第15話 戦争[前編]
2009/10/4
挿絵を掲載しました
静寂に包まれていたコンサートホールに、バイオリンの美しい旋律が響き渡った。
チェロ、ピアノ、フルート、ハープ……幾多の音色が次々と加わり、一つの壮大な協奏曲を織り成してゆく。
ふと、バイオリン奏者の少女が演奏を止めた。
他の奏者もピタリと動きを止め、にわかにざわめきや溜め息がもれる。互いの演奏について意見を交わし、念入りに調律し、楽譜を見直し。
……と。
ひとけのない観客席から、一つの拍手が起こった。
驚いて顔を上げたバイオリン奏者の少女……リードランス王立楽団員のジューヌは、そこにいた蒼髪の青年の姿に思わず相好を崩した。
「……アインス!」
───280年 初春
始まりの地 リードランス王国が
未だハイムという名の共和国でなかった時代
第15話 戦争[前編]
「リハーサルっていうのはいいものだね」
アインス・フォン・ガーフィールドは言った。
「なんと言うか、一つ一つの音が大きな曲を作っていく過程がわかるからね」
「私としては本番にだけ来てほしいわね。未完成のものを聴かれても嬉しくないわ」
バイオリンの大きな鞄を抱えたジューヌが、少し不機嫌そうに答える。
二人は夕暮れの王都を歩いていた。練習を終えて宿舎に向かうジューヌを、アインスが送ることにしたのだ。
「……ねえ、ジューヌ」
王立楽団の宿舎が見え始めた頃、アインスは切り出した。
「君に一つ頼みがあるんだけど……いいかな」
「ん? 何? 無茶なお願いじゃなきゃ別にいいわよ」
「バイオリンを教えてもらいたい女の子がいるんだよ。今まで楽器に触れたこともない、まったくの初心者なんだけど……」
「ふーん……どういう子なの? 名前は?」
ジューヌの何気ない問いかけに、アインスは少し表情を曇らせた。
「孤児だよ。今年で12になる……旅の途中で引き取ったんだ」
「名前はフジノ・ツキクサ。僕達で名づけた」
以降、フジノはジューヌのもとでバイオリンを習うようになる。
フジノはすぐさま演奏技術を身につけた。
最初は喜んでいたジューヌだが、やがてあることに気づく。フジノは確かに上手いのだが、感情や情緒といったものを表現することができていないのだ。
そのことを指摘すると、最初は努力していたフジノだが、繰り返し注意されるうちに荒れ始めた。ちょっとしたミスをするだけで機嫌を損ね、部屋を滅茶苦茶にして出ていってしまう。
アインスとジューヌはしばらくフジノの情操教育に力を注いだが、その成果は一向に現れる気配を見せなかった。
───280年 春
「あれ、アインスじゃないか」
王宮の書庫に入ったアインスは、頭上から声をかけられて振り向いた。
「ああ、リード」
「どうしたの、こんなところに……あ、その子は」
リードは脚立の上から飛び降りた。
「こんにちは、フジノ。今日はお勉強かい?」
しゃがみ込み、頭を撫でようとしたリードから慌てて逃れ、フジノはアインスの背後に隠れる。
特に気分を害した様子もなく立ち上がったリードに、アインスは苦笑交じりに尋ねた。
「リードこそ、何を読んでいたんだい?」
「ああ、ちょっと面白い本を見つけてね……リードランスの建国以前、君の一族が、まだ狩猟民族だった頃の剣闘術が記されてるんだ」
「へぇ……ご先祖の剣闘術か。面白そうだね」
「どう? ちょっと試してみたいんだけど、後で相手してくれるかなぁ」
「ああ、じゃあ2時間後に訓練場で。さぁ、今日は何を読もうか、フジノ」
勉強の後、訓練場で試合をするアインスとリード。そこにはアインスについてきたフジノの姿もある。
試合は一方的な展開となった。剣技と足技、複数の魔法の矢を複合したリードの剣闘術に手も足も出ないアインス。フジノがハラハラして見守る中、アインスの剣が宙を舞い、決着がつく。フジノが急いでアインスに駆け寄ったが、アインスは清々しい表情だった。
「すごいな、かなり完成度の高い剣闘術だ……とても何百年も前のものとは思えない」
「アインス、大丈夫かい?」
手を貸して起き上がらせようとするリードをキッと睨みつけ、フジノが自分でアインスを立たせる。
「やれやれ、すっかり嫌われちゃったかな」
アインスとリードは苦笑いを交わす。
