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帰ってきた人  作者: 陸 なるみ
第六章 恋の行方
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失恋


 法子は、信也さんがお父さんの思い出を笑顔で語れるようになったのはいいことなのに、心から喜んではあげられなかった。


 うちに帰ってからも自分の恋心のほうに気がいった。

 死んでしまった人が恋敵なのは大変とよくいわれる。自分のライバルは青山(せいざん)さま、長慶(ながよし)青造(せいぞう)さんで、信也さんに絶大の愛情を注いだ人だ。

 

 父親と恋人は違う、と言い張っても敵いそうにない。一生かかっても太刀打ちできないかもしれない。


 自分の恋路は、深山(しんざん)幽谷(ゆうこく)に迷い込んで出口はなさそうだ。


 それ以来、法子は神社に行き難くなってしまった。

 信也さんはもう大丈夫だ。法子が付き添う必要はない。そのうえ、自分はいつまでも赤ちゃんだった従妹で、子供としては遊び相手になるけれど、大人として面白い会話もできず、女性として意識してもらうこともない。

 

 それでも社務所の皆に悪い気がして、二日開けて、様子だけ窺いに行った。

 信也さんは、(じょう)()に袴をはいていて、境内で竹箒とダンスしていた。綺麗だった。背筋が伸びていて颯爽として見えた。


「のり子、やっと来た。袴はいても来ないから、もう止めようかと思ってたとこ」

 外見とは違って、言葉は子供っぽかったから何とか返事ができた。

「私ももう神社来なくてもいいかなと思ってました」


「僕と遊ぶの飽きちゃった?」

「飽きてはないです」


「じゃ、なんで?」

「私がいると信也さんが遊ぶから。いないほうがちゃんとしてる気がしたから」


「あ、そうだね、そっかもしれない」

 箒を持ったまま、右腕から左腕へ波のような、ブレイク・ダンスのような動きをした。


「やっぱりのり子、神社嫌いだよね」

「嫌いじゃないです。ただ信じるってことがわからない。キリスト教でも、どうしてイエスさまが死んで人間が救われるのか腑に落ちないし、仏教でも念仏を唱えたら地獄に落ちないで済むって言われても……」


「すごい乱暴なまとめ方だけど、まあ、そうだよね」


「うちの神社でも信也さんは勝手に立ち直って、別に何ができたわけじゃなさそうだし」


「あれ? それは間違いだな。僕はこのお社の自然と皆に手伝ってもらえたから、ここまで戻ってきたんだけど?」


「こないだ、うちのお父さんに言ってたじゃない、音楽ができても教典読んでもダメなときはダメだって」

「そんなこと言ったっけ?」

「ごまかしてもだめです」


「あれは神官の冬仙(とうせん)が言ったんだよ。僕じゃないもんねぇー」

「信也さんじゃないですか、冬仙さまって」


「そうだったっけ?」

「青山さまが名付けて下さったんじゃないんですか?」


「うん、実はそう。だから忘れてない。そんで袴はいてみた。似合ってる?」

「ええ、とっても」


 信也さんはまたくるくる廻っている。てるてる坊主のビニールほどには袴が広がらないから、安心して見ていられた。

 

「冬仙さまにお伺いしたいことがあるのですが?」

「何でしょう、阪口さん」

 笑わされた。


「自分だって阪口さんでしょう?」

「いえ、私は宗家神官、苗字は阪口ではありません」


 ――それはそうだけど。

 

 宗家が名乗る長慶も長慶院(ちょうけいいん)もただの号。戸籍上はそうなっているけれど、本当の苗字じゃないらしい。

 宗家の神官名に苗字はない。冬仙(とうせん)とか青山(せいざん)とか秋歌(しゅうか)とか、それだけだ。


 分家の場合は阪口神官、井村神官、などと苗字側で呼ばれる。

 宗家の真名(まな)は秘匿事項、もし耳にしても口にしてはいけないらしい。

 ややこしいことに信也さんは、冬仙さまのときだけは宗家扱いだ。

 

「この神社の信仰では女性は幸せになれないと、いつだったか祖父に聞きました。本当でしょうか?」


「そうですね。女性の笑顔は宝、配偶者の幸せが男の価値、などと説かれますが、女性は今や、自分の力で立って人生を切り拓く時代です。

 その助力は父だろうが夫だろうが、従兄だろうが惜しみませんが、ただお人形のように大切にするのでは時代遅れですね。

 この宗教が陥り易い落とし穴でもあります」


「妙子さんは東京で幸せでしょうか?」

「え? なぜ突然、妙子さん?」

 冬仙さまから信也さんに戻った。


「聖女になられたと聞いたので」

「せいじょぉ? そんな呼び方聞いたことない」


「ええ? 宗家神官が知らないはずないでしょう? 宗家の男子と結婚すれば『聖女』になれると聞いてます」


「うわっヤバイ。神官の振りなんてできないじゃないか。誰がそんなこと言いふらしてるの? じいちゃんじゃないよね?」


「これは……井村社務長が、妙子さんとか伯母さんの静香さんのこととか……」


「ああ、そうか、それ程、つらかったか……」

「つらい? 妙子さんがお嫁にいって?」


「聖女だと祀り上げて、自分を納得させたってとこかな。

 僕が丹沢に籠ってるうちに、そんな風潮を助長したのか。参ったな。(あき)(ふみ)も当事者だしなあ、揉み消しようもないか。

 

 そりゃ井村さんは妙ちゃんを、子供の頃から彬文の嫁にしようと画策してたから、本望ではあるんだろうが。信心としてもなあ、本件だけは『狂信』の部類だと思うし、どれ程熱心な信者でも、自分の娘のことになると別だよなあ……」


「独りで納得しないでください」

「いや、これは説明する気はないよ。宗家の結婚の儀式は狂っている、それだけ言っておく。のり子は宗家とは結婚しないこと」


「宗家で独身の人、もう信也さんしかいないじゃない」

「僕は宗家じゃないよ、阪口だもの」


「さっき、宗家神官だっていったくせに」

「だから冬仙とは結婚しないことだね」

 

 ――あ、振られた。

 

 法子は速足で境内を離れることしかできなかった。


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