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帰ってきた人  作者: 陸 なるみ
第六章 恋の行方
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おでかけ準備


 神社から完全に足が遠のいた。本人に「自分とは結婚するな」と言われるなんて、どうかしている。ほんと、間抜けな失恋だ。


 信也さんは、加藤君だったり、堀内君になりかけたり、信ちゃんだったり、阪口君だったり、冬仙さまだったり、いろいろあり過ぎたのだろうか。


 宗家だといったり、分家だといったり、神官だといったり、長秋さまを信じてないといったり、立場も言動も、精神年齢もくるくる変わる。


 いつもどっちつかずの不安定な位置にいたからだろうか?

 それともそれを利用して意識的に「煙に巻い」たり、「ごまかし」たりしているのだろうか?


 自分もごまかされてしまったんだろうか?

 ――体よく振られた、そうとしか思えない。

 

 しかし、そんなときに限って、お祖父ちゃんが「頼みがある」と言い出した。


「週末奈緒子さんが来るって。後藤さんとこに泊まってもらうそうなんだ。それで法子の出番なんだが」

「出番?」


「信也には内緒だそうだ。お茶室に隠れてピアノ弾いて信也の反応をみたいって」

「あ、うん、何かあの親子、いつもそんな風だったみたい。電話で歌ったりして体調を確かめる、みたいな」


「最近、信也がまた電話くれるようになってほっとはしているんだけど、何か隠している気がするって」

「奈緒子さん、そんなこと言ってた?」


「無理して普通っぽくしてるから、化けの皮剥ぎたいって」

「それが奈緒子さんの言葉?」


「そっくりそのまま」

「バケモノ同士だ」


 ――オーケストラを従えてクラシック番組に出演していた、信也さんのお母さんが来る。


「それで後藤さんが、お茶室に手ごろな電子ピアノかキーボードかを二台運び込んで、さくらさんと奈緒子さんが二重奏する」


「後藤さくら先生? 若い頃ピアニストだったんでしょう? ふたりが揃うの?」

「そう。それで準備の間、信也をお茶室に近づけないプランが要るんだ」


「えっと、土曜日? 私の学校が終わってから?」

「そう。できる限り長い間」


「じゃあ、法子がデートに誘うしかなさそうね」

 母が面白そうに言う。


 ――もう振られてしまった相手とデートだなんて拷問でしかないのに。

 

「信也さん、こっちに帰ってから神社の外に出たことある?」

「うちに来ただけじゃないかしら」


「それをどうやって? 私にできることなんてない」

「あるわよ」


「法子が諦めたら私が倒れた振りをして、病院に担ぎ込まれないといけない。それだけは避けたいんだ」


 お祖父ちゃんがそんなことしたら、信也さんはもっと傷ついてしまう。大切な人を失うトラウマを繰り返しちゃだめだ。


「本屋さんについてきてもらえば? 数学の参考書が要るとか。駅の向こうの大きな書店に行きたいって」


「え〜、数学? 信憑性がないよ。こないだ焦っただけって言われちゃってるし、信也さんが難しいこと言ったら私、返せないもん」


「そうか、得意なものだ、法子が得意なほうがいいんだな。国語、満点取ってだだろう?」

「うん」


「古文の範囲に源氏物語があったな?」

「あったけど、そんなのチェックしたの?」


「目に入っただけだ」

「いいわねぇ。どうせ、冒頭か夕顔の段とかでしょ?」

「生き霊のとこ」

 祖父と母は顔を見合わせてにんまりした。


「もっと読んでみたいでしょ?」

「高校生の頃信也は、『長秋雅楽ちょうしゅうががくの光るきみ』と呼ばれていた」

「ほんと?」


「ああ、だがな、信也は光源氏というよりも、かおる匂宮におうのみやだと思うんだよな」

「誰それ?」

「後半の登場人物。ふたりともいい男なのよ」


「原文だけなら私の本棚にあるんだがな、古典を習い出したばかりの法子にはちょっと荷が重いだろう。対訳書とかがいいんじゃないか?」


「信也さん、古文まで得意なの?」

 母が目を丸くして笑った。

「何言ってるの?」


「教典は古文だよ。長秋卿が死んだ頃、紫式部は生まれてる。その上、源氏物語の時代設定がどんぴしゃその時期なんだ。長秋卿が生きてて、お祖父ちゃんや叔父さんが天皇だった頃」


「うそ」

「うそどころか、光源氏のモデルになったのが、長秋卿の叔父さんかもしれないと言われてる」


「読まなきゃ、でしょ?」

 母は目を輝かせて法子をその気にさせようとしている。


「私は、信也は匂宮に似てると思う。お祖父ちゃんは薫だって言ってる。『どっちか知りたいから読んでみたあい!』って信也に言ってみて」


 お祖父ちゃんはハハハと面白そうに笑った。

「恵美が一番よく、信也の操り方を知ってるみたいだな。『え〜、匂宮ぁ、僕あんなに軽くない。薫ぅ? 僕あんなウジウジじゃない』って絶対言うと思う」


「それでもだめだったら、『彬文あきふみさんは夕霧』」

「ユウギリ?」

「光源氏の長男。幼馴染と結婚した真面目人(まじめじん)


「わかった。何とか話してみる。明日話して、土曜日の午後出かければいいの?」

「そう。できたら学校の校門で待ち合わせてそのまま行って」


「ええ? 何で校門?」

「少しでも時間を稼ぎたいの。アンタがこっちに戻ってまた出かけるより、信也にさっさと外出して欲しいのよ」


「地下鉄の駅とかでいいじゃない」

「見られるの嫌なんだ?」

「なんとなく」

「ま、それはどっちでもいいから、頼んだわよ」


 祖父と母は本当に信也さんのことを理解しているみたいだ。信也さんはふたつ返事で承諾してくれた。

「おっきな本屋? のり子が行くならついていく」


「放課後、学校からそのまま行きたいんだけれど、それでもいいですか?」

「うん、学校まで迎えに行ってあげる。車じゃなくてもいい?」


 もちろん、信也さんは免許を持っている。東京ではお父さんの通院や気分転換のおでかけとかに運転していたはずだ。言われるまで思いつかなかった。


「駅前は車じゃないほうが楽ですよね」

「賛成だ」

 信也さんはいつも通り微笑んでいた。


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