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帰ってきた人  作者: 陸 なるみ
第五章 親というもの
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甘えんぼと我がまま


 思いに沈んだ法子に信也さんは明るめに話しかけた。

「それで、のり子はどうして元気がないのさ? 静香ちゃんみたいな女の子のくせに」


「あ、ちょっとお父さんとケンカしちゃっただけです」

「克也さんと? 僕も叔父さん怖いー。恵美さんにお弁当のお礼もまだ言ってないし」

 信也さんは両手で頭を抱え小さくなった。


「神社ばっかりしてないでもっと勉強しなさいって言われて……」


 ……信也はもう治っている……

 

 法子が呟くと、どこから聞こえたのかわからない低音の声がした。隣の信也さんの口元から出てきたようではない。後ろのお社が喋った気がした。

 

 次の声は確かに顔を上げた信也さんの口から出てきた。

「ケンカしたの? 神社に近寄るなとか言われた?」

「はい」

 神社というより「信也さんに近寄るな」だよなとおかしかった。

 

「私って我がままなんだそうです」

 昨夜言われたことが急に頭に蘇った。


「我がままでもいいから黙っちゃだめだよ。のり子はお父さんが生きてる間にいっぱい甘えんぼしなね」


「私、甘え方がよくわからない」

「甘えるのは簡単だよ。自分がしたいことを言えばいいの。ピアノが欲しいとか海水浴してみたいとか、縁日に行きたいとか一緒にお風呂に入りたいとか」

 笑ってしまった。


「お父さんと一緒にお風呂なんか入りたくないです」

「じゃあお母さんとでも」

 信也さんは気を悪くした様子もなくにこにこしている。

 

「したいこと、欲しいものをまずは言ってみる。それが甘えんぼ。お父さんがだめって言ったらそこから我がまま。返事聞くまで我がままかどうかわからないんだから」

「そうなんですか?」

 法子は、甘えんぼと我がままはもっと根本的に違うものな気がした。


「だって僕はずうっとお父さんと暮らしたかったんだよ? 僕は何も変わってない。そのくせ、甘えんぼって言われたり、我がままって言われたり、その時々で違った」

 信也さんは丸い目で法子を見ていた。

 

「赤ちゃんの時は一緒にいてくれた。幼稚園はたぶん行ったり来たりだった。小学校からはお母さんと小さなマンションに住んでた。一年生の頃、

 『僕のお父さんどこ?』ってお母さんに何度も訊いたらお母さん泣いちゃって、

 『信也、我がまま言わないで』って言われた。


 お正月にじっちゃんちにご挨拶に行って、『新年の抱負は』って訊かれたから、

 『お父さんに会うことです』っていったら怖い顔して、

 『お母さんを困らせてはいけない』って言った。自分がお父さんのくせに。

 『ここにいるよ』って言えばいいだけなのに」

 信也さんはほとんど地面に着きそうな長い脚を回廊からぶらぶらさせた。


「お父さんだって僕と暮らしたいって思ってたんだよ。それなのに大人はその時の都合で、我がままだとか言うんだ。『可愛い甘えんぼの信也』っていったり、『我がままはいい加減にしなさい』とか、くるくる変わる。僕のせいじゃないと思う。


 言ってみるまでそれが甘えんぼか我がままか子供にはわからないんだよ、大人の都合ってヤツのせいで。だから、したいことや欲しいものはどんどん言ってみる、それがヒ・ケ・ツ」

 秘訣といって目を輝かせた。今日の信也さんは少し大人っぽい。

 

「それでね、我がままって言われることの中に、どーしても譲れないものがあるの。どーしてもしたいこと。それはね、我がままって言われても突き通さなきゃだめなの。

 お父さんに会いたかったら会えるうちに会わないと会えなくなっちゃうんだ」


 もうお父さんに会えないと信也さんの心は認めているらしい。

 

「十一才から十六才まで、お父さんがお誕生会してくれるまで、どうして僕は京都にいたんだろう? (あき)(ふみ)だって一回、給食費で恐山に帰る切符買うって東京駅まで行ったんだよ? 

 僕はお父さんに嫌われたと思って、京都で泣いてた。


 ほんとはお父さんも僕に会いたかったのに。長秋祭の日と正月会(しょうがつえ)にはここのお社で踊りや楽奏に思いを込めてくれてた。でも僕には大きくなるまでわかってなかった……」


「でもきっと、青山さまにはちゃんと信也さんの気持ち通じてましたよ? 縁の下で笛を吹いたのは何かのお祭りのときでしょ? 『ショパン、奈緒子、信也』のとき」


「うん、十二才の長秋祭。いっつも謎解きみたいだった。踊りの一挙手一投足にどんな気持ちが籠っているのか一生懸命見てた。自分が踊るときも、どうしたら気持ちを伝えられるか、指の形ひとつも疎かにできなかった」


「青山さまはちゃんと見ていて下さった」

「うん、全部通じてた。後でみーんな確かめた。ふたりで全部確かめた。僕が生まれた日から辿ってみた。生まれる前のお父さんの人生も全部、ぜーんぶ」


「いいな、羨ましいです」

「のり子も克也叔父さんに訊けばいいじゃん」

 私は自分の人生よりも父親よりも、目の前の人が知りたい。

 

「お父さんがいなくなって、もう僕に謎をふっかける人はいない。お父さんがいつも僕の最大の謎だったんだ。謎がない人生はちょっとつまんなくて、どうしていいかわかんない……」


「じゃあ私が謎を出してあげます」

「のり子が? 僕に、なぞなぞ?」


「ええ。私は何故お父さんに怒られながら神社に来ているのか。なんで巫女をしているのか」

「えー、のり子が巫女さん好きだからじゃないのー?」

「違います」


「袴がカッコいいから」

「それはちょっとあるかも」


「みんなが仲良くしてくれるから」

「それも確かにあるけど。さあ、私は信也さんのお夕飯取ってきますね。人生に謎がないなんていったら怒られます。謎だらけです」


 信也さんはわざと誤魔化したのかもしれない。そんな気がする。赤面しながら厨に入った。


 出てきたとき、目の前に信也さんが座っていなくてよかった。


 大きめの四角い塗り物のお弁当箱と、汁物の入った保温ポットを奥の院の玄関、上がり(かまち)に置いて、法子は逃げるように帰宅した。



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