中間テスト結果
返ってきた中間テストは悲惨だった。初日の科目以外は。
数学が二日目の朝一だった。因数分解を学校でやっている平方完成で解いておいて、時間があれば塾で習った「解の公式」で確かめればいいんだと思った。
でも確かめがてんで合わない。驚いて、焦って、どうしたらいいかわからなくなった。
真ん中は足し算か引き算、三つ目は掛け算のはず。一問めから消して書き直してまた消して、そして時間切れになった。
数学のあとの、地理は頭が混乱したままだったし、化学で何とか落ち着きを取り戻した感がある。
誰もが楽勝と言っていた現代社会の最後の設問は、「子供でも大人でもない青年のひとりとして、好ましい悩みの解決方法をひとつ上げ、その理由を述べなさい」というものだった。
今思えば、これは先生が皆に点数をあげようとした「お情け問題」だ。何を書いても大抵正解だったのだろう。
授業では、友人も似たような悩みを抱えているはずだから相談してみるとか、大人も以前は青年だったから一応意見を聞いてみる、ネットで検索する、とか、結構しょうもない答えだった。
ひとりで抱えて引き籠るのが一番いけないと先生は言っていた。
法子は答えられなかった。解答欄に何も書けなかったのだ。
まずは高校生の自分ではなく、子供でも大人でもないのは「信也さん」だと思ってしまった。
そして信也さんは「父親の死」という問題に、自分の世界を創り上げ、一年以上ひとりで閉じ籠っていた。してはいけないことのど真ん中だ。
その上、自分が信也さんにしてあげたこと、できたことなど何もない。信也さんが自力で立ち直るのを傍観してきただけだ。
髪を切った。新聞紙の兜をかぶった。一緒におむすびや柏餅を食べた。それから?
音楽で人の悩みを緩和するはずのうちの神社で、神主さまや、阪口の皆ができたことも、歌や踊りを見せたくらいのこと。
それがどれ程信也さんを助けたというのだろう?
例えば自分が解答欄に「歌を唄う」と書いたら、どうなったのだろう?
その理由は?
唄うと気持ちがすっきりするから?
そんなの、解決でも何でもないじゃないか。
「父親の死」は「悩み」じゃない。生きている限り避けられない事象だ。じゃあ、この設問が想定している悩みって、例えばどんなものだ?
そう考えれば考えるほどわからなくなった。
法子は解決方法四点、その理由三点という配点の設問を白紙にしてしまった。
結果として、数学、地理、現代社会の三科目が平均以下、化学が73点という、父親に見せられないものとなった。
受験に成功し、意気揚々と入った進学校の、初めての中間テストでつまずき。赤点ではないが、親に心配をかけることは必至だ。
足取り重く社に行った。答案を隠すわけにもいかない。そんなことしたら、逆に父の不機嫌の炎に油を注ぐ。
法子の気分とは正反対に、信也さんは楽しそうだった。
奥の院の縁側に集めてきた小石を並べながら、昨晩の、母親との電話の様子を話してくれた。
「成美ちゃんがピアノ辞めちゃって、奈緒ちゃんがっかりしてた」
「え〜と、成美ちゃんって?」
「僕の妹」
「あ、そうか、信也さんは妹もいるんだ、お姉さんもいる」
「お兄さんもいるよ?」
「立派なお兄さんがいますよね」
「立派は余計だよぉ」
成美ちゃんは堀内成美さん、異父妹だ。信也さんには異母姉、異母兄、半分だけだけど、兄弟は三人もいる。
ひとりっ子の自分には実感がない。兄弟に一番近いだろう相手が信也さんなのだ。
「あの、成美ちゃんはおいくつですか?」
「中二かな」
「難しい齢ですね」
ぷっと信也さんが吹き出して笑った。
「なにそれ、自分がお母さんになったみたい」
法子はまともに反応を返さず、質問することにした。
「成美ちゃんもピアノ上手なんでしょ?」
「うん、十分上手なんだよ。ただ僕やお母さんは異常なだけ」
「異常っていうんですか?」
「奈緒ちゃんは狂ったようにピアノを弾いてたらしい。僕はそれを子守り歌のように聞いてた。何か考えなくてもできることが多いんだ。説明を聞いて理解するほうが難しいっていうか、例えば対位法って言葉を説明してもらうより、この曲の右手と左手がこうなってること、とかいったほうがわかる」
「成美ちゃんはそうでもないんですか?」
「ピアノ教室でも一番上手だし、学校の音楽の成績もトップだし、もっと威張ればいいのに、何か、もう嫌なんだって。お母さんには敵わないって思っちゃってる。将来はピアニストねって言われるのも嫌って」
「他にやりたいことがあるのかもしれませんね」
「たぶんね。僕もわかるんだ、その気持ち。父さんに琵琶習うのうんざりだったもん」
「そういえば、阪口家は琵琶に力を入れるって聞いた覚えが」
「うん、泰治さんのお祖父ちゃんも、じいちゃんも、泰治さんも琵琶担当。それで悔しいことにうまいんだ、これが」
「青山さまは?」
「上手だった!」
「なのに、信也さんは練習しなかったんですか?」
「他にあれだけ上手な人がいたら、もういいでしょ、って気がした」
「負けず嫌いだ」
「うん、僕、負けるの大っ嫌い。勝てるもので勝負したい」
「あれ、柔道は負けてもいいって昔言ってましたよ?」
「柔道? そんな話したっけ? でもそうだね、成美ちゃんにとってのピアノは僕にとっての柔道なんだ」
「やっぱり、優先順位が違いそう」
「なのに奈緒ちゃんたらね、お父さんが違うとそんなに違うもんかしら、なんて言ってた。だから怒ってあげといた」
「そりゃ、青山さまと奈緒子さんのミックスは濃いでしょうけど」
「でもこんな子になっちゃったよ?」
「そうですね。宝の持ち腐れです」
「何それ、何か酷いこと言ってる!」
信也さんはわかっていて口をとがらせている。
法子はついつい我が身の不平を言ってしまう。
「私も父が泰治伯父さんだったら、もうちょっと音楽できたかも」
「え〜、のり子までそんなこと言うの? だめだよ」
「だめですか?」
「うん。奈緒ちゃんのお父さんは会社員さんだったよ? クラシック好きでレコードはたくさん持ってたけど、別に楽器はできなかった。お母さんはピアノ習ってたらしいけど、早くに亡くなったから」
「それでも奈緒子さんはプロになれたんですね」
「そう。だから遺伝とかじゃないんだよ。好きか嫌いか、どれだけのめり込むか。のり子の場合は、楽器習おうとしなかったじゃん」
「だって、何か勉強のほうが大事って言われて、そうかなって」
「それを克也叔父さんのせいにしちゃ、だめだと思うなあ」
のり子はそこで、はあっとため息をついてしまった。中間テストのことを思い出したからだ。
――音楽もできないし、勉強に力を入れたつもりで、テスト結果があれだもの。
「どうしたのさ、そんなため息ついて」
「テストで失敗しちゃった」
「テストって?」
「学校の、中間テストだったんです」
「中間てすとぉ? そんなこと言わなかったじゃん」
「別に信也さんに言うことでもないでしょう? テスト前に『まだ習ってないから手伝えない』とかって言ってましたよ?」
「え〜、僕そんなこと言ったあ? それじゃ僕のせいじゃん」
「別に信也さんのせいじゃないけど、父は信也さんのせいにすると思います」
「ヤバイ」
「はい、かなりヤバイです」
「じゃあ、行こう」
「どこへ?」
「のり子んち。阪口本家」
信也さんはすっくと立ち上がってにっこりとした。