だがその日以来、フジノはリードや騎士達の訓練を頻繁に見学するようになった。
ある日のこと、一つの事件が起きた。
アインスとリードの試合中、アインスが敗れそうになった時、突然リードを魔法弾が襲ったのだ。
それはフジノが発射した魔法弾だった。いつも騎士達の練習を見ているうちに、見様見真似でできるようになったのだ。驚いて魔法弾を避けるリードに、フジノが飛びかかる……が、流石にかなうわけもなく、あっさりと羽交い締めにされてしまう。
事件の後、アインスに叱られてぶすっとしているフジノに、リードは微笑みかけた。
「君はアインスを守ろうとしたんだよね、フジノ。でも、心配しなくても、僕はアインスを殺したりはしないよ」
フジノはムッとした表情でリードを睨んでいたが、こんなことを言った。
「リード、戦い方を教えてよ。あたし、リードより強くなってアインスを守る!」
フジノは日に日に上達していった。アインスがフジノの戦闘訓練を認めたのは、魔力を正しく制御する方法を知っておかないと危険だと判断したからだ。
「おお、やってるなぁ」
城壁の補修作業をしながら、モレロは訓練場の様子を眺めた。
そこではフジノが、一人の少女と試合をしていた。
彼女の名はラトレイア。弱冠16歳にして王国騎士団長を勤める、王国史きっての天才少女である。その彼女を相手に、12歳のフジノは果敢に挑み、何度倒されても諦めず立ち向かっていた。
全力を振り絞って戦っている時のフジノは、他のどんな時よりも生き生きとして、楽しげに輝いているのだった。
───280年 夏
「どうだい、ネーナ」
「ダメです……やはり通じません。通信が途絶えてから、もうすぐ1時間……どうやら回復の見込みはなさそうですね」
中央管制室長ネーナ・ブロッサムは、機器を操作する手を休めて答えた。
そこはリードランス王国のすべての通信機能を管理する中央管制室だった。彼女の背後にはプライス博士、ペイジ博士の姿もある。
「もうじきグッドマンが現場に到着するはずだ。そうすれば、何かつかめると思うのだが……おっと、噂をすれば、だ」
プライスの言葉に重なるように呼び出し音が鳴り、モニターの一つにグッドマンの顔が現れる。
『これはやばいですよ、父さん。国境警備隊が全滅しちまってるんです』
「な……全滅!? どういうことだ!?」
ペイジが声を荒げる。
『ここに来る途中、城に向かっている武装した連中を見かけました。多分奴らの仕業じゃないかと……見て下さい』
グッドマンの顔が消え、砦の悲惨な状況が映し出される。
「グッドマン、すぐにそいつらの元に向かって頂戴。こちらの態勢が整うまで、できる限り足止めをお願い」
『おいおい姉ちゃん、俺の力を信用してねぇな? あんな奴ら、俺一人で蹴散らしてきてやるよ』
ネーナの言葉に笑って答え、グッドマンは通信を切った。
数時間後、グッドマンが全身傷だらけになって帰還する。
「冗談じゃねぇぜ、あいつら10万を越える大軍勢で押しかけてきやがった……!」
「避難するなんて嫌だよ、あたしも戦う!」
「ダメだ! 僕は君に戦ってほしくない」
アインスは厳しく言い放った。避難を促したアインスに対して、フジノが戦場に出ると言い出したのだ。諦めようとしないフジノと王城の廊下で言い争っているところへ、ラトレイアがやってくる。
「アインス王子、出撃の準備が整いました。これより制圧に向かいます」
「ああ……頼んだよ、ラトレイア。何としても食い止めてくれ」
「はっ。それでは」
踵を返し去ってゆくラトレイア。その後ろ姿を、フジノは羨ましそうに見つめていた。
リードランス王国とハイムの内戦が始まった。ハイムは情報を駆使して王家を悪者に仕立て上げ、民衆を味方につけてしまう。各地で反乱が起き、リードランス王国は苦しい戦いを強いられる。
そんな中、ラトレイアが重傷を負って戦線から外れた。その過程には、幾多の人々の願いと野望が複雑に絡み合う出来事が数多くあったのだが、それはまた別の物語である。彼女という支柱を欠いたリードランス王国軍は、一気に追い詰められることになる。
ジューヌは王立楽団と、ネーナはプライスの知人と共に国外に脱出。
L.E.D.とツェッペリンがペイジの手によって生み出されたのは、そんな時だった。
