第11話 ブリーカーボブスの戦い -輪踊曲-
フジノはノイエの前に片膝をつき、右手を差し出した。
「まだわからないかもしれない。でも、貴方を縛っているものをなくせば、そこには新しい世界が広がっているわ。この手を取ってくれるなら、きっと見せてあげられる。貴方の知らない世界を」
ノイエの心は揺れていた。
目の前の少女からは、自分達とはまったく次元の違う“力”と“強さ”が感じられた。しかし、彼女の言葉を受け入れることは、今までの“すべて”を否定することになる。
「……どうすればいいんだ……」
呟くノイエ。
──と。
『簡単よ、あたしに従えばいいのよ』
ノイエの唇が独りでに動き、幼い少女のような声が響いた。
右腕が突然変形し、ノイバウンテンの発射口がフジノに向けられる。
「な──」
フジノが状況を把握するよりも、わずかに早く。
白い閃光が、空を切り裂いた。
第11話 ブリーカーボブスの戦い -輪踊曲-
スケア達の参戦から十数分後。
独立軍の艦隊はカシミールの砲撃から逃れ、ブリーカーボブスが水平線上に見える辺りまで撤退していた。
「くそっ! どういう理屈なんだ、あの女の攻撃力は!」
オリバーは悔しげに帽子を床に投げつけた。
ドールズの存在を知らなかったわけではない。情報局には複数の人間兵器が所属しており、その戦力は単体で一軍にも匹敵するとの情報はハイムから得ていた。
しかし余りに規格外。一個人の攻撃で最新鋭の軍艦を易々とあしらうなど、常識外れにも程がある。
「少佐との連絡はまだ回復しないのか!?」
「未だ返答はありません!」
通信士の返答を最後に、ブリッジに重い沈黙が漂う。作戦通りなら、ハースィード少佐は精鋭部隊を指揮してブリーカーボブス内部に潜入し、白兵戦を仕掛けているはずなのだ。
そして独立軍の役割は、彼女等が内側から指揮系統を制圧するまでの間、情報局の意識を外に向けさせることだった。
「これでは我々は、ただの足手纏いじゃないか……!」
「お兄ちゃん……」
歯噛みするオリバーの姿を、複雑そうな表情で見つめるカエデ。
その時、オペレーターが何かに気づき、慌てて叫んだ。
「堤督! 艦隊周囲の湿度と空気密度が異常に増大していきます! まさか、アステルの風では……!」
「何だと!? バカな、この地方で起こるとは聞いたこともないぞ! ……ええい、文句を言っても始まらん!」
オリバーは素早く全艦に緊急放送を流した。
「アステルの風が来るぞ! 直ちに散開! 各艦、可能な限り距離を取れ!」
制御不能時の衝突を避けるべく、一斉に旗艦から離れていく駆逐艦群。
やがて艦隊後方の水平線が消失し、融和した大気と海原が巨大な津波となって押し寄せてくる。
「全員衝撃に備えろ!」
オリバーが叫んだ、次の瞬間。
アステルの風の奔流が、独立軍艦隊を飲み込んだ。
/
「い、今のは一体……」
静かに変形を解いていく自身の腕を見つめ、ノイエは呆然と呟いた。
己の意思とは無関係に動き、フジノを──まだ見ぬ未来を示した少女を、殺害しようとした腕を。
「き、貴様は……最初から、このことを知って……」
震える声で尋ねるノイエ。
その声色が、突然ガラリと入れ替わる。
『貴様、よくも邪魔を……!』
「良かった。なんとか間に合ったね」
幼い怒声を受け流して立ち上がる背中を、フジノは驚きと共に見つめていた。
二人の間に瞬間移動し、ノイエの右腕をつかんで白い閃光の発射方向を変えたのは、かつて同じ方法でアインスを殺害させられた青年──スケア。
「スケア……!」
「怪我はないかい、フジノ」
短い問いに、沈黙で答える。
スケアはわずかに微笑むと、ノイエの右腕を締め上げた。
「そう何度も同じ手が通用すると思っているのか、エンデ! これ以上、貴様の思い通りにはさせない!」
ノイエは信じられなかった。脳内の通信機を通じて、自分を何者かが支配している。
「こ、この通信機……まさか、こんな機能があるなんて……これじゃあ、これじゃまるで……うるさいのよ、この出来損ないがっ!』
ノイエの身体がまたも動き、スケアに蹴りを放とうとする。
刹那、スケアがノイエの溝落ちに拳を叩き込んだ。続いてフジノがノイエの額をつかみ、極少の魔法弾を撃ち込む。
(……僕は、僕達は……量産型と同じ……コントロールされていたのか……?)
