顔で部屋の中をうろついた。
「くそぉ、バジルの野郎……」
「苛々は身体に良くないわよ。はい、お待たせ」
ヴィナスが口を開き、舌の上に小さなカプセルが現れる。
振り向いたネイが近づいてくると、ヴィナスは恍惚とした表情で微笑み、カプセルを舌の上で転がした。
自身の体内で生成した麻薬物質が入った、小さなカプセルを。
「舌、噛み切っちゃダメよ?」
細い顎を片手で引き寄せて、ネイは乱暴にヴィナスと唇を重ねた。
/
ノイエは暗闇の中で目を覚ました。
「う……ここは……?」
そこは広い洞窟の中だった。少し離れたところには焚火があり、ごつごつとした岩肌に揺らめく光を投げかけている。
上半身を起こすと、しばし呆然と座り込むノイエ。と、
「ああ、良かった。気がついたのね」
いきなり声をかけられて、ノイエは驚いて振り返った。
背後にいた者の姿に、もう一度驚く。
「フ、フジノ!? どうして君が……ち、近づくなっ!」
慌てて距離をとり、身構えるノイエ。
しかし突然襲い掛かってきた眩暈に為す術もなく、ノイエはその場に倒れ込んだ。
「もう、しょうがないわね」
フジノは溜息をつくと、ノイエを抱えて焚火の近くに運んだ。
「いくらなんでも、こんな短時間で完全に回復するわけないでしょう? 自爆しようとした時に魔力炉を酷使したはずだし、あのL.E.D.まで振り回したんだから。貴方は知らないでしょうけど、あれって慣れない内は結構機体に負担がかかるのよ。
ところで、何か食べるわよね? 今から用意するわ。これでも一応“母親”やってたんだから」
フジノは捕まえておいた川魚や獣を捌きながら、力なく呟いた。
「まあ……あの子は私のこと、許してはくれないだろうけど……」
/
アートはF.I.R.で茂みを斬り裂いて進んでいた。先の戦いでは最も損傷が激しかったためか、まだ外傷も完全には癒えていない。
しばらく進み、少し広い場所に出ると、アートは脳内の通信機を使ってハイム本国との交信を試みた。
「……くそっ、やはりダメか。確かに正常に動作しているはずなのに、まったく何の反応もない……何かに妨害されているのか?」
仕方なく再び歩き出しながら、アートは呟いた。
「せめてグラフに連絡が取れれば……いや、あんな裏切り者なんか……!」
心の何処かでグラフを頼りにしていることに気づき、慌てて否定するアート。
/
「いやー。いい所だねぇ、ウサちゃん」
『……って、ほのぼのやってる場合じゃないでしょ?』
所変わって島の端。
宙に張り出した崖に座って海と空を眺めながら、グラフは片方しかなくなった腕にウサギの人形をはめて一人芝居をしていた。
「うーん、とは言ってもなぁ。通信機は役に立たないし、仲間とはぐれて一人ぼっち。おまけに丸腰……こういうのって、兵士としては一番困る状況なんだよね」
『一人じゃ何もできないんじゃあ、グラフもたいしたことないわね』
「ははっ、ごもっとも……さて!」
グラフは伸びをして立ち上がった。
「それじゃあ、とりあえず崖沿いにぶらついてみますか! もしかしたら、運命の女神にでも会えるかもしれないしね~!」
/
『キャー! 巨大チュチュガヴリーナ!』
『皆さん、世界の終わりです!』
「……何でさぁ」
オードリーはポツリと呟いた。
「何で私があんたと一緒に映画見なきゃいけないわけ?」
「いいじゃない~。お互いバジルちゃんにフられた者同士、仲良くしましょうよ~」
ケール博士はスナック菓子を食べながら言った。
二人は室内用ホログラム装置の点検を兼ねて映画を見ていた。ちなみに映画の題名は、以前ケール博士がバジルと話していた『恐怖のチュチュガヴリーナ』の続編、『チュチュガヴリーナの逆襲』である。
「……つまんないわ」
