第12話 亀裂
翌朝。
南方回遊魚の自室で、アイズはカシミールと向かい合って座っていた。
カシミールは真剣な眼差しでアイズを見つめており、アイズは落ち着かない気分で視線を彷徨わせている。教師が生徒を一人で呼び出し、今まさに説教を始めようとしている光景のようだ。
「えーっとね、カシミールさん」
やがて話を切り出したのはアイズだった。
「フジノのことを黙ってたのは、確かに悪かったわ。でも、あのときはさぁ……」
「あのときは……何ですか?」
カシミールがピシャリと言う。アイズは返答に詰まったが、仕方なくフジノが生まれ変わった時のことを説明し始めた。勿論、これ以上彼女を刺激しないよう、アインスのことは除いて。
ブリーカーボブスはアステルの風に流されて、とある浮遊島に乗り上げていた。周囲に浮かぶ島々に比べるとかなり大きなもので、大半が森に覆われており、中央の山岳地帯からは幾つかの川が流れている。
勿論、大地と接していない浮遊島に湧き水が出るはずもない。アステルの風が起きた後、大気と分離した水が残っている間のみ出現する、仮初の川である。
すべてを飲み込んだ第一波の到来から、およそ半日。
夜半のうちに第二波も過ぎ去り、島は静寂を取り戻していた。
「そうですか……わかりました」
アイズが説明を終えると、カシミールは思い詰めた顔をして部屋を出ていった。
「……つ、疲れたぁ……」
緊張が解け、ぐったりと脱力するアイズ。
「私だって大変なのよ? フジノもトトもいなくなっちゃうし……」
昨夜のことを思い出しながら、アイズは小さく溜息を吐いた。
第12話 亀裂
「アイズ、トト! 逃げろーっ!」
フジノが叫んだ瞬間、稲妻がアイズ達に向けて殺到した。
その声に応えるように、二人の周囲に障壁が発生して稲妻の侵入を阻む。見ればトトがアイズの右手を握り締め、その甲に埋められた宝石が輝いている。
「あれは、ゼロの時の……!」
「こ、これは……!?」
アイズもまた驚いていたが、
『お忘れですか? アイズさん』
もう一人のトトが微笑んで言った。
『これは貴女自身の力。さあ、今回は“私の力”もお貸ししましょう』
コープの宝石が輝きを増し、エコーデリックに似た稲妻が発生して相手側の稲妻と真っ向から激突する。
更に、
「はぁぁぁぁぁあぁあぁぁっ!」
フジノが光の翼を広げ、黄金の輝きが稲妻を圧倒する。
しかしその時、力の余波が思わぬ出来事を引き起こした。アステルの風が急激に勢いを増し、ほとんど竜巻のような状態を作り出してしまったのだ。
その流れの強さは、意識のないノイエを巻き込むには充分すぎた。
「ノイエ!」
咄嗟にノイエの手をつかむフジノ。流れの強さに抗えず、二人の身体が宙に浮く。
「フジノ!」
瞬間移動してきたスケアがフジノの手をつかむ。しかしスケアも二人を繋ぎ止めておくので精一杯で、一緒になって巻き込まれるのも時間の問題だ。
「スケア! ……くっ!」
「フジノ、何を!?」
スケアは驚いて叫んだ。フジノが自分からスケアの手を離したのだ。スケア一人の握力では二人分の体重を支えきれず、二人の手が徐々に外れてゆく。
「スケア、貴方まで巻き込まれることはないわ! ノイエのことは私に任せて!」
「し、しかし……!」
「大丈夫。この子に私達と同じ過ちを繰り返させはしない……絶対に。だからスケア、貴方はルルドについていてあげて」
その言葉にハッとなるスケア。
フジノは穏やかな微笑みを浮かべると、心からの感謝を言葉に乗せた。
「ありがとう、スケア。あの子の父親になってくれて」
直後、二人の手は離れた。
「フ……フジノーーーーーーー!」
一方、アステルの風はアイズ達にも襲いかかった。
アイズは助けに来ていたモレロに受け止められたが、トトが巻き込まれてしまう。
