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帰ってきた人  作者: 陸 なるみ
第六章 恋の行方
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おでかけ


 待ち合せは四時十五分に校門前だけれど、できる限り早く教室を出た。


「どうしたの、法子、今日は早いのね?」

 親友の()()がひやかす。


 神社に行くときはいつだって同じくらいの時間には出ていたのに、今日は自分のそわそわ加減が違うのだろう。友人たちには隠せない。


「待ってよ、置いて行くことないでしょう?」

 と言われてしまえば、無下に立ち去ることもできない。


 前庭辺りで生徒たちが騒いでいるのが玄関の大きなガラス扉に振動として響く。


「ああ、もしかして」


 ――信也さんはどんな格好で来たのだろう? 袴姿? ネクタイ? 小学生の半ズボンじゃないよね? 何でもあり得るところが怖い。

 

 部活のない三年生なのだろうか、大人っぽく髪も綺麗にいじっている人たちがあちこちに、三人、五人と固まって話している。


「あのひと、誰?」

「道の向こうからこっち見てるみたい」

 変質者に間違われているのだろうか?


「イケメンだよね、誰かの彼氏?」

 突然そう聞こえてドキッとした。立ち止まりそうになってしまった。

「どうしたの、法子。もしかしてあの男の人、法子の知り合い?」

 結衣の指摘にすぐには答えられなかった。

 

 信也さんは、校門の真向かいのパン屋さんと文房具屋さんの間、電信柱に寄りかかって、五月末の眩しい陽射しを浴びていた。


 髪が短くなっている。白いTシャツの上に無造作に羽織ったダンガリーシャツは腕まくりしてあり、下は黒のジーンズだ。キャンバス地のトートバックを肩にかけている。爽やかでお気楽な大学生に見えた。

 

「もしかしてあの人が、法子の従兄(いとこ)さん?」

 何もかもを話しているわけではないのに、親友は普段のおしゃべりを繋ぎ合せてかなりのことを把握している。


「そ、そうなの」

「きゃあ、これからデート?」


「ただの買いもの」

「それにしちゃ、今日一日中落ち着かなかったじゃない」


「いいでしょ、そんなこと」

「ほらほら、あんなカッコいい人待たせてたら、上級生に逆ナンされるよ。さっさと行きなって。じゃあね」


 ――カッコいいんだ。親友の目にも、信也さんはカッコいいらしい。


 普段よりたむろしている生徒が多く、校門の門柱を過ぎた途端、歩道の上で動けなくなってしまった。

 

 法子は背が高いほうでもないし、お社では髪をゆったりと肩で結ぶけれど、学校では頭の上でポニーテールだ。

 見つかるとは思わなかったのに、信也さんは道の向こうのガードを跨いで真っ直ぐに法子のほうに歩いてきた。


 ひそひそ話をしながら信也さんのほうをちらちら見ていた人たちは一歩ずつ後ずさりして、法子の周りにスポットライトのような空間ができてしまった。


 ガードレール越しに信也さんが話しかけた。

「お疲れ。恵美さんが制服暑いだろうから着替えなさいって持たされた。ブレザーこっちにちょうだい」


 そういうとトートの中から薄手のカーディガンを引っ張り出した。

「でも街に出るときは制服じゃないと」


「保護者と一緒なのに?」

 信也さんが面白そうに笑う。

「はい、かえっこ」

 周囲の女の子たちの目は気にならないらしい。


「久々に市バスに乗りたいんだけど、いい?」

「ええ、それが一番便利。バス停あっちです」


 京都駅行きのバスはいくらでも通る。でも通学に使う学生も多い。このままぞろぞろと女子学生に囲まれて学校の前の坂を下りることになる。


 ガードが切れるところまで法子は歩道の上、信也さんは車道、顔がいつもより少し近かった。


「今日はお昼からタイヘンだったんだから」

「大変、でした?」


「うん。奥の院にあったジーンズ、膝が抜けててカッコ悪かったから、離れへ戻って他の探してたら、恵美さんに散髪しろって言われて、これ持たされた」


「とってもカッコ良くなりました。私のトラ刈りのままってわけにもいかないですし」

「カッコいい?」


 信也さんが子供っぽく復唱して、前を歩いていた人たちが振り返ってしまった。

「パッと見はイケてるけど、中身はザンネンなひとなのかしら?」という心の声が聞こえた。


「これから僕たちおでかけなの!」とか叫ぶんじゃないかと法子が危惧したら、信也さんは、優しく仏様のように微笑み返しただけだった。

 上級生たちのほうが赤面してくるっと前を向いた。


「あの、たくさん待たせちゃいましたか?」

「ううん、結構楽しかった。のり子しか見えないかと思ったけど、みんな見えたからいっぱい人間観察した。

 でものり子の髪の毛がメトロノームみたいにぴょこぴょこするのはすぐ気がついたよ。『雨だれ』の楽譜があったら買おうかなって思った」


「ショパンみたいでした?」

「うん!」


 バス停でも信也さんはJK軍団の中のたったひとりの男性なのに、何も気にならないようだった。

 ファンに囲まれてウンザリではないけれど、当然と思っているようなアイドルといった風情だ。それとももしかすると神主モードで、衆生に目を配っているのかもしれない。


 バスを待つ間に、新しく買った本を法子が持つと約束させられ、学生鞄の中の教科書を出すことになった。

 宿題のない科目は教室に置いてきたから三冊しかなかったけれど、信也さんはそれをトートバッグに入れ、制服の上着を畳み直していた。


 法子の荷物を軽くしようとしたのだろう。


 買い物は楽しかった。楽し過ぎるほど。


 源氏物語の登場人物については、信也さんに言わせると、「自分は桐壺帝、大好きな人ひとりいてくれればいい。(あき)(ふみ)が夕霧? 冗談じゃない、そんな気の優しいヤツじゃないって。アイツは自分で(とう)中将(ちゅうじょう)だっていってたよ。策略いっぱい」


「あの、夕顔さんの元カレ?」

「そうそう。光源氏の親友でライバル」


 そんな話をしながら源氏の解説書を選んでくれ、その後、音楽書のコーナーで楽譜を漁っていた。


「のり子見てみて、ここ奈緒ちゃんがいっぱい」

 信也さんが指さした棚には子供用のピアノ教本がカラフルに並んでいた。著者は加藤奈緒子さん。


 ピアノのことはやっぱり旧姓のままなんだと納得し、こんな可愛い絵本でピアノを練習するなら長続きしそうだと思った。


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