脳内の通信機を破壊され、エンデの支配から解放されて。
スケアとフジノの腕に抱き止められながら、ノイエは意識を失った。
一方、アートとグラフもノイエの身に起きたことに気づいていた。
「そんな……俺達は、独立した部隊じゃなかったのか……?」
「ま、そんなとこだろうとは思ってたが……」
アートに比べて、割と冷静に呟くグラフ。
と、アートの身体がビクンと震えた。
「アート? どうした……」
「こ、これは……どけっ! お前のような不良品に用はない!』
「なっ!?」
アートがF.I.R.を振り上げ、グラフに炎を放つ。
更に、その身体は輝き始めていた。
「しまった! 彼に乗り移ったか!」
「自爆するつもり!? だったら、もう一度相殺してやる!」
フジノが光の翼を大きく広げる。
「いや、違う! あれは……体内の魔力炉を暴走させているんだ! 外側からでは相殺できない!」
スケアはノイエをフジノに託すと、L.E.D.を手に駆け出した。
「フジノ、彼を頼む!」
『ハハハハハハッ! これでも内側で爆発させれば充分にブリーカーボブスを落とせるわ!』
ブリーカーボブス内部に通じるゲートに向かって移動しながら、アートが──アートに侵入したエンデが高らかに笑う。
やがて辿り着いた先、侵入しようとしたゲートの前にスケアが立ち塞がった。
「アート君、やめるんだ! 自分の意識をしっかり持って!」
「だ、黙れ……貴様は、貴様は敵だっ!」
魔力炉が暴走した状態でスケアと戦わされ、苦しそうに喘ぎながら叫ぶアート。そこにグラフも参戦してきた。
「アート、よせ! 操られたまま死ぬんじゃない!」
『黙れ不良品! お前たちクラウンはハイムの敵を倒すために』
「お前が黙ってろ! 俺が話をしてるのはアートの方だ!」
『な……!』
グラフの剣幕にエンデが怯む。
「アート、聞こえるな!? よく考えろ、お前が今ここで自爆したらどうなるか! 確かに情報局を壊滅させることはできるかもしれない、だがノイエも死ぬことになるんだぞ!」
グラフの言葉に、アートの顔が強張る。
「お前が守ろうとした兵士としての誇りは、それで本当に守られるのか!? 最後まで戦うこともできずに一方的に巻き込まれて死んでいくことが、ノイエに相応しい死に様だっていうのか!」
「アート君、君達はまだすべてを知っていない!」
スケアも必死に説得を続ける。
「この広い世界には、君たちの知らない素晴らしいことが沢山あるんだ!」
「……う……だ、まれ……黙れ黙れぇっ!」
炎と風を無差別に放出しながら、血を吐くように叫ぶアート。どうやらエンデはフジノの時と同じように、アートの心の中にある負の感情を増大させているようだ。
「スケア、そこから離れて! 今ならツェッペリンで……!」
「ダメだ!」
カシミールを制してスケアが叫ぶ。
「彼らを殺してはいけない! 彼らは何も知らないだけなんだ!」
「だったら、やっぱり凍結させるしか……!」
ようやく戦艦の凍結を完了し、参戦しようとするオードリー。その時、独立軍の撤退していった方向から地鳴りのような音が聞こえてきた。
「……何、この音……?」
/
「これは……まさか!? ア、アステルの風です!」
「バカな、この海域でアステルの風だと!?」
職員からの報告に驚くケイ。
パティは即座に判断を下し、マイクを握り締めて叫んだ。
「みんな、すぐに戻って! アステルの風よ、巻き込まれるわ!」
/
「カシミール、急いで!」
オードリーが真っ先に戻り、
「ルルド! ルルド、ちゃんとつかまりなさい!」
カシミールもルルドを連れて中に入ろうとする。しかし、
「ダメだよ、みんなを助けなきゃ! パパ、ママぁっ!」
ルルドがフジノを『ママ』と呼んだ途端、カシミールの顔色が変わった。ルルドを強引に抱え込み、ブリーカーボブスの中に逃げ込む。
