第3話 歌唄いの少女
2009/10/3
挿絵を掲載しました
風が、闇を裂いた。
ズンッ、と鈍い音が響き、辺りに静寂が訪れる。
激しく痙攣するようにもがいていた男の身体が、やがてゆっくりと動きを止めたのを確認し、スケアは男の身体から腕を引き抜いた。
「……さあ、行きましょう。ここにいると危険です」
しかし、返事はない。
スケアは顔を上げ、目を覚ましたような表情を見せた。
トトが目を閉じ身体を小さくして、アイズの胸にしがみついて震えている。アイズはトトを庇うように抱きしめ、スケアから一定の距離をとり明らかな警戒の眼差しを向けている。
スケアは自分の腕に目を落とした。
「……また……やってしまいましたね」
数々の男達の身体を貫き、大量の液体にまみれた腕。床には己の操る風に全身を切り裂かれ、あるいはこの手に貫かれ叩き潰された者達の残骸が散らばっている。
「時代が変わり、どんなに月日が流れても、戦いに歓喜する私の心は変わらない……」
スケアは小さく微笑み、心の中で呟いた。
あれから11年……私はいつになれば、この終わりのない戦争から逃れることができるのですか……?
教えて下さい……アインス。
第3話 歌唄いの少女
大マスト地下での戦いは呆気なく終わった。
襲いかかってきた男達はスケアの放つ風の刃に切り裂かれ、あるいはスケア自身の手で貫かれ叩き潰された。
その傷口から吹き出たのは血ではなく粘つく油のような液体、中にあったのは肉ではなくパイプや金属部品だった。
「……スケアさん、貴方は一体何者なの? それに、こいつらは……」
油断なく身構えながら、アイズが尋ねる。
「人にあらざるもの……自らの意志を持たず、ただ使役されるだけの哀れな操り人形達です」
スケアは自嘲するように呟くと、表情を引き締めて言った。
「すべて説明してさし上げたいのですが、今は時間がありません。とにかく、ここから逃げましょう」
「敵は片付けたんじゃないの?」
「……いいえ」
スケアは身体の周囲に風を集め始めた。
「まだ終わりではありません」
その時、一人の女が微笑んだ。
白いマントに身を包んだその女は、人形のように空ろな目を微笑みの形に細め、大マストのメインシャフトに触れた。
月明かりのない夜の町に、幼い少女のような笑い声が響く。
瞬間、メインシャフトは崩壊した。
メインシャフトの崩壊と共に、轟音と残骸を撒き散らし、大マストそのものが崩壊してゆく。
そんな中、雨のように降りそそぐ破片をスケアの風で吹き飛ばしながら、アイズ達は脱出に成功していた。
「危なかったわね!」
片腕を眼前に掲げて砂埃を遮りながら、アイズが叫ぶ。
「まだ終わりではないようです!」
スケアの言葉を待っていたかのように、アイズ達の周囲に凄まじい人数のマントの男達が現れる。スケアはアイズとトトを抱えると、跳躍して男達から距離を取り、近くにあった車のそばに着地した。
「お願いしますアイズさん、彼女を連れて町を脱出して下さい! 北に進めば私の仲間と合流できるはずです!」
「でもこの車、鍵がかかってるわ!」
スケアは無言でドアを引きちぎると、ボンネットを腕で貫きエンジンをかけた。
「さあ、早く!」
アイズとトトを乗せた車は、大マストを失って騒然とする町を突っ切り、北に向かった。
その時、アイズは重要なことを思い出した。この町は空中に浮かんでいるのだ。
200年代に入って急速に科学技術が発展し続けている現在、大抵の車は路面状況に左右されることのない浮遊機構を備えていたが、空が飛べるわけではない。下は砂漠だし、アステルの風に包まれている状態だから落ちても死ぬことはないだろうが、それでもやっぱり恐いものは恐い。
「だからって、迷ってる暇はないよね……行くわよ!」
自らを奮い立たせるように声をかけ、更にスピードを上げる。
トトはそれまで無言でアイズの体にしがみついていたが、ふと何かに気づいて声を上げた。
「いけません、そっちに行ってはいけません! そこには……います!」
次の瞬間、前方の地面に亀裂が走り、岩盤が車ごと突き上げられた。
白い人影が地面の中から飛び出し、アイズ達の車に迫る。
『ダメぇっ!』
トトが叫んだ。アイズの頭に直接響いてきた、あの声で。
途端、一陣の突風が吹き抜け、周囲の空間から泡が吹き出した。
