悪徳勇者誕生
この私、キーンは、かつて勇者でございました。
もちろん、今はもうそのような者ではございません。以前は勇者であった、などと言う事も、今の私にはおこがましく思われる程でございます。
一介の少年であったこの私に、ある日突然、女神が現れたのです。
その時、私はちょうど一日の農作業を終え、同じく農夫であった父と一緒に、夕暮れの中、帰宅の途中でございました。その時の私は、ちょうど17になったばかりの歳頃であったと、記憶しております。
畑から家までの道は、ちょうど馬車がすれ違うことが出来るか出来ないか位の、周りを木々に囲まれた、静かな道でございました。かつての私は、この家までのそれほど長くもない道を、仕事帰りに父と歩くのを楽しみにしているような、そんなどこにでも居る、普通の少年でございました。
農具を肩に担いで帰る私と父の前に、突如として白い炎が現れたのでございます。その白い炎は、眩いばかりの光を放っておりましたが、不思議と熱は何も感じませんでした。
その白い炎は、私と父の前、およそ5メートルほどの距離でございましょうか、そのくらいの距離の所に、ちょうど人の背丈と同じ程の大きさで、その炎の舌を揺らめかせておりました。
驚いて手にしていた農具を周りに落としてしまい、腰を抜かして尻もちを付いている私と父の前で、その炎は段々と姿を変え、やがて一人の女性の姿を取ったのでございます。
その女性は、燃え盛る炎のように白く輝き、衣服もまた白く光っており、そしてその衣服から出ている顔や手は、まるでその向こう側が透けて見えるような、そんな不思議な、半透明の御姿でございました。
彼女は、私に向かって話しかけ、その名を名乗り、我は女神アタナスフィアであると、そう言われました。
彼女は、この私が勇者として選ばれた事、そして近い将来この世にやって来るであろう魔王を私が倒すべき事、そのために私には力が与えられるであろう事、そのような事を私と横に居た父に告げられたのでございます。
それだけ言葉を告げられると、その白く輝く女神は、一振りの白い刃を持つ剣を残し、不意にその姿を消しました。その残された剣こそ、現在はその女神の名を冠する神剣、アタナスフィアと呼ばれている、あの剣でございます。
その剣は、何故か私にしか持つことが出来ませんでした。他の者がその剣を持とうとすると、剣の柄が熱くなって柄に触れるものを何であろうと燃やし始めてしまい、誰かが手袋をしても、とても持てるものではない程でございました。
驚いた父は、これはきっと神のお告げに違いないと興奮し、未だ驚きから覚めやらぬ私に剣を持たせ、自らは私の分の農具を肩に担ぎ、急いで私を連れて家に帰ると、このことを家族と周りの村人に広めました。
それがこの私、勇者キーンの誕生の経緯でございます。
程なくして、魔王がこの地に現れ、人々を襲い始めたという話が、私のいる村までも届いて来ました。
私は、その女神から頂いた剣を持ち、村の周りに現れた魔物を退治致しました。
剣は、まるで意思を持つかのように魔物を断ち滅ぼしました。その時に気が付いたのでございますが、この私自身も、信じられない程に体が強くなっていたのでございます。
私は、強くなった身体で神剣アタナスフィアを振るい、多くの魔物を退治致しました。
父は、これは女神の祝福に違い無いと喜び、私の名はたちまち近隣の村々まで知れ渡りました。
そして、その名は国王の耳にも入り、国王は私のいる村へと使いを寄越し、私は王の元へ行くことになりました。
王都にて、私は王から勇者であると認められ、魔王を倒すように依頼を受けました。そして、魔王を倒してくれたならば、その暁には王女のうちの一人を私に妻として与え、王族の一員として私を迎えると、王は私に言ったのでございます。
私はその言葉を受け入れ、勇者として魔王を倒す旅に出ました。
魔物たちは、神剣アタナスフィアを持つ私の敵ではございませんでした。
私は、苦もなく魔王のもとへとやって来ると、暴れ回る魔王……それは、大きな竜の魔物でございました……それを、一刀のもとに両断し、倒したのでございます。
その時私は、自らの持つこの強大な力に酔い始めておりました
今になって振り返れば、あの時が、悪徳勇者キーンの誕生であった……そのように私には思われます。
あの時、自らの持つこの強さが、自分由来のものでは無いという事を理解出来ていれば……と、思われてなりません。