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帰ってきた人  作者: 陸 なるみ
第六章 恋の行方
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ロッククライミング


 法子も八時半には巫女衣装に着替えて境内に足を運んだ。

 信也さんは水色の袴で、「何しようかなあ」とお社の回廊に座り込んでいた。


「お茶室に行けないって不便だよね。小川で遊んでも向こうから見えちゃうし、裏山に行こうか? のり子昨日たくさん食べたから、運動しないと」


「もう、太れって言ったり、痩せろって言ったり」

「うん、どっちでもいいって意味。のり子はのり子」


 ――どうでもいいって意味だよね、と拗ねたくなる。


 裏山も余り奥まで行ってしまうと、ピアノが聞こえたとき遠過ぎるんじゃないかと思った。突拍子もないことを言ってみるのが信也さんを惹きつける得策だ。


「滝池の上って登れるんですか?」

「白糸の滝の出るとこ?」

「ええ」


「登れるよ。でも滝の横を上がるんじゃなくて、林の中をぐるっと歩くだけ。見たらがっかりする」

「がっかり?」

「うん、あの滝ただのパイプだから」

「そうなんですか? 自然の滝じゃないの?」

「違うの。田舎の温泉のうたせ湯みたいにパイプ突き出てる」

「なあんだ」


「ガクッだよね。登るんだったら滝池の横の岩山に上がろうよ。ささっと登ればお茶の人たち気付かないよ。ロープなしのロッククライミングみたいで恐いかな?」

「私にできるか、やってみます」

 信也さんはのり子の積極さにちょっと首を傾げたけれど、立ち上がった。


 動物園の猿山のようにせり上がった岩々に貼り付いて、信也さんに緋袴のお尻を向けている。信也さんは足袋になった法子の踵を掴んで導く。


「左足をここの出っ張り、右手を斜め上、岩の角にかける。ぐいっと身体を持ち上げる」


 何てことに挑戦しているのだろう。岩山はお茶室から見える。奈緒子さんやさくら先生に見えているということだ。

 

 白と赤の塊りが中途半端な高さに蠢いて、ポーランドかどこかの国旗のようだろうか。


「ほら、もう一歩、右足がそこ、左手があっち、もう一頑張りで中間地点に出るから」


 信也さんが中間地点と呼んだところは、大岩が平らに横たわっていて、大人三人は並んで立てる。


「ここからは楽だよ、たんたんたんって上がれる」

 そこまで簡単にはいかなかったけど、法子は何とか頂上に着いた。中間地点の三倍の広さはあったが、柵も何もないから真ん中辺りに座り込んだ。


「恐い? 手繋いでいてあげるからゆっくり立ってごらん」

 信也さんはこの岩山の頂上に住んでいる仙人のように落ち着いている。


「こっちみて。滝池は深いんだよ。こっちなら落ちても死なない。足から水面突入すれば、怪我もしない」

 まるで飛び込んだことがあるような言い方だった。あるのかもしれない。


 池は静かに水を湛えている。白糸の滝の隠されたパイプも見えた。


 九十度身体を廻すと、その眺望に足がすくんだ。

 信也さんがくっと手に力を入れてくれる。

 

 足元直下は登ってきた地面。滝池から下の鏡池にそそぐ渓流が走っている。遠ざかるにつれ、地面がどんどん低くなるから、自分の位置は雲の上のように高く感じる。


 鏡池の向こうに小さくお茶室が見えている。左手半分は木々の合間にお社の甍が煌めいていた。

 

「天下を取った気分にならない?」

 信也さんが笑う。自分はそんな風には考えられないと首を横に振ると、

「じゃ、天女さまになって、空から降りてきたところ」


「だめです……」

「もう、のり子はほんと、遊び心が足らない。じゃ、寝転がって、腹這い」


 信也さんは腕立て伏せのように両手をついて、長い身体を伸ばすと、べたっと岩の上にへしゃげた。法子も恐る恐る信也さんの隣に横たわった。


「もう少し前、景色がちゃんと見えるところ。両腕開いて飛行機になるの」

「でも信也さんの身体があって、左手は……」

「左手は僕の胸の下」

 左手をおずおずと伸ばすと、うつ伏せの法子の顔の右横に信也さんの右手がきた。


「トンボの親子。すぃ〜んと空を飛ぶの。お腹だけで体重支えて両手両足を浮かせる。どう?」

 法子はほんの瞬間だけ身体を浮かせて、また岩にしがみついた。


「親子はヘンです。トンボの子どもはヤゴだから、池の中……」

「のり子の屁理屈。シオカラトンボとムギワラトンボって言ったらまた、真っ赤になるくせに」


 ――やられた。わざと間違えたんだ。


「目をつむってみて。さあ、飛んだ気分になれた?」


「はい……なれました」

「よし」


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