アイズは知らなかったが、それはアステルの風の第二波。そして、空気と水とが再度分離を開始する瞬間だった。
泡の勢いは加速度的に増し、すべてを飲み込む上昇気流となる。
「アイズさん!」
追っ手を全滅させ、追いついてきたスケアは見た。分離する空気と水が巨大な竜巻となり、アイズ達の乗った車を巻き込む瞬間を。
車はまるで天の意志に導かれるように上空へと消えた。
「なんということだ……!」
その時、町が大きく揺れた。
大マストの崩壊と同時に、町を空中に安定させていたコントロールシステムまでもが崩壊したのだ。加えてこの気流の乱れ……このままでは町そのものが大地に激突し、壊滅してしまいかねない。
「……アイズさん……どうか、彼女をよろしくお願いします」
祈るように呟き、スケアは両腕を広げた。
刹那、風が変わった。
白いマントの女は竜巻に吹き飛ばされ、少し離れた建物の上に着地していた。
身体の具合を確かめるように、腕を伸ばしたり、上体を反らしたりする。
「あーもう、扱いづらいなあ」
女の口から、外見とは不釣り合いな幼女のような声が漏れた。
「アステルの風のせいね、きっと……ここは動きにくいわ。それがわかっててトトをここに隠したのね」
女は不機嫌そうに呟いていたが、ふと風の流れが変わったことに気づいて顔を上げた。
この空中に浮かぶ町全体が、一つの巨大な風の流れに覆われている。まるで町を守るように、バランスを保ち、ゆっくりと地上に導く風……その風の中心に一人の青年の姿を見つけ、女は口笛を吹いた。
「やるぅ。……ん~、今ならスケアを殺すのは簡単だけど、この風が止まるとこっちも危ないなぁ」
女はやれやれと溜息をつくと、
「かと言って、この風じゃ外には出られないし……仕方ない、しばらくおとなしくしてようっと」
その場から姿を消した。
一時間後。
空気と水は完全に分離し、町は無事海面に着水した。
翌朝。
「アイズさん。起きて下さい、アイズさん!」
「う……ん、もう少し……って……えっ!?」
眠い目を擦りながら目を開いたアイズは、目の前で絶世の美少女が大きな瞳を潤ませていることに気づいて飛び起きた。
「こ、ここは?」
「よかった……大丈夫なんですね……!」
状況を把握しきれていないアイズに抱きつき、泣きじゃくるトト。
「へぇ……じゃあ貴女、人間じゃないんだ」
しばらくの後、アイズは車を点検しながらトトと話をしていた。
「はい。私はプライス・ドールズNo.24『トト』……お父様のことは御存知ですよね?」
「悪いんだけど、知らないわ」
トトは目を丸くした。
「御存知ないんですか? 世界でも五本の指に数えられる科学者ですよ?」
「どうも私は、その世界ってのを知らないらしくてね」
「……えっと、えっと、えっと……」
「そんなに悩まなくてもいいわよ」
何と説明しようかと頭を抱えているトトを見て、アイズは微笑んだ。
アイズ達の乗った車は延々と続く穀物畑の中に落ちていた。
車に積んであった地図で見てみると、港町から砂漠を越え、低い山脈を挟んで更に北に大穀倉地帯があると記されている。
アイズは自分達の移動距離が100kmを超えていること、車の何処にも損傷が見られないことに驚いたが、それは竜巻が車を運び、車の浮遊機構がクッションの役割を果たしたのだと思うことにした。
世の中には自分の常識では計り知れない現象が数多く存在する。旅に出てわずか数日ではあったが、アイズはそのことを身に染みて理解していた。
だからアイズは、車の周囲の地面が大きく抉れていることについても深く考えることをやめた。考えてもわからないものはわからないのだから。
それはとても大きな手が車を運び、置いていった跡のように見えた。
「よし、点検おしまい! さて、これからどうしよっかなぁ」
車にもたれかかって、アイズは苦笑した。
「実はさ、貴女に会うことが旅の最初の目的だったのよ。だからこの先、何処に行けばいいのかわからないのよね」
「……あの」
トトはおずおずと提案した。
「でしたら、お父様を探すのを手伝っていただけませんか? 私一人では心細いですし……」
「うん、それはいいけどさ。お父さん──プライス博士だっけ? 行き先に心当たりでもあるの?」
「いえ……でも、他の兄姉に会えばわかるかも知れません。ほとんどの方はお父様の元を離れて暮らしていますし、私はあまり会ったことはないのですが……」
