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帰ってきた人  作者: 陸 なるみ
第五章 親というもの
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阪口家へ


 信也さんがうちの方向ではなく、お社の東側に歩いていくので怪訝に思った。ふと立ち止まって、

「のり子、(くりや)にお夕飯要らないって言ってくれる?」

 と甘え声を出した。


 今の時間ならもうできている、「担当の方に悪いな」と思っているらしい。自分よりよっぽど周囲に気を配れている。


 その後、信也さんは厨の前を通ってお社の前面に出、柏手を打ってからおどけた風に唱えた。

「懐かしき〜坂の麓の離れ家に〜深夜現る妖怪小僧〜」

 法子は「何それ」と思ったけれど、本人に突っ込むのは止めた。


 鏡池の廻りを歩き、お茶室の裏の生け垣の間を抜けた。確かにうちへ向かっている。


 昔は裏山のほうへ上がる坂があって、その麓に住んでいた分家だから、坂口と呼ばれるようになったと聞いている。宗家は今では長慶(ながよし)と名乗っているけれど、元々、長慶院(ちょうけいいん)という苗字で、うちは「坂口(さかぐちの)長慶院(ちょうけいいん)」、余りに長ったらしいから坂口になって、いつからか、こざとへんに変わったそうだ。


 社から見て大阪の方向にあるからかと思ったら、「別に関係ない」と祖父は言っていた。

 

 今はお茶の葉を売っているが、阪口家は代々、漢方薬局のようなことをしていたらしい。

 そう思い巡らせて法子は、信也さんのお参りの言葉は恐らく、「阪口家に行きます」という意味だろうと思った。

 

 信也さんは身体を上下させながら、楽しそうに歩いた。

「何でそんなに前向きなんですか?」

 法子は恨み言のように声を低くした。


「恵美さんに会えるから。まずは、お礼。(まこと)さんたちがどうしてるか聞く。それからじいちゃんのご機嫌伺い。うちの池の鯉にご挨拶はもう暗いかな。姉さんの声がまだ聞こえるか確かめる。楽しいことばかりじゃん」


「うちの父は?」

克也(かつや)叔父(おじ)さんが帰ってくるまでに、何か名案考えつくさ」

 信也さんらしいコメントだと思った。昔通りの、明るいままの、子供に返る前の。


 でも法子は信也さんが治ったと手放しでは喜べない。まだ大人と子供が点滅している、と思う。

 横に見上げる信也さんは背が高い。百八十にちょっと足らないくらいだろうか。


 神官の水を打ったような静かな足取りじゃない。舞のステップでもない。スキップの手前のようなうきうき加減だ。


 古い格子戸の重たい玄関をがらがらと開ける。

「ただいま」

 法子がそう言うとお母さんが台所から顔を出して、「今日は早かった……」と言いかけたところで廊下を転がるように出てきた。


「信也!」

 うちの高い上がり(かまち)から転げ落ちないように、信也さんは母の胴を抱きとめた。

「恵美さん」


「もう、アンタは……さんざん心配したんだからね」

「うん、ごめん。あの、お弁当ありがと……」

「そんなことどうでもいいでしょ、やっと、やっと会いに来てくれた……」


「ご両親は? 真さんは元気? 智子(ともこ)さんは?」

「元気、元気だから、もう齢だけど、アンタのほうが心配だったの」

 母は信也さんの髪をぐしゃぐしゃかき混ぜている。


 法子はふたりが抱き合っているのを見てどこかくすぐったい、複雑な気分がした。

 オバサンになれば、信也さんに抱きついてもいいのかしらと心の中でひねくれた。


 何も言わずに靴を脱いで母の横を通り過ぎ、二階の自分の部屋に向かう。

 

 着替えて階段を降りてくると、茶の間からお祖父ちゃんの声が聞こえた。

「やっとここへ来れたんだな?」

「うん」

「阪口になんてなるんじゃなかったと一生泣いてるのかと思った」


 自分も聞いていい会話なのかどうかわからなかったけれど、立ち聞きも嫌だし、法子は部屋に入って自分の定位置に座った。

 ふたりは話題を変えたりはしなかった。


 信也さんは、

「それはひどい。ここでも仲良くできなきゃ、僕は孤児院に行くしかない」

 と言って薄く微笑んでみせた。


「と、おまえは十二才の長秋祭のあと泣いたんだったな。あの発言は青造せいぞうの、人生最大の汚点だ」


 おかずを卓袱台に並べていた母が口をはさんだ。

「汚点なんて、青造さんにそんなものないでしょう?」


「あるよ、ありあり大ありだ」

 と男ふたりは顔を見合わせて笑った。


「十一才の子供に向かって青造が何と言ったと思う? おまえはもうここにはおけない。母親のところにも行けない。阪口信也にならないなら、孤児院に行くしかない」


「そんなおどしみたいに……」


「完璧おどしだよ。実の息子にだよ、信じられる? 最大の黒歴史だ。後で聞いたらいじらしくなっちゃったけどね。宗教一辺倒の長慶にはしたくない。堀内さんには絶対渡したくない。自分の目の届くところにいて欲しい。頼むから阪口(さかぐち)(かつ)(とし)のところにいてくれ、その一心だったって」


「ほんとにでっかい子供を押しつけられたもんだ」

 お茶の間に明るい笑いが響いた。


 信也さんが改まった声で頭を下げた。

「ご心配かけて申し訳ありません」

 大人っぽく、たぶん年相応に、話している。法子は内心驚いた。


「構わない。おまえは東京で青造の心配ばかりしていたのだろう? 今度はおまえが心配かける番でもいい」

「そんなこと言ってくれるの、じいちゃんしかいないね」


「あのな、心配ってのは心配できる者がするもんだ。こっちに余裕がなければ他人の心配などできないよ。まあ私もそろそろ、恵美や法子に心配かける側だからな」


「え〜、僕は? 僕は頼ってくれないの?」

「信也はまだだめだな」

 大人三人笑っている。


「じゃ、ご飯にしましょう」

 母はいつもよりとても楽しそうにご飯をよそっている。法子はお漬物やお汁、いろいろを卓袱台に運んだ。


 四人が席に揃うと、祖父が訊いた。

「加代は呼ばなくていいのか?」

「後で行くって父さんに言っといた。あまり遅くならなければ大丈夫だと思う」


 法子は首を傾げて尋ねた。

「深夜に行くって言いませんでした?」


 ブフフと変な音をたてて発言者が笑う。

「のり子って全部ひっかかるから面白いよね」

 バカにされているらしい。憮然としてしまった。


 信也さんは人差し指で自分の鼻を撫でながら、

「信也現るって言ったんだよ」

 と笑った。


「もう、妖怪小僧」

「深夜だとふたりとも寝ちゃうって知ってるもん。克也さんに会うほうが先らしいんだ」


「信也さんってこんな困った人だったわ」と茶化そうとしたら、自分のテスト結果のフォローのために来てくれたんだということを思い出さされた。


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