「ア、アイズさーーーん!」
「トトーーーっ! ……こっのぉぉぉおぉぉおおぉっ!」
無我夢中で力を開放するアイズ。
その瞬間、アイズの力がすべてを圧倒し、女性の影を消し去った。
/
その後、スケアの風魔法でブリーカーボブス周辺の流れをコントロールしつつ、適当な島に不時着したわけだが。
「まぁまぁ、女性の気持ちというものは難しいものなんですよ。特に“母親”や“恋人”というものはね」
と、やってきたのはコトブキだった。
「相変わらずのナイスタイミングね、コトブキさん」
「素敵な女性のことは何処にいてもわかるんですよ」
「コトブキさん……若い頃はモテたでしょう?」
「とんでもない」
コトブキは大げさな身振りで否定すると、笑って答えた。
「“今も”モテますよ」
「……あっそ」
「アイズ、いる?」
しばらくコトブキと談笑していると、ジューヌとモレロが部屋を尋ねてきた。
「あーっ、コトブキさんだ! 昨日は楽しかったわ」
「いえいえ、こちらこそ。かの天才バイオリニスト、ジューヌさんと食事をご一緒できて楽しかったですよ」
コトブキがジューヌの手を取って軽く口づける。可笑しそうにクスクスと笑うジューヌ。
「モレロさん、いつの間にこうなっちゃったの?」
「何でも昨夜、一緒に食事したとか」
「昨夜……って、みんなで壊れた外壁の修理作業とか手伝ってて……私、昨日は何も食べてないわ」
「ほら、分離した海水に浸って食料庫が一つダメになったじゃないですか。それで勿体ないからって……」
「……食べてたのね。私達が大騒ぎしてる間に」
呆れ半分に呟くアイズ。
/
「どーいうことかしらねー」
ケール博士とオードリーは、機器を逐一チェックしていた。
「電波系の通信機器が全部ダメになってるわ。オンラインの物は無事なことを考えると、やっぱりアステルの風の影響かしら?」
「知らないわよ、私にそんなこと言われても」
文句を言いながらも手伝っていたオードリーの手が、ふと止まる。
作業部屋の扉の外を、レムの車椅子を押しながらバジルが通った。バジルは普段の彼からは想像もできない優しい表情でレムを見つめている。
「……ああいう男はね、こっちが焦ってもしょーがないのよ」
オードリーの視線に気づき、ケール博士は苦笑した。
「バジルちゃんは誰にでも優しいけど、誰にも心を開こうとしないわ。ただ一人、スケアちゃんだけは例外だけどね」
「わかってるわよ……そんなこと」
/
レムの部屋に到着すると、バジルはレムをベッドに寝かしつけ、いつも通り頬に軽くキスをした。と、
「いいんですよ、バジル……もう私に気を遣わなくても……」
「気を遣ってなんかいないさ。俺は君のことを本気で」
レムの手がバジルの口を塞いだ。
「わかっています。貴方が優しい人だということは……でも、貴方は自分の罪の償いとして私のことを……」
バジルは一瞬哀しげな顔をしたが、すぐにいつものポーカーフェイスに戻ってレムの手を外させた。
「おいおい、君まで俺のことを信用してないのかい?」
「信じてはいます。でも、“わかる”んです」
バジルは微かに笑った。いつもの対外的な笑顔ではない、諦めるような、自嘲するような微笑み。
「君には敵わないな……でもね」
「でも?」
「少なくとも、俺が君のことを大切に思っているのは本当だ。“わかる”んだろ?」
しかし、レムは答えない。バジルは肩をすくめると、「それじゃ」と言い残して部屋を出ていった。
「……わかっています……だからこそ、私は……」
誰もいなくなった部屋の中で、レムは呟き、静かに涙を流した。
/
「えっ? 白蘭達が私達を追って?」
「あらら、やっぱり会ってないか」
二人が尋ねてきたのは、白蘭・ナー・ロバスミの所在を尋ねるためだった。