トトは地図の上の一点を指差した。
「ここに一人、姉がいるそうです」
大穀倉地帯の更に北に連なる、長大な山脈の一端。
そこにはヴァギア山脈森林地帯と書かれていた。
「お父様は生涯の課題として、人間を超える存在の創造に着手しました。今までに生み出されたプライス・ドールズは24人。私はお父様の最後の作品なんです。それがどうやら、悪い人達に狙われたらしくて……お父様は私をあの場所に隠し、御自分も身を隠されたんです」
車を北に走らせながら、アイズは更にトトから話を聞いていた。
プライス・ドールズとはプライス博士が手がけた“人の形をしたモノ”すべてを指す呼称であり、その特性は個体によって様々だという。全身を機械で構成された者もいれば、機械体と有機体の両方で構成された者、有機体のみで構成された者もいるそうだ。
唯一つ、すべてのドールズに共通するのが、人を超えた能力を有しているということ。
「ドールズ……の人って、みんなすごい能力を持ってるの?」
「はい。私達は皆それぞれに、お父様から特別な能力を与えられています。基本的な身体能力も、個人差はありますが、並の人間の比ではありません。あの高名なリードランスの円卓騎士に匹敵する方もいます」
「またリードランスか……」
「何か?」
「ううん、こっちの話よ。ところでさぁ」
アイズは尋ねた。
「トト達を追っていた悪い人って、どういう奴らなの?」
「詳しいことは知りませんが、お父様はよくハイムという言葉を口にしていらっしゃいました。国の名前みたいなんですけど……ご存知ですか?」
「……まあ、知ってるかな」
アイズは曖昧に答えた。
翌日、二人はヴァギア山脈森林地帯に到着した。
そこは巨大な死火山のカルデラに広がる森林地帯だった。生息する樹木は大きなもので直径百メートルにも及び、樹高も高層ビル級のものが立ち並んでいる。
樹木の内部は空洞になっており、人々はこの空間を居住区として、逞しく張り出した枝を道として利用していた。
配られていたパンフレットによると、特殊な景観と緑の豊富さもあって、大陸有数の観光地なのだという。樹木が階層状に積み重なって形成された森は奥に進むにしたがって深さを増し、中央部の底を見た者はいないそうだ。
「で、そのお姉さんは何処にいるわけ?」
森のレストランで一日ぶりの食事をとりながら、アイズは尋ねた。
「さあ?」
「さあって……」
「私も話を聞いただけですので……」
「顔はわからないの?」
「多分、見れば何となくわかるんじゃないでしょうか。24人しかいない姉妹なんですから」
「……普通24人もいないわよ」
呟きながら、アイズは財布の中を覗き、溜息をついた。
アイズの所持金は底をつきかけていた。一昨日の夜、トトの歌声を聞いて港町のレストランから駆け出したとき、荷物を置き忘れてきたのがまずかった。おかげでこの町についてから、旅(というか生活)に必要な道具を再度買い揃える羽目になってしまったのだ。
このままでは数日と待たずに路頭に迷うことになる。この辺りは観光地だからホテルは多いが、料金も高い。アイズは巨木をくり抜いて造られた高級ホテルを見上げながら呟いた。
「こうなったら、お金を稼ぐしかないわね」
「稼ぐんですか? どうやって?」
きょとんとするトトに目を向けて、アイズはニッと笑った。
「才能は有効利用しなくちゃね」
しばらくの後、町の広場にはアイドルのような衣装に身を包んだトトが立っていた。
「しっかり頑張ってよ、トト」
アイズはトトの衣装を揃えるために残りの所持金を使い果たし、すっからかんになった財布を振って笑ってみせた。
手っ取り早くお金を稼ぐ方法として、アイズはトトに歌を歌わせることを思いついた。彼女がアイズを呼び寄せた時のように、電波に乗せると追っ手に見つかってしまいかねないが、直接声に出して歌うぶんには問題ないだろうと思ったのだ。
意外なことに、トトは乗り気だった。
アイズは歌を歌うことに関して、彼女が貪欲なまでの意欲を見せることに少し驚いた。
「嬉しいです。こんな風に誰かに自分の歌を聞いてもらえる機会が来るなんて思ってもいませんでしたから」
「やる気じゃない。それじゃ、頼むわ」
トトの衣装を整え終えて、アイズが脇に退く。
目を閉じ、両手を胸の前でそっと握り締めて、トトは軽く息を吸った。
次の瞬間、その場にいたすべての人がトトの方へと視線を向けた。
