阪口家の事情
夕食後、法子は早速、宣言した。
「私、明日からお社で巫女をします」
「バカ言うな、おまえは高校生活がある」
父の反応は予想通りだ。
「学校帰り二時間、お社に行きます」
「冗談じゃない。私立進学校なんだ、入れたからといってうかうかしていると落ちこぼれる」
そう言っても父が反対する理由は勉強のことじゃない。だから法子は引き下がるつもりはない。
「中間テストで結果出します。クラスの平均とればいいですか? 全科目八十点以上?」
ここでひるみを見せてはいけないと知っている。
「法子、お父さんの気持ちも考えてあげて」
母親がそんなことを言う。
法子の恋情を知っていて、自分だって信也さんのこと大好きなくせに。
「あんたのお祖母ちゃんは信者じゃないの。一族でもないのよ」
法子は「それがどうしたの?」という言葉を呑み込んだ。
「お母さんはどうなの?」
「私は……一族ではあるけれど、この家に嫁いできたからには信者ではない……」
「嘘つき」
「法子、母親に向かって何て言い草だ」
祖父が口をはさんだ。
――お祖父ちゃんまで敵に廻すかもしれない。お願い、私の頭、働いて。
「私のお祖母ちゃんは聖なる女性のひとりです」
大人三人が真っ青になった。食後の団欒の茶の間が凍りついている。
阪口の祖母、父方の祖母は確かに「外の人」でお社とは関係ない。父はその立場を受け継いでいる。
母方の祖母平野智子は熱心な氏子出身で、「聖なる女性」と呼ばれている。詳しいことは知らない。
一緒に巫女をしていた井村妙子さんが直系の長慶彬文さんと結婚し、「聖女になった」とお社で聞いた。
父親の井村社務長は誇らしげで、自分の伯母も娘も「聖女」だと。
宗家神官と結婚すれば「聖女」なのだろうと思ったから、彬文さんのお母様、「小夜子さまも?」と訊いた。すると井村さんは、
「そうだね。それからもうひとり。宮津の智子さん。のりちゃんのお祖母ちゃんだね」
と答えた。
父方の祖父は宗家じゃない。平野真という。だからどうして祖母が聖女なのかはわからない。信也さんを迎えに行った高校教師の航さんは平野航で、ふたりの孫だ。
――でも今は、使えることは何でも使う。私はお社に行く。信也さんの近くにいるために。
母が泣きだしてしまった。いつも明るい母が。
法子からみると母親は、自分と違って誰とでも仲良くできる器用な人だ。
信心に絡んで皆それぞれの立場をとる親戚に囲まれて、板ばさみになっても笑顔ですり抜けるのが普通なのに。
「私が信心をするかどうかは私の自由だと思います」
信教の自由、このスローガンを出せば誰も否定できない。
祖父が「うちの宗教のこと何も知らないくせに」と突っ込まない限り、勝算がある。
「宗教とは関係ないんじゃないのか?」
突っ込んできたのは父だった。
お店のことで忙しくて、自分のことなんてそこまで気にしてないだろうと法子は高をくくっていた。
「信也のことなんだろう? だが、信也がいるからこそ私はおまえを社にやりたくない」
「なぜ?」
「信也に近付いて欲しくない。おまえはその『聖女』とやらになりたいのか?」
「克也!」
お祖父ちゃんが声を上げた。驚いた。でも次の声はもう落ち着いていた。
「克也、信也はどれ程おかしかろうが、法子に危害を加えはしない。『聖女』なんて考え、頭にない。それはおまえもわかっていることだろう? そして信教の自由、法子の選択を止める権利は私たちに無い」
「やはり父さんは社側の人間だ」
「違う。信也は私の孫だ。救えるものなら救いたいだけだ」
「じゃ、そそのかしたのは父さんか?」
「違う」
また沈黙が過ぎる。法子は用意をしていた妥協策を口にする。
「学校帰りに好きな神社に立ち寄ってお参りする。それだけは誰にも止められないと思います」
「夕食までにちゃんと帰ってきて」
まだ涙声の母が言った。うちの夕食は祖父に合わせて七時と早めだ。でも十分な時間がある。父はお店が忙しいと戻れなかったりもする。
自分の選択が祖父、父、母、それぞれの痛みを抉った気がした。でも細かいことは誰も説明しない。だから、押し切るしかない。信也さんのことは、譲れない。