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帰ってきた人  作者: 陸 なるみ
第五章 親というもの
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父との確執


 学校がまた始まった。波乱の祭壇の日、楽しかったこどもの日を含めた四連休との落差がつらかった。

 放課後神社に着いて、いつもなら庭を廻って姿を探すのに、今日は足が動かない。信也さんの夕食を待つ体で、くりやの前で、ぼうっとしてしまった。

 

 昨夕父にお小言をもらった。

「帰りが遅い。この間の捜索隊は仕方ないと大目に見たが、ゴールデンウィーク、ずうっと神社に詰めていたのだろう? 勉強のほうは大丈夫なのか?」


 早めに切り上げようとしても、社務所で着替える間に皆が信也さんの様子を問い質す。それでついつい長居をしてしまう。


 父は、折角自分は早く帰って来れた振替休日に、娘が夕食の時間に滑り込みセーフだったのが気に入らないようだった。

 

「信也のことは大人に任せておきなさい。おまえは自分のことが先だろう? もし早く帰れるなら、お母さんを手伝うなりしたらどうだ? 我がままに育ってしまって……」


 機嫌の悪い父は好きじゃない。それもとってつけたように「母親の手伝いをしろ」などというすり替えが嫌だ。


「神社に行かせたくない。信也に近づけたくない」、そう本音でぶつかって来ないところが、卑怯だと思う。

 大人はずるい。信也さんはどうしてあんなに無心に父親を好きになれたのか、相手が青山(せいざん)さまだったからなのか、首を傾げたくなる。

 

 父のことは尊敬している。普段は嫌いじゃない。店主としてしっかり仕事して何不自由なく暮らさせてもらっている。

 健康茶のネット販売を始めて、顧客が増えているらしい。IT担当の若い人を雇って、時流に遅れないところは頼もしい。


 今の世の中、茶葉商なんて言葉自体が死語だ。ここ京都で「お茶屋さん」などというと、芸者さんのいるお店と間違われる。

 

 (くりや)は食堂と隣接して、お社の東に並ぶ建物、講堂の中にある。お社の威容の陰になって、夕方最初に日が翳る。西側の鏡池は、この時間でも残照を浴びて綺麗だろうに。


 パッと見、出入り口がどこかわからない。木製の扉の外側にはドアノブはなく、小さな手をかけるところがあるだけだ。お弁当や銘銘膳を両手で捧げてお社や集会所に運ぶ時のために、内側から体当たりして扉が開けられるようになっている。片側観音開きだ。


 だから、戸口に立っていると危ない。向かいのお社の回廊に座り込み、足をぶらぶらさせた。

「ここに寝転がってしまえば、信也さんみたいよね」

 と思ってやっと笑うことができた。

 

 左手から声がした。

「今日は来てないのかと思ったぁ」

 信也さんがお社の裏口から出て来てすぐそばで小首を傾げた。


「何か元気ないね。そこは元気ないときに座るお席だよ」

「そうなんですか?」

「うん、お腹がすいたなあ、おむすび欲しいなあ、でも昨日ももらったしなあ、今日は止めとこうかなあって。のり子もお腹すいた?」

「いえ、私はまだ」


「昔ね、お父さんとじいちゃん、ここに座って話してた」

「えっと、青山さまと誰ですか?」


「もう、いい加減憶えてよ。じいちゃんは阪口のじいちゃん。じっちゃんはお父さんがお父さんだって言う前の呼び名。お祖父ちゃんは(しゅ)(ぎょう)さん」


「そんなの、信也さんが勝手に決めたくせに」

 信也さんはうふふと笑った。

「そう、勝手に決めた。だって、お父さんのくせにじっちゃんだって言い張って、僕をじいちゃんと自分の孫にした、お父さんのせいだから」


「今のは誰のことか全部わかりました」

「よろしい」

 信也さんは何故か威張って見せた。

 

「お父さん、僕のせいで春雄とケンカしたんだよ。それで恐山から帰ってきてじいちゃんが慰めてた。僕の味方すると敵がたくさんできるんだ」


 春雄といわれると、同級生か何かのように聞こえるが、彼は現当代、春堂(しゅんどう)さま、四十代の立派な紳士だ。


「僕はじいちゃんとお父さんの間に座って、僕が恐山に殴り込みかけてやるって言ったの。そしたらじいちゃんが殴り込みはだめだって。お父さんが、じゃあ踊り込みにしよう、舞は春雄より信也のほうが上手いからって。それで、恐山に行って踊ったの」


「春堂さまと仲悪いんですか?」

「うーんと、よくわからない。その時は一緒におうた歌ったりもしたよ? 僕がお父さんの像を壊した気がして嫌だったって言ってた。だって、そうだよね、春雄は静香ちゃんが大事で僕は奈緒ちゃんが大事だもの」


