電話
信也さんが座りなおした。話題が変わるらしい。
「今日はね、水曜日でしょ? お電話の日なの。もう随分長くしてないから、今日から再開しようかなって」
「お電話、彬文さんにですか?」
「ちーがーう。お母さん。ちっちゃいころから水曜日八時がお電話の時間だったの。東京にいても京都にいても」
「あ、お母さま、それは是非お電話しなくっちゃ。いつぶりですか?」
「それが、僕悪い子だったからお父さん独り占めしたくて、丹沢に来ないでって言っちゃったし、静香ちゃんいなくなってからずうっとご無沙汰。丹沢での僕たちだけのお葬式には来てて、でもお話できること何もなくて。怒ってるかな?」
「お母さまは怒ってるんじゃなくて、心配してるんでしょ?」
「かもね。でもしゃんとしとかないと、奈緒ちゃん飛んで来ちゃうんだもん」
「やっぱり、心配だからだ」
「声の感じとかでバレるの。うまく隠せたと思っても『歌って』とか『あの曲の出だしどうだった?』とかワナに嵌められて、声が震えたりするんだよ。だから、ちゃんとできるまでお電話できなくて」
ああ、お母さまとはそんなふうに心を通わせてきたんだ。音楽家同士、離れていてもわかることがたくさんあるのだろう。
「信也さん、携帯持ってますか?」
「あ、そうか、社務所で掛けたくないならケータイだ。えっと、教団に持たされてるのがどっかにあると思う」
「充電してないんじゃ?」
「そっか、じゅーでんして試さなきゃ」
「そうです、ついでに彬文さんにもお電話して下さい」
「何で?」
「声聞きたくないんですか?」
「聞きたくない」
「この間、祭壇の中に入ったとき、悪口言ってましたよ」
「彬文が? 僕の悪口? そんなのいつもだよ」
「きっとどこかで眠りこけてるって」
「僕、眠ってなんかなかったよ? なかったでしょ?」
急にムキになって可愛いらしいと思ってしまった。
「はい、信也さんはちゃんと起きてました。だから彬文さんに、『間違ってたよぉ』ってお電話して下さい」
本当は「ご明察のとおり祭壇にいました」って言って欲しいくらいだ。せめて元気な声を聞かせるだけでも。
もちろん、伯父さまはあの後、お礼の電話を入れているだろうけれど。
「じゃ、僕今日はこれからじゅーでんで忙しいから、のり子はバイバイね」
携帯を充電している間、じっと眺めているつもりだったら、ちょっと怖い。
でもこれはきっと、「勉強しなくちゃ」と言った法子を早めに帰宅させようと考えた、大人の信也さんからの発言だ。




