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帰ってきた人  作者: 陸 なるみ
第六章 恋の行方
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ホテルで


 書店を出ると結構いい時間になっていた。七時近い。


 お社のほうのだんどりはもうできただろう、後は帰るだけだと思ったら、信也さんが夕食に誘った。


「いつもお世話になっているので、お返しにご馳走します。おうちのひとのOKはもらいました」

 と妙に他人行儀に言って、すぐ近くに堂々とそびえ立つ有名ホテルに入っていった。


 法子は場違いな気分いっぱいで後に続いた。


「何でホテル? どこでもいいのに」

 と背中に問いかけると振り向いて、

「お刺身もステーキも食べたいんだもん。両方出てくるのがいいの」

 と答えた。


 下調べをしたのか、それとも高級ホテルのレストランメニューは大抵そうなっているのか、法子には判断がつかなかった。


 わかっているのは、お社の小さな食堂ではお刺身は出さないということ。その日何人の信者さんが食事するか、読み切れないからだ。


 趣のある窓辺の二人席に案内された。ガラス窓いっぱいにライトアップされた和風のお庭が見えている。


「のり子はレディース・セットにしなよ。何かおしゃれだよ」

 信也さんはどこに行っても信也さんなんだなあと感心してしまった。

 場の雰囲気にのまれもしないし、無理してかっこもつけない。少し子供っぽい話し方のまま上から目線にもならない。


 それに引き換え自分ときたら、レストランに入ったことがないかのように、あたふたしている。コースに分かれたディナーというものには確かに慣れていない。


 前菜を食べたところで信也さんはお手洗いに立った。法子がぼうっと窓の外を眺めていると、少し年配のウェイターさんが近付いてきた。


「失礼ですがお客様、ご同席の方とはどのようなご関係でしょうか?」

 質問の意図がよくわからなかった。そのまま答えた。


「あの、従妹ですけど……」

「ああ、おいとこさんですか」

 その人は頭を下げて遠ざかった。


 トイレから出てきた信也さんを若いウェイターさんが引き止めている。会話の内容は聞こえない。信也さんは頭を掻いて、微笑んで、ポケットを探してお財布を出し、カードか何かを渡した。

 心配になった。メニューの値段は安くはなかったから。


 ――大学生みたいだから、ちゃんとお金持ってるか疑われたのかしら?


 信也さんは席に戻ってくると、

「もう、のり子のせいだからね」

 と言って笑った。


「何が私のせいなんですか?」

「疑われたの。あ、しっ、黙ってて」


 ウェイターさんふたりが席に近付いてきた。

「大変失礼致しました、阪口様ですね、存じ上げませんで……」

「いえいえ、そちらもお仕事大変ですね」

 信也さんは得意のにっこり笑顔をした。戻されたカードは名刺のようだった。


「何とも、恐縮です、あの、お飲み物のほうはサービスさせて頂きますので……」


「そんなことをしてもらっては折角腕を奮ってくれるシェフの方に失礼になります。どうかお気遣いなく」

 ふたりは深々と頭を下げてから離れていった。


「何だったんですか?」

「のり子が楽しそうじゃないから。『こんなご馳走を目の前にしても、この後何されるか考えたら喉を通らないわ』と思ってる、可哀想な女子高生に見えたみたいだよ。僕はエンコー・おじさん」


「信じられない」

 法子は真っ赤になって顔を手で覆った。

「従妹だって言ったのに」


「まあみんな、親戚だって言うよね」

 赤の他人に、自分が信也さんとそういうことをする立場だと想像されたのが、異様に恥ずかしかった。

 奥底にそれを望む自分が存在することを、つきつけられた気もした。

 

「ほら、笑ってよ。このホテルに泊まると思われたんだよ。そこまでちゃんと目を配ってるんだから、いいところだよね」


「そりゃ、そうでしょうけど……」

 法子の動揺はまだ治まらない。信也さんはそれを見て取っておしゃべりを続けた。


「これの威力を久しぶりに実感した」

 親指と人差し指で挟んだ名刺をひらひらさせた。眼前に突き出されたので両手にのせて眺めた。


 厚手の上質の和紙に、お社の紋がサイズいっぱいに浮彫りしてある。その上に筆文字で「長秋神社 京都(きょうと)本社(ほんやしろ) 神官 冬仙(とうせん)」と書かれ、小さな御朱印がある。


「これ書くの大変なんだ、ちっちゃいし、でこぼこしてるし。禰宜(ねぎ)って書けって言われて断念した。神官で精一杯」


「ご自分で書くんですか?」

「うん、一応、神官直筆の決まり。うまく書けたら印鑑押してもらえるの。免許証も持ってきてないし、これを京都出身のどなたかに見せてくださいって言ってみた。まあ、ご紋もご紋だし、ちょっと黄門さまだね」


「え、お社のご紋ってそんなに権威がありますか?」

「また、すっとぼけて。のり子の家紋だって似たようなもんでしょ。阪口だろうが、女紋だろうが、元は長秋さまじゃん。長秋さまは天皇様の孫でしょ、だから源氏、のり子も皇族の末裔なんだよ?」


「え? 私が?」

「遡ればそうでしょ。長秋さまは帝になるより(がく)を奏でていたかったみたいだから、いいけどね。なんだ、それで源氏物語本気で読む気になったんじゃないの?」


「長秋さまも光源氏みたいに彼女たくさんいましたか?」

「いや、記録に残ってないんだ。息子がいるんだから奥さんいただろうけど」


「さあ、お皿たいらげないと次のお料理出て来ないよ?」

 信也さんに促がされて法子はワタリガニのパスタを食べ終えた。


 自分が『いいとこのお嬢さん』だと思われるのはそれなりの根拠があったんだと、メインを食べながら思い巡らした。

 もちろんそれは出自だけではなく、一族が神社を守り、曽祖父や伯父がしっかり神主を務めてきたからだろう。


 自宅に着いたら九時半になっていた。玄関は音がうるさいから裏木戸から入った。信也さんは買ったばかりの楽譜集を抱っこして、

「今日はベッドで寝ぇよう。朝出勤!」

 と言い、庭を抜けて隣に向かった。


 縁側から上がると母は笑っていた。その表情から、お社の細工はうまくいったようだと思った。

 

 困ったことに信也さんと一緒にいるのは楽しい。信也さんが子供でも大人でも、妖怪でも神主でも。法子をお嫁さんにしてくれなくとも。


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