同時刻、トゥリートップホテル・ヴァギア支店内。
「えっ? この歌声は……」
ホテルの通路を歩いていた女性が、外の歌声に気づいて走り出した。近くの部屋の扉を空け、中に入って窓際に駆け寄る。
と、そこに二人の男性が入ってきた。
「ひでーよ姉ちゃん、荷物持たせて先に行くなよ~」
「どうかしたのかい、ネーナ君?」
だが、ネーナは答えない。
男性の一人……背の高い二十代半ばのホテルマンらしき男は、同じ窓辺から外を見下ろした。
「ほぉ……これはすごい」
すぐ近くの広場に、かなりの人だかりができている。そしてその中心にいるのは、二人の少女だった。
美しく響く澄みきった歌声が、風に乗って運ばれてくる。
「支店長、部屋の用意をお願いします。それから、今夜のショーに予定していたステージをすべて変更して下さい」
「じゃあ、あの子があの?」
支店長と呼ばれた男性が目を丸くする。
「そうです。グッドマン、行くわよ」
「え? あ、おい姉ちゃん、荷物はどうすんだよ!」
きびすを返し、早足で階下に向かうネーナを追って、グッドマンも部屋から出て行く。
入れ替わりに、初老の男が入ってきた。
「どうかしたのですかな、支店長? ネーナ君達がえらく急いだ様子で出て行きましたが……おや、この歌声は」
「ああ、コトブキさん」
コトブキと呼ばれた初老の男もまた、トトの歌声に気づいて窓辺に寄った。
「あの子ですよ。ほら、少し前に連絡が入った……」
支店長が歌を歌っている少女を指差して言う。
しかし、コトブキの目はその隣──可憐な歌姫を見守るようにして立つ、一人の少女に釘付けになっていた。
「あの子は……」
トトが歌い終えると、辺りは深い静寂に包まれた。
……と、誰かが手を打ち鳴らし……やがて広場は、割れんばかりの拍手喝采で包まれた。
「さて、ウォーミングアップは終了です」
トトが満足げに微笑む。
「今ので?」
トトの実力と予想外の盛況に驚いていたアイズは、トトの言葉に更に面食らった。
その時、どやどやと人がやって来た。どうやら役人らしい。
「お嬢さん方、すぐにやめて下さい。この町で無届の街頭パフォーマンスを行うことは禁止されています」
「??? どういうことですか?」
「世の中には芸術を解さない人間もいるってことよ」
世俗に疎いトトに代わり、役人と交渉しようとするアイズ。
その時。
「ねえ、貴女。もしかしてトトちゃんじゃない?」
声をかけてきたのは、スマートなスーツに身を包んだ知的な美女だった。
「貴女は……ネーナ姉様……ですか?」
トトが驚いたように尋ね返す。
「もしかして、この人がトトのお姉さんの?」
「ええ、多分……顔を見たら、データベースから急に映像が出てきて……」
「なるほど、流石は姉妹ね」
感心したように頷くアイズ。
そこに更に一人の男が現れた。全身をカウボーイのような衣装で固めた、野性的な風貌の青年だ。
「姉ちゃん、どんどん先に行くなって……あれ? こいつは確か……」
男は背負っていた山のような荷物を降ろし、トトの顔をまじまじと見つめた。
「初めまして、トトです。グッドマン兄様」
「ネーナさん、彼女達はあなたがたの関係者ですか?」
「ああ、申し訳ありません。この子は私達の妹なんです」
話の腰を折られて戸惑っていた役人達に、ネーナは深々と頭を下げた。
「今夜のショーに出演するためにわざわざ来てくれたのですが、まだ舞台の準備が整っていなくて……私達とも入れ違いになってしまって、それでやむをえず外で予行演習をしていたんです。そうよね、トトちゃん?」
トトのほうを振り返り、ネーナがウィンクを飛ばす。
わけがわからないままもトトが頷くと、役人達はしぶしぶ引き返していった。
「ありがとう、ネーナさん。助かったわ」
役人達を見送って、礼を言うアイズ。ネーナはにっこりと微笑んだ。
「いいわよ、本当のことなんだから」
「へ?」
何のことかわからずに、顔を見合わせるアイズとトト。
「さて、忙しくなりそうですね。コトブキさん、至急重役会議の用意をして下さい。私は彼女達を迎えに行きます」
広場の騒ぎが鎮まったのを確認して、支店長が部屋を出て行く。
コトブキはしばらくの間、じっとアイズを眺めていたが、
「やれやれ、ついに娘に逃げられたか……今頃慌ててるだろうなぁ、エリオットの奴」
苦笑交じりに呟いた。