「ママ!? 放してよ、ママ! ママっ……!」
直後、アステルの風がブリーカーボブスを直撃した。
『クッ、何だこれは!?』
エンデは予想外のことに驚きながらも、何とか体勢を立て直そうとしていた。しかしアート自身の機体に損傷が激しく、まともに立っていられない。
「アート、許せ!」
グラフが右腕を突き出す。
瞬間、グラフの右腕が爆発的に膨張した。通常よりも遥かに多い数十本の鎖に変化し、アステルの風の流れをものともせずに凄まじい勢いで全方位からアートに殺到、周囲の外壁ごと吹き飛ばす。
アートはそのまま意識を失い、アステルの風に巻き込まれていった。
/
「あいつ、あんな技を……しかも、それを仲間を救うために使ったか」
モニターで外の様子を見ながら、バジルが呟く。
「だがどうするつもりだ、次に乗っ取られるのは自分だぞ!」
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途端、グラフの身体がビクンと揺れた。
『ええい、この出来損いの人形ども! お前たちなんか大嫌いだ!』
グラフの唇が動き、エンデの声が響く。バジルの予想通り、エンデがグラフに侵入したのだ。グラフの身体もまたアートと同じように、自爆に向けて輝き始める。
「グラフ君!」
「来るな!」
スケアが駆け寄ろうとした途端、グラフ本人が叫んだ。
「来るんじゃない! こいつは俺が引き受ける!」
「しかし……!」
『引き受ける? この状態でお前に何ができるって言うのよ』
グラフが再びエンデと入れ替わる。
『まったく、自分の身を犠牲にしてまで他人を助けるなんて、スケアといいお前といい、不良品の考えることは理解できないわね。どうせいつかはみんな死ぬのに、何でわざわざ危険を冒してまで助けようとするのよ?』
と、エンデとグラフが再度入れ替わった。
「仲間だから……って言うと、怒るんだろうなぁ、アートの奴は……」
「グラフ君……」
驚きを隠せないスケア、
「……あいつ……」
ノイエを抱えながら呟くフジノ。
『くだらないお喋りはそこまでよ! さぁ、メルクの連中と一緒に死ぬがいいわ!』
グラフの輝きがいよいよ強くなる。
しかし、その時。
「嫌だね!」
グラフはエンデの支配を精神力で押し返し、外壁の端に向かって歩き始めた。
「エンデとか言ったな。あんたが何者かは知らないが、そんな命令に従う気はない!」
『な、何をするつもりだ!? くっ、止まれっ!』
再び身体の支配権を奪おうとするエンデ、しかしグラフの歩みは止まらない。やがて外壁の宙に張り出した所まで行くと、
「自分の死に場所は……自分で決める!」
グラフは身を投げ、アステルの風に巻き込まれていった。
/
「たいしたものだ。奴は兵士でも、戦士でもないな」
「? じゃあ何なんですか? バジルさん」
ネーナの問いに、バジルは笑って答えた。
「それ以上のものさ。君なら知ってるんじゃないかな? なにせ君は、素晴らしく男運に恵まれているからね」
ネーナはレムの車椅子を修理している支店長と、近くで気を失っているグッドマンに目を向けると、嬉しそうに微笑んだ。
「……ええ。そうですね」
一方、レムは再び“何か”を感知していた。
「これは……まさか……!」
/
「全通気孔及び隔壁を開放! 早くしなさい、圧力差で潰されるわよ!」
危機は去ったと判断したパティの的確な指示の元、ブリーカーボブス内部にまでアステルの風が流れ込んでくる。
途端その騒ぎに乗じて、量産型クラウンが一体ブリッジに飛び込んできた。その身をオードリーの氷槍に貫かれながら、完全には機能停止していなかったらしい。
騒然とするブリッジ、職員達が騒ぐ中、ケイが咄嗟にパティを庇う。しかし次の瞬間、量産型はケイの目前で真っ二つに切り裂かれていた。