ジューヌの話によると、アイズ達が旅立ってすぐ、白蘭が二人を無理やり連れ出してしまったらしい。
「メルクから連絡があったのは、三人が出発した後だったのよね。まいったなぁ」
「う~ん……まぁロバスミさんもナーもいるんだから、私達みたいなことにはなってないと思うけど……」
「それからもう一つ、フェイムのことなんですが」
続くモレロの話によると、フェイムは数日間の昏睡状態から意識を取り戻した後、突然行方不明になってしまったということだった。
「まったく、無茶するんだから。まだ完全に回復してなかったのに」
「まぁ、そのフェイムという方も、何か思うところがあるのでしょうな」
愚痴をこぼすジューヌと、一人うんうんと頷くコトブキ。
「ところで、カシミール姉さんは何処に?」
「さっき何処かに行っちゃったわ」
それを聞いて、モレロはカシミールを探しに部屋を出ていった。
(みんな思うところがありすぎて困るわね……)
心の中で呟き、アイズは密かに溜息を吐いた。
/
その頃、パティは長官室の席についていた。椅子に浅く腰掛けて机上に脚を投げ出すという、およそ長官らしからぬ格好で天井を眺めている。そしてふと思い出したように、引き出しの中から古ぼけたファイルを取り出すと、それを開いて読もうとした。
と、挟んであった一枚の写真が床に落ちた。手を伸ばし、拾い上げるパティ。
写真には若い男女の姿が写っている。蒼い髪の落ち着いた青年、そして栗色の髪を三つ編みにした素朴な少女。
「アインス・フォン・ガーフィールド……か」
写真を眺めながら呟くパティ。と、
「長官、入りますよ」
扉を開けてケイが入ってきた。パティの格好を見て一瞬驚いた顔をしたものの、気を取り直して普段通りの態度を取る。
「報告します。モレロ氏の協力で、動力部の修理はほぼ完了しました。現在、ケール博士が技術班を総動員して制御システムの復旧を進めています。この調子なら明日にでも航行は可能になるでしょう。ただ、独立軍の艦隊が近くにいる可能性を考えると……長官?」
ケイは報告を中断して声をかけた。古ぼけたファイルを手の中で遊ばせながら、パティが疲れた顔で呟く。
「ケイ。貴方は、自分の才能を信じてる?」
「パティ? 何を言ってるんだ?」
言葉の真意を計りかね、尋ね返すケイ。パティは自虐的に呟いた。
「私は……結局つまらない、何の才能もない人間なのね。人に頼らなければ何もできない、自分も仲間も守れない……本当はこんな所にいる価値もない、つまらない人間」
「何を言い出すんだ。つまらない人間にメルクの長官が勤まるはずがないだろう?」
「そうかしらね……」
ケイは少し困った顔をしたが、すぐにパティの前まで歩いてきて机上に積み重なっていた書類の束に手をかけた。
「パティ、君は疲れているんだ。ケール博士の医療ポットにでも入ってスッキリするといい。これは僕がやっておくから」
「あっ、ケイ……」
ケイは書類を抱えて歩き、扉の前で振り返って言った。
「君の情報局設立のアイデアは素晴らしかった。そして僕達はここまでやってきたじゃないか。情報局の人間がこんなことを言っちゃいけないのかもしれないが……あまり周りの人間の言うことは気にするなよ」
パティは少しだけ微笑んだ。
「……ありがとう、ケイ」
長官室を出た後、ケイはニヤつきながら頭を掻いた。
「ありがとう、か……何か照れるな」
そして両手いっぱいに持っていた書類の束を落とし、悲鳴を上げた。
パティはケイが出ていった後、もう一度ファイルを開いて呟いた。
「でもね、ケイ……私は結局、アインスの操り人形でしかないのよ」
/
その頃スケアは、医務室の医療ポットから出たばかりだった。