「これ、何?」
アインスから一枚の書状を受け取って、フジノは尋ねた。
「救助隊の隊長に宛てた紹介状だよ。フジノ、君には今後、負傷兵の救助を中心とした任務についてもらう」
アインスは気乗りしない様子で答えた。
「救助? 戦いじゃなくて?」
不服そうなフジノ。
「そうだ。正直なところ、君には早く避難してほしかったんだが……そうも言っていられなくなった。ついさっき、プライス博士に呼ばれてね」
沈痛な面持ちで目を伏せる。
「……ラトレイアが、息を引き取ったそうだ」
「先生が!?」
信じ難い訃報に呆然となるフジノ。
しかしやがて、意を決したように顔を上げた。
「だったら……だったら、あたしが先生の代わりに出るよ! 先生の仇を討って、絶対にアインスの役に立ってみせる!」
「仇なんてものはいないんだ、フジノ」
アインスは、片膝をついてフジノと目線を合わせると、諭すように告げた。
「反乱の首謀者は既に倒れている。ラトレイアの命を奪ったのは、戦争そのものだ。そんなものに君を関わらせたくはない。何より、その必要もなくなったんだ。つい先日、ペイジ博士がL.E.D.を完成させてくれた。今はリードが戦線に出ている」
「リードが……?」
その名前を聞いて、途端に不機嫌な表情になるフジノ。
───280年 秋
ラトレイアが命と引き換えに反乱の首謀者を倒し、それまでアインスの護衛の任についていた近衛隊長リードがL.E.D.を持って参戦したことで、戦況は一変した。反乱は間もなく鎮圧され、また再発を防ぐためにアインス自身が各地を訪ね歩いた。
その早期解決の裏には、ラトレイアの前任の王国騎士団長、カイル・ハイドの活躍があった。彼は民衆に溶け込み、内側からアインスの味方を増やしていたのだ。アインスは彼に騎士団長の座に戻るように頼んだが、カイルは最後まで戦線には復帰せず裏役に撤した。
そしてツェッペリンは……。
「私は反対です」
アインスは言った。
「第一に、同じ人間同士で大量殺戮兵器を使用すれは、将来的にわだかまりが残ってしまう。結果として勝とうと、あるいは負けようとも同じことです。
第二に、これの出現は現在の軍事バランスを崩すことになってしまう。一度でも使用すれば我が国は世界中の脅威となり、他の国々はツェッペリンに匹敵する兵器の研究・開発に躍起になるでしょう。まあ、すべての国がこれらの兵器を持てば却って平和だという意見もあるでしょうが、そんなものは互いの喉元に剣を突きつけあっているようなものです。それに人間のすること、どんな間違いが起きるか知れません。
第三に……極論かも知れませんが、自分の殺した相手の顔がわかるくらいの戦いがちょうどいいのではないでしょうか。自らの信念を持って戦い、そして犠牲になった者のことも忘れずにいるべきでしょう。一人一人が、より良い未来を築いていくために」
「では、やはり……」
ペイジは決意した。
「ツェッペリンは凍結か」
【ラトレイア・アメティスタ】
享年17歳。淡い金色の長髪と瞳。
リードランスの円卓騎士筆頭であり、王国最後にして最年少、就任当時15歳の王国騎士団長。騎士の称号を得たのは10歳の頃で、こちらも史上最年少の偉業。
何よりも格闘技に長けており、魔法と剣技の統合を目指す騎士の中では異色の存在だった。
フジノが剣を使わないのは、年齢が近く、また数少ない同性であったラトレイアと、ほとんど毎日のように戦っていた影響。フジノの上達には目を見張るものがあったが、当時のラトレイアも成長過程にあり、フジノがラトレイアに勝利する日は来なかった。
余談だが、ラトレイアとリードが戦ったことは試合も含めて一度もない。プライス・ドールズ初の戦闘型と数百年に一人と呼ばれる天才少女、一体どちらが強いのかは当時の王国を賑わす話題の一つだった。
フジノが師と仰いだのは、後にも先にもジューヌとラトレイアの二人だけである。
【カイル・ハイド】
280年当時30歳。
ラトレイアの前任にあたるリードランス王国騎士団長であり、『世界最強の騎士』と呼ばれた男。
友好関係にあったアインスの頼みで赴任したものの、間もなくラトレイアという後継者を見い出し、早々に騎士団長の任を降りた。
リードランスの敗戦後に姿を消し、現在は行方不明。