「まーったくルルドったら、私達を置いてさっさと瞬間移動しちゃうんだから!」
今度こそ完全に機能停止し、倒れる量産型。
その背後から現れたのは、
「久しぶりねパティ、遅れてごめん!」
「ジ、ジューヌ!」
「今、モレロ兄さんが外壁に向かってるわ。アステルの風の中を怪我人を抱えて進むには、私じゃパワーが足りないからね」
微細な振動を続けるブレードを片手に微笑むと、ジューヌはメインモニターに──そこに映し出されている翼持つ少女に目を向けた。
「何て複雑で美しい波長。成長したわね、フジノ。これじゃあ先生失格かな」
言葉とは裏腹に、嬉しそうに呟くジューヌ。
と、その時。
いまだ外壁に残っているフジノ、ノイエ、スケアの周囲に、突然稲妻のようなものが飛び交い始めた。
/
「何だ? これは一体……」
「フジノ、早く中に入るんだ!」
嫌な予感に、スケアは急いでフジノとノイエの元に戻ろうとした。
と、飛び交っていた稲妻の一部がスケアとフジノの中間辺りに集中し始めた。稲妻は徐々に何かを形作り、やがてノイズの激しい三次元ホログラムのような状態で、髪の長い女性の影が出現する。
「エンデ……!?」
「まさか、媒体なしで力を行使できるのか!?」
驚愕するフジノとスケア。
途端、周囲の稲妻が両者に襲いかかった。スケアは咄嗟に跳躍して逃れようとするが、
「くっ、しまった……!」
バランスを崩したところをアステルの風に巻き込まれてしまう。しかし次の瞬間、誰かがスケアの身体を受け止めた。
「モレロ!?」
「ふぅっ、間一髪間に合ったな!」
「すまない! ……フジノは!?」
フジノは光の翼でその身を覆い、障壁と成して稲妻の侵入を阻んでいた。新たな力に目覚めた今のフジノが簡単に敗れるとは思えないが、ノイエを庇ったままでは攻撃に転じることもできず、分が悪いのは明らかだ。
「スケア、お前は戻ってろ! あの二人は俺が何とかする!」
「し、しかし……!」
『逃がしはしませんよ……私の可愛い子供たち……』
「…………!?」
突然響いた“まったく聞き覚えのない”声に、スケアの背筋を冷たいものが走る。
「今の声……まさか、あれは……!」
その時。
「待ちなさい、エンデ!」
荒れ狂うアステルの風の中、アイズとトトが進んできた。
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トゥリートップホテルの船の中。
南方回遊魚から帰ってきたコトブキは、慌てふためいている従業員達をよそに自室に戻り、勝手に一番いいワインのボトルを開けていた。
「やれやれ、情けないクルーだな。若い頃に遭った嵐はこんなもんじゃなかったぞ……それにしても」
コトブキはワインをグラスに注ぎながら呟いた。
「長生きはするものだな……まさかもう一度“彼女”に会えるなんて。初めて会った時から似ているとは思っていたが、今はもう“彼女”そのものだ……若い頃に戻ったような気分だよ」
そしてワイングラスを掲げると、
「カイル、エリオット……君達は、どうなんだ?」
ゆっくりと飲み干した。
/
二人に気づいた女性の影がゆっくりと振り向き、歓迎するように言う。
『来ましたね、コープ……』
「…………!?」
女性の声を聞いた途端、アイズの内に眠る何かが警告を発した。
「貴女……エンデじゃないわね……?」
女性の影は薄く微笑むと、静かに言った。
『……R・O・U・N・D……』
刹那、周囲の稲妻の量が一気に増大した。
【グラフ最終攻撃】
右腕を構成する可変性鉱体のリミッターを解除し、意図的に暴走させる技。一度でも使えば右腕を失ってしまう、その名の通りの最終攻撃。
バジルとの対戦前に彼が呟いていた、「いざとなったら“アレ”を使うか」の“アレ”である。