「そう? あたしは結構好きなんだけど……」
「映画の話じゃないわよ」
オードリーはケール博士の手からスナック菓子の袋を取ると、一つかみ口の中に放り込んだ。
「みんなの話よ。バジルだけじゃないわ、パティも、スケアも」
「過去を引き摺りすぎだって?」
「確かにリードランス大戦は不幸な出来事だったわ。ラトレイア、リード、そしてアインス……たくさんの仲間が殺されて、リードランスは滅んだ。そして生き残った私達は、ハイムから逃れてフェルマータにやってきた……でもね」
オードリーはキッとケール博士を見つめた。
「私達はこの11年間で力をつけたわ。情報局を作り、この国の仕組みを建て直し、ハイムに対抗できるだけの力を得た。みんなが一丸となって努力したからこそ、迎えられた今この時なのよ。それなのに何? みんな何かを心に隠して一人で悩んでる!」
小さく溜息をつき、オードリーは呟いた。
「壁を壊すことはできない。でも壁の向こう側を見ることはできる。それがメルクのモットーじゃなかったの……?」
「みんながみんな貴女のように強いわけじゃないのよ、オードリー」
ケール博士はオードリーが握り潰したスナック菓子の袋を取り上げた。
「でもね。あたしはここの人達はみんな、いつかそれを乗り越えられると思ってる。オードリー、貴女が言ったように、この11年でここまでやってきたメンバーだもの」
ケールは粉々になったスナック菓子を口の中に流し込んだ。
『みんなで力を合わせてチュチュガヴリーナを倒すんだ!』
映画の中では今まさに、主人公が仲間と共に立ち上がっていた。
/
暗闇の中を、一人の少女が歩いている。
「ママ……何処?」
少女が呟くと、空中に女性のシルエットが出現した。
『どうしたのですか、エンデ?』
「ママ、変なの。ヴィナス達のいる島にあたしの力が届かないの。まるで何かが邪魔してるみたいに……」
『邪魔……?』
女性は少し険しい表情をしたが、すぐに薄い微笑みを浮かべた。
『ちょうどいいではありませんか。つまりその島には、ハイムに逆らう者がいる、ということでしょう?』
「うん……そうなんだけど」
エンデは少し不服そうに言った。
「ママは……手伝ってくれないの?」
女性の顔から表情が消えた。
エンデがビクリと硬直する。
『……いいですか? エンデ。貴女はトトを捕らえ、コープを手に入れる……そしてフジノ・ツキクサとアイズ・リゲルを殺すのです』
「アイズ? フジノはわかるけど、どうしてママがアイズのことまで……あ」
呟くエンデに向けられる視線が、一層冷たいものになる。
エンデは慌てて言葉を濁すと、そのまま逃げるように姿を消した。
『フジノ・ツキクサ……トト……そしてアイズ・リゲル』
何処か遠くを見つめて、女性は呟いた。
『あの力……あのとき感じた力は、あれは……間違いなく……』
/
トトが目を覚ますと、そこは何処かの部屋の中だった。
床は巨大なチェス盤のように白と黒に塗り分けられている。天井は高く、照明は光量を抑えてあるのか薄暗い。
「ここは……何処?」
辺りを見回すトトの前に、突然人影が現れる。
それは10歳程度の少女を象った、三次元ホログラムの映像だった。
『おかえりなさい、トト』
「貴女は、もしかして……」
少女が微笑むと同時に、その体が音もなく浮き上がる。長い髪がカーテンのように広がり、全身が淡い輝きに包まれる。
『本施設に侵入者あり。これより第二次カモフラージュシステムを起動します』
少女が告げた途端、部屋の至るところに設置された機械が音をたてて動き始めた。壁一面に並んだモニターが、島の各部の様子を映し出す。
やがてすべての機械が起動し、少女は、厳かに宣言した。
『システム、作動します』