祭壇の人
「加代、父さん、いた! 信也がいたから」
お社から伯父さんの声がした。
祖父は裏口から入っていった。
「いくらなんでも私たちは入っちゃだめでしょ」
と伯母さんが躊躇する。
「いいから入ってきて、こんなときに神さまも何もない!」
伯父さんの声が響いた。
それでも井村さんは外に残っていた。
初めて本殿に足を入れた。畏れ多いのかと思ったら、右手には仕切り壁の奥に、裸電球に照らされた収納スペースがちらりと見えた。神官服が掛けられ、掃除道具まであった。
左には、いつもは遠くから眺めるだけの祭壇が目の前に聳える。大きい。
重要な祭儀では、拝殿と本殿の間の引き戸を開けて、神官さまが祭壇前で踊るのを拝殿側から見せて頂く。それが篤信の信者の特権となっている。
祭壇の形としては、細長いピラミッドみたいで、底辺は正方形、上にいくほどひと回りずつ細くなる。四十センチ程度の高さの七つの段々は木製で、「木・火・土・金・水」を表現する意匠で飾り彫りが施されている。
そして一番上に載る鳥籠みたいなものが神棚だ。
伯父はほとんど床に横になって、その祭壇の後ろの最下段に顔をつけ声をかけている。
「信也、大丈夫か、倒れたのか? 頭を打ってはないか?」
信也さんが中にいるらしい。
「ほっといて、お父さんが踊ってくれるの待ってるんだから」
そう聞こえた。
「大丈夫なんだな、怪我もしてないな?」
「あっちいって、お父さんが来てくれないじゃん」
「信也、今日はもう遅いから青造は踊らないよ」
お祖父ちゃんが声をかけた。
「どうしてさ、お迎えの儀は深夜零時スタートじゃん? 前、踊ってたよ?」
「今日は長秋祭じゃないだろう?」
伯父さんが困惑している。
伯母さんが代わって声をかける。
「信也、出ておいで、奥の院でお布団で寝よう?」
「今日はここでお籠りするの」
「どうして、今日?」
「ここならきっと出て来てくれるから。僕いつもここで見てたから」
伯父の肩が落ちるのが見えた。
「そうだな、いつもそこでお父さんの踊り見てたんだな。知らなかったよ。彬文くんが言ってた。いつもいつもしっかり見てたから、信也も踊りがとっても上手になった」
「上手じゃないよ、もう踊れない。もうひとっかけらも踊れないんだ」
「踊れるよ、また少しずつ踊れるようになる。心配いらない」
「お父さんが踊ってくれたら僕も踊れると思う。だから待ってる」
「信也、踊りはまたにしよう? 今日はもうお布団の時間よ」
伯母さんが涙ぐみながら言った。
「やだ」
伯父は諦めたのか身体を起こして祭壇から顔を離した。
開口部分は広くない。信也さんの身体が通る大きさじゃない。法子は観察眼を利かせていた。
「お祖父ちゃん、信也さんどこから入ったの? あそこからじゃ無理だと思う」
「ああ、そういえば、地下道から上がる縄梯子があった気がする。もう五十年も入ってないから定かではないが。ちょっと見てくる。あ、その前に井村くんには、もう大丈夫だと伝えてこよう」
祖父はそう言って、まずは裏口から出て井村さんと話していた。また入ってくると収納スペースのほうへ歩いて行く。お社とお茶室とを繋ぐ地下道へ降りる階段は、そこにあるらしい。
法子は祭壇の一番下の段の、開いている部分に近付いた。
「信也さん、お父さん見えますか?」
信也さんは祭壇の真ん中で体操座りをしている。大人が三人は座れる広さだ。上は段々狭くなるので立ち上がると頭をぶつけるかもしれないけれど。
「見えないの。見えなくなっちゃったの。来てくれないの」
――あ、それで淋しくなっちゃったんだ。お父さんが死んだ家族に会いに行ったって言ってた。それで慈母観音様にもお祈りしたんだった。でも帰って来てくれるってその時は言ってたのに。
「お父さま、ご家族に会いに行ってからまだ戻って来てないんじゃないですか?」
「すぐ戻ってくるって言った。消えちゃうなんて言わなかった」
「祭壇で待ってなくても大丈夫ですよ」
「どうしてさ? ここが一番神さまに近いんだから、帰ってくるならここじゃん」
「そうですね」
もう帰って来ないと言ってもいいんだろうか? それともそんなこと言ったら信也さんはもっとつらくなるんだろうか?
「どうして体操座りなの? 拝殿のほう見てなくていいんですか?」
「見えない。真っ暗で見えなくなっちゃったの。見えてたのにもう見えないの。でも暗いほうがお父さん来てくれると思う」
はっとした。
「伯父さま、灯つけましょう。ぼんぼりも行燈も。外のほうが暗いと中からじゃ何も見えません。きっと小さな穴から覗くのだろうから」
「そうだな、明るくしてしまおう。お籠りするなら私もしてもいいし。居場所がわかったんだ、側にいれば何とかなるだろう」
そこに祖父が戻ってきた。
「信也が縄梯子を上げてしまっていて、地下道からも上がれない」




