親族の構造
少々長めの、祖父の話になります。読み続けてくださることを、願います!
座敷に移って、つい最近までこたつ布団がかかっていた卓の、角を挟んで座った。
「泰治の前の神主が誰だったか知ってるか?」
「えっと、朱暁さま?」
「いや、その間にもうひとり、私の父、おまえの曽祖父」
「うそ?」
「本当は私がするはずだったんだ。だが朱暁さまとケンカして離団した」
「ケンカ? 朱暁さまって凄い当代様だったって」
「そうだな。明るくて剛くって曲がったことが嫌いで眩しかった。子供の頃、信也は似てると言われてた。高校生の頃のアイツを大人にした感じだ」
簡単に想像できた。自分が思い描いていた、明るいまま大人になった信也さんだから。
「どうしてケンカなんか……」
「教義の一部がどうしても許せなかった。うちの神さまを信じることもできなくなった。それで純子、お祖母ちゃんと結婚した」
お祖父ちゃんが言いたくないことは問いただしても言ってはくれないだろうから、合いの手だけいれて聞き手に廻ろうと思った。
「戦争が終わると同時くらいに、朱暁さまと社務長だった井村の爺さんが亡くなった。青造が当代を継いだが、東京の社がある。ここ本社の神官がいない。
青造は手伝ってくれと頭を下げに来たが、信じられなくなった宗教を他人に説教できるわけがない。傷んでしまった社の修復のほうなら、社務の仕事だけなら、できないことはないと答えた。
青造は、『信者の振りだけでいい、信じろなどと言わない、ただ助けてくれ』と言った。妻も了承してくれて、社務の仕事をすることにした」
祖父は卓の上のお湯のみに残っていた、冷めたお茶を口にした。
「父はもういい年令だったのに、他に誰もいないことを理解して神官に立ってくれた。そして泰治は一緒に、神官になる修業を始めた。ふたりは離れに住んで、庭にも柵が建てられた。
神官候補は外の女性と同じ家に住んではならないといったバカな掟に則って。
宗家の神官になるともっと愚かな決まりがあって、九才で実の母親からも離れて暮らさなければならない。彬文が恐山から東京に引っ越したのはそのせいだ」
「そうだったんだ」
「おまえの父親、克也は母の悲しみを見て育った。兄はつい隣に住んでいるのに、話しかけてもいけない、抱きしめてもいけない。寝込んでも看病することさえ許されない。そんな宗教、絶対おかしいと考えた。そう思うのも当然だろう。
私は離団した身だ。教団があれ程困窮していなければ、戦後若い男たちがもっといたら、自分たちが二度とあの宗教に関わる必要はなかった。
私は、克也の気持ちも、泰治の気持ちも両方わかる。兄弟の仲を裂いてしまったのは私のせいだ」
「お祖父ちゃんが自分のせいにしなくても……」
「そして、信也のことだ。青造は私の従弟だ。子供の頃は一緒に遊んだ。おまえのもう一人の祖父、恵美の父親である真と、私、青造、青造の兄の白泉、四人仲良しだった。
青造に信也を預かってもらえないかと頼まれた。泰治の養子にして成長を見届けてくれと。
話を聞いてみると、信也の境遇も青造の気持ちも痛いほどよくわかった。断れなかった。
泰治と加代には子供がいない。おまえもひとりっ子だ。信也が神官になるかどうかなんて後で考えればいい、もう一人孫がいてもいいと思った。
うちに来た信也は驚くほど才能に満ちていて、親に捨てられたという思いを隠しながら、少しでも明るく過ごそうとしていた。健気で必死ですぐ好きになった。信也を見ているだけで私は幸せだった。笑っていてくれるだけで、長生きしたいと頑張れた」
お祖父ちゃんが長い間黙った。質問してみた。
「信也さんは神官なのに、それも宗家を名乗る神官なのに、長秋さまを信じてないの?」
「信也は、どうかな。はっきり聞いたことはない。
ずうっと父親を探していた。青造がやっと父だと打ち明けた。そのお父さんが教えてくれるから嬉しくて、発声や踊りをやってみた。
アイツは何でもすぐに上手にこなしたそうだ。まるで身体に沁み込んでいたかのように。
お父さんが当代だから、お父さんの世界が知りたくて神官の修業を続けた。お父さんがいたから教団に留まった。
青造が亡くなった今、アイツが教団に残るのかどうか……。
青造が信也の養子先をうちに希望したのは、もしものときに教団を離れることができるからだ。私のどっちつかずの立場を利用しようとしたんだな。
うちは信者だとも言えるし、違うとも言える。息子二人がその二項対立を如実に表している。
青造は自分の死後、信也が音楽で身を立てるとか大学に戻るとか決めたときに、私がバックアップできると思ったんだ。