特に激しい損傷を受けたわけではないが、流されるブリーカーボブスを風で保護しつつ誘導するためにかなりの魔力を費やした上、瞬間移動の後遺症も残っていたのだ。
瞬間移動の後遺症。それは『事実と感覚の差異から生じる混乱』のことで、原理は車酔いと似たようなものである。瞬間的に存在位置が変化するという本来起こりえない異常事態に、身体と精神がパニックを起こすのだ。
かつてアインスに敗れた後、スケアは古代リードランス式剣闘術と共に瞬間移動魔法を独学で習得した。この魔法、ルルドは平気で多用しているが、実際は極めて高度で危険なものである。桁外れの魔力消費量もさることながら、一つ間違えば移動先の物質と同化してしまったり、次元の歪みに閉じ込められることにもなりかねない。
スケアに移動できるのはごく短距離、それも単身での移動のみ。加えて、多用すれば今回のように後遺症を引き起こすことになる。
まだ少しグラつく頭を軽く振って気を紛らわせると、スケアはガウンを羽織り、しばし無言でその場に立ち尽くしていた。
……と。
「フジノのこと……考えてるのね」
スケアが振り向くと、医務室の出入口にカシミールが立っていた。どう答えていいものか迷っている内に、近づいてきてガウンに手をかけ、乱れを整える。
「ほら……もう、ちゃんとしなきゃ」
「あ、ああ……すまない、カシミール……っ」
突然、カシミールがスケアを抱き締めた。そのまま首筋に唇を寄せ、衣服の隙間から手を滑り込ませてくる。
「ち、ちょっと、やめろったら」
スケアは慌ててもがいたが、カシミールは近くのソファーにスケアを押し倒し、馬乗りになってスケアの唇を塞いだ。
しばらくの沈黙の後。そっと唇を離し、涙ぐんだ瞳でスケアを見下ろす。
「……フジノのこと……考えてたのね」
「うん……まあ、ね……」
歯切れの悪いスケア。
「昔のことを思い出した? 貴方がフジノのこと、好きだった頃のこと……」
「そんなこと……ないよ」
「嘘よ。貴方はそんな人じゃない。貴方はフジノのことが気になって仕方ないはず。貴方はそういう人よ……でも」
カシミールはスケアの上に乗ったまま、胸元のボタンを外し始めた。
「でもね、私は貴方をフジノに取られるわけにはいかないの」
「取られるだなんて、私は君のことを……」
「スケア、貴方は優しい人よ。でも私は、貴方が思っている以上に欲張りな女なの。貴方の中にフジノへの想いが残っているのは耐えられないのよ!」
「カシミール!」
スケアはカシミールを抱き寄せた。
「私は君のことを愛しているし、他の誰よりも大切だと思っている。フジノのことは……もう何とも思っていない」
カシミールの頬を一筋の涙が伝う。
「……嘘つき」
カシミールはスケアの胸を突き飛ばすようにして起き上がった。乱れた服装を整えることもなく医務室を飛び出した途端、廊下でモレロと鉢合わせる。
「ね、姉さん! どうしたんですか、その格好!?」
「どいて、モレロ」
カシミールは短く言い捨てると、モレロの横を足早に通り過ぎていった。
呆気に取られて茫然とするモレロの目の前に、今度はスケアが姿を現す。
「カシミール! ああ、モレロ。すまない、カシミールが何処に行ったか……」
「スケア……てめぇ、姉さんに何しやがった!?」
モレロはスケアの襟元をつかむと、そのまま捻り上げた。
「俺はなぁ、お前と姉さんのことを認めたわけじゃないんだ! ただ姉さんが幸せならそれでもいいって思って……だがなぁ!」
硬く握り締められ、振り上げられた拳が途中で止まる。
「……くそっ!」
そのまま乱暴にスケアを投げ捨てると、モレロはカシミールを追って走っていった。
/
はだけた胸元を掻き合わせて歩きながら、カシミールは呟いていた。
「私……私、いつの間にこんな嫌な女になっちゃったんだろ……」