「お母さんが違うって難しそう」


 信也さんのお母さんは「(めかけ)」などという言葉には当たらないと思うけれど、正妻とそうじゃない女性の立場は決定的に違う。「浮気」と言われたら言い返せない。


「うん、でも僕は静香ちゃんも大好きだった。信じられる? 奈緒ちゃんがお腹大きくなって加藤の家を追い出されたとき、『うちで暮らしなさい』って言ったのは静香ちゃんなんだよ」


「そうなんですか?」

「うん」

「他に頼る人もいないんでしょ? お腹大きいときに家探しなんてするもんじゃないわって。祖母ちゃんは――静香ちゃんのことだけど――春雄生んだとき身体壊したんだって。それでもう早くから自分は子供産めなくなった、僕が生まれたら孫みたいに可愛いはず、大好きな青さんの子供なら絶対愛せるって」

「すごい。女傑っていうのかな、すごい、素敵な人」


「奈緒ちゃんね、ピアノ・コンクールで受賞する直前にお父さんと知り合っちゃったんだ。東京の区の主催で、『恵まれない子供たちにももっと音楽に触れる機会を』って催しがあったのね。


 お父さんは音楽の神さまの使いだから、まあ誘われたら断れないじゃん? 笛とか太鼓とかお琴とか演奏してみせた。

 学生ピアニストとして招待されてたのが奈緒ちゃんで、ショパンを弾いた。

 ふたりはビビッと来ちゃったんだって。お父さんたらね、『私の琵琶も聴いてもらえませんか』ってお社に誘ったんだよ。『どうかお手合わせを』って。

 奈緒ちゃんはキーボード持ってきてふたりで演奏したんだって。それが僕になっちゃったの」


 法子はどっと赤くなってしまった。


 信也さんは「音楽の申し子」だとは思っていたけれど、本当に、そんな風に、ふたりの音楽が融合したんだ。音楽家同士、ふたりで分かち合えること、ふたりにしかわからないこと、そんなものが結ばれあったんだ。

 

「話したかったのはそういう恥ずかしい話じゃなくて、奈緒ちゃんは大変だったってことなの。

 コンクールのあと、けーやくとかあるじゃん、『プロのピアニストとして活躍します』って。


 でも僕を産まなきゃならなくなった。

 加藤のお父さんが怒るのもわかるよね。それまでずうっと練習してきて、お父さんもずうっと応援してきて、これからってときだから。


 でも奈緒ちゃんは産んでくれた。そして立派なピアニストにもなった。静香ちゃんがいてくれたから、そんなことができた」


 そうだった、信也さんは静香さんの話をしていたんだ。ご両親のなれそめでなくて。


「静香さま、奈緒子さんに東京のおうちで一緒に暮らしなさいって言ってくれて、それからも?」


「うん。奈緒ちゃんはちゃんとしなきゃって思ってて、預かってくれる保育所探して、すぐ出ていきますからって言ってたらしい。でも静香ちゃんは、そんなちっちゃい頃から他人に預けるくらいならうちに預ければいい、うちを保育所だと思えばって」

「そうか、そうなんだ」


「それで心おきなく演奏の契約果たしなさいって。僕を産むギリギリまで留学してて、半年くらいお休みしたのかな、その後、すぐピアニストになって。それでいっぱいレコード出せたんだよ」


 法子は我知らず、口を押さえていた。長慶(ながよし)(しず)()さん、青山さまの奥さんは確かに、すごい人だ。

 短期間でも夫が心を通わせてしまった相手に、そんな親切にできるものだろうか? 

 同じ女として、自分にそんなことができるかどうかわからない。


「私は非常識ってよく言われるのって笑ってた。しつけは厳しかったけど、優しかった、大切な人なの」

「そうですね」


「お父さん、静香ちゃんにも会えてるね。向こうで」

 静香さまは、青山さまが亡くなる一年前に他界されている。信也さんは、死んだ人と生きている人の区別が普通に、心の痛みなしにできてきている気がした。


 青山さまは生涯の伴侶を亡くして急に弱られたと聞いている。浮気の証拠である信也さんが目の前にいても、おふたりは仲睦まじいままだった。

 信也さんの言によれば、祖母みたいな立場にたって、奈緒子・信也母子を大きく包み込むようにして、サポートしてくれたということになる。


 ご生前中は「さすが、聖なる女性だ」と評する人もいた。特に井村社務長だ。伯母自慢がしたかったのかもしれない。

 

 法子は「聖なる女性」といわれるとつい、聖母マリアさまを想起する。

 彼女ほど矛盾した女性はいない。母であることと女であることが両立しない。


 女は綺麗なのか汚いのか。母は偉大なのか、でも母になる行為はしてはいけないことなのか。

 処女を守るのは大切なことなのか、結婚相手とならいいのか。

 バージンのまま母になって欲しいなんて、女性のありのままを受け入れられない、男性側の青臭さを感じてしまう。




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