もし私もいなくなれば、次は平野真がやってくれる。真も信也を、血を分けた孫のように思っているから」
「平野航さんは信也さんの従兄なの?」
「そんなこと、誰に聞いた?」
「信也さん」
「そうか。子供に返れば本当のことしか言わないか」
「航さんは私の従兄だと思う」
「それも嘘じゃない。おまえたちは智子の孫だ。航くんと信也はふたりとも、朱暁の孫だ」
「え、よくわからない。真お祖父ちゃんと智子お祖母ちゃんは夫婦でしょ? 航さんのお祖父さんは真お祖父ちゃんでしょ?」
「違うんだ。夫婦の間にできた子じゃないのがいるからだよ」
「航さんのお祖父さんは真お祖父ちゃんじゃない……」
「ない、朱暁だ」
「航さんのお父さんはよく知らないけれど、えっと、昇さんとかって信也さん呼んでた。朱暁さまと智子お祖母ちゃんの子供?」
「そうだ」
まだ法子の頭には霞がかかっている気がする。
「智子お祖母ちゃんが『聖なる女性』なのは、朱暁さまの彼女だったから?」
「そうだな。そういう言い方があったか。その前は私の彼女だったんだが」
「うそ? ほんと? お祖父ちゃんの?」
「ああ、だからケンカになった」
「あ、そうか、それでその後、真お祖父ちゃんと結婚したんだ」
「そういうことだな」
「うわあ、修羅場ぁ」
お祖父ちゃんがふふっと笑った。
「おまえみたいにシュラバァと笑っていられたらよかったのに、私は朱暁さまを殴ってしまった。今思えば愚かなことだ。
智子が朱暁さまを選んだのだから、ただ身を引けばよかったんだ。朱暁さまが素晴らしい男であればあるだけ、私は自分が劣っていると見せつけられた気がして。
私も若かった。昔、当代様は彼女を何人持っても良かったんだ」
「奥さん以外に?」
「仕方ないというか、聖女になりたがる女性も多かったというか、教団の古い考えが残っていたからというか、当代様だけが悪いんじゃないんだが」
「想像できない」
「だろうな。でも朱暁さまは私の叔父だ、正確には叔母の夫」
「叔父さん? 叔父と甥で智子さん取り合ったの?」
「そうだよ。身近な話だろう? 智子は私の従妹でもある。例えば信也と付き合っていた法子が泰治を好きになったような話なんだ」
赤面してしまった。
「そして泰治とは不倫だったから、航くんが結婚を申し込んだ。そして幸せになった」
「航さんももう結婚してるわ」
「例えばの話だよ」
祖父は肩をすくめて話を続けた。
「智子はね、父親が恐山の神官で、もともと信心深いほうだった。
聖女になってからも、お社で琴を弾いたりして神事に参加していた。
おまえの母親、恵美はその人の娘だ。克也の手前、信者だとは言わないけれど、教義のいいところはちゃんと身についていて、普段の生活に取り入れている。
うちの神社の長秋さまは音楽の神さまと一口に言われるが、ただ楽器の演奏が上手くなればいいわけじゃない。
悩む人々の心を癒すのが目的だ。歌は言葉でできている。言葉の正しい使い方、人の心に届く言葉が使えなければならない。悪い言葉は使わない。そして、他人の言葉を大切にする。
おまえのお母さんはいろんな人の意見を聞いて仲良くしているだろう? 真と智子の娘らしく、本当に聞き上手だなあと私はいつも感心している。
真は信也の大ファンだから、自分の娘に宮津でのことも話してたし、恵美に早いうちから応援を頼んでいた」
「信也さん、宮津にもいたの?」
「阪口に来る前の夏休み、二週間くらいだけだが、海水浴したり盆踊りしたり楽しかったらしい。信也を好きになるには十分な時間だ」
祖父はちょっと羨ましそうだ。
「一族皆が信者じゃない、人それぞれだ。信じ方も、信じる度合いも。
私は祖母ちゃんと結婚して幸せだった。外の世界に目を向けて良かったと思っている。
法子も、閉じこもらないようにな。信也を好きなら好きでいい。好きにならずにいられないような男だから。
でも信也だって外を見ている。社に収まりきる男でもない。だからおまえが社に閉じこもる必要はないんだ。
克也もそれを心配している。社では現社務長の井村くんとかはとても熱心な信者だ。彼の言うことをそのまま信じ込まないほうがいい。
おまえはもう高校生、自分で見聞きして、自分で判断しなさい。信心とは何か、信じるとしたらどの宗教を選ぶのか。一族だからとか信也がいるからとかじゃなく、選んで欲しい」
「はい……」
かなり長い話になって宿題ができてない。
今年のゴールデンウィークは三連休と四連休分裂型で、連休あいだのこの三日間は、学校もどこかだらけている。あと二日でまた休みだ。
明日昼休憩にぱぱっとやってしまおう。得意な古文だからなんとかなるだろう。




