滝池の人
滝池の横にそびえる岩の洞窟のほうから声がした。
「嫌だ、姉さんとばっか踊りのけいこ行っちゃいやだ! 僕といて。僕と一緒にいて。お願いだからひとりにしないで」
信也さんだった。痩せていたけれどジーンズ姿で、髪と髭がふさふさ、でも紛れもない、信也さんだった。よかった。
お祖父ちゃんは「法子、おまえは帰って学校へ行け」と囁いた。そして歌いながら踊り出した。
「我らが神は悲しき神、人の悲しみ背負う。背負いて共に歩む神。我と共に進め、はらから〜」
驚いた。祖父ちゃんが神官のように歌い踊るところなんて初めて見た。
信也さんは終わるや否や駆け寄ってきて、
「じいちゃんの下手くそ、お父さんは、お父さんはそんなじゃない!」
と叫んで祖父に縋りついた。
お祖父ちゃんは信也さんを両腕に抱きしめた。
「そりゃそうだ、青造のように踊れるのはおまえしかいない」
信也さんはそのまま泣き始めてしまった。
「じいちゃん、じいちゃん、じいちゃん、僕とうとうひとりだ、ひとりになっちゃった、じいちゃん……」
「ひとりじゃないだろう? 泰治だって加代だっている、奈緒子さんもお元気だろう? 皆がそっぽを向いてもまだ私がいるだろう? おまえがうちに来たときにちゃんとそう言ったぞ?」
「お父さんほど僕をわかってくれた人はいない」
「青造ほどではないにしても、みんな少しずつちゃんとおまえをわかっている。恐がらなくていい。いっぱい泣けばいい。大事な人がいなくなったのだから」
「泣いていいの?」
「泣けばいい。好きなだけ泣けばいい。おまえはそれだけの人を失ったのだから」
信也さんの慟哭が滝の断崖に響いた。
しばらくの間信也さんはしゃくりあげていた。
「じいちゃん、まだ僕のこと好き? 僕がいるから長生きしたいなって昔言った、今でもそう思う?」
「思うよ。信也が笑ってくれるならもっともっと長生きしたい。何も変わっていない。好きな人は好き、役に立たなくても好きなら好き。笑っていてくれるだけで長生きしたいって」
「うん、うん、うん……」
「私にだってわかってることがあるぞ、信也。明後日、ケーキが要るんじゃないのか? 奥の院でお誕生会したいんだろう?」
「うん、したい。ケーキ欲しい」
「ロウソクもたくさんだろう?」
「うん、すごくたくさん」
「どんなのがいいんだ? 加代に焼いてもらうか買いに行くかするから」
「白いの。イチゴが一周載ってるの」
「私や加代は招待してもらえるのか? それともふたりきりがいいのか?」
「ふたりがいい」
「わかった」
「いいの?」
「いいよ。私たちはうちでパーティすればいい。青造はもうどっちともに来れるだろう?」
「うん、たぶん。でも僕から奪らない? 僕のお父さん奪らない?」
「誰もとらないよ。青造はもう、お腹いっぱいになってもいくらでもケーキ食べれるんだよ?」
「そうだよね。もう取りあっこしなくていいよね。僕のお父さんであって、皆の青山さまだよね」
「そうだ」
六時を二十分過ぎていた。お祖父ちゃんがいてくれれば大丈夫だ。法子はそう思って、学校へ行く用意をしにうちに戻った。