法子の涙
社務所にも顔を出さずに、自宅への近道の生垣の合間をくぐって帰った。ギリギリ夕食の時間だ。
玄関先に母が出てきた。
「法子、おかえり」
声が出なかった。一旦治まっていたのに、泣きだしてしまった。お社からうちは近過ぎて、気持ちの整理がまだついていない。
母は土間に降りて来て法子を抱きしめた。
「ほら、つらいことばかりでしょ、お社に行っても」
つらいから泣いてるんじゃない、と心の中で思った。説明しようにもしゃくりあげが止まらない。ただただ、涙になった。
「信也さん……」
母はそれ以上何も言わなかった。自分より少し背の低い母の肩に、頭をもたせかけて泣いた。
お祖父ちゃんがお茶の間を出て様子を見に来た。
「散髪はうまくいったのか?」
法子は啜りあげてから頷いた。
「伯父さんが、神主さまが髭剃ってあげてた。仲良しでよかった」
「そうか、それはよかった」
少し落ち着いて鞄を置き、部屋着に着替えてから食卓についた。父は遅い日のようだった。
祖父が諭すように言った。
「外からだと想像つかないだろうが、社殿にいると中から外はよく見えるんだ。光の加減だな。
だから泰治は社周りでなら信也が何をしているのか、ちゃんと見ている。折りにふれて外に出て来て見守ってもいるから、法子が気負い過ぎなくていいんだよ」
法子は黙って頷いた。
井村さんも何やかんや神主様に相談しているのだから、伯父さまもチャンスがあれば髭を剃ってやろうと狙っていたんだ。
「それから、加代が法子にありがとうって、自分の生活の負担にならない範囲でいいから、信也のことお願いしますって言っていたよ」
「伯母さんが? 伯母さんと私しか奥の院に入らないからかな」
少し明るく会話することにした。何故か胸が詰まって、感極まって泣いてしまったけれど、別に自分が悲しいわけじゃない。信也さんの悲しみが伝染しただけだ。
祖父はまだ心配げだ。
「ただ、法子が大泣きするほどつらいなら、私も反対するが?」
「つらいことなんて何もない。ちゃんと話し通じるし、信也さん変でもなんでもない。ただ悲しいだけよ」
「さすが、法子だな」
「どういう意味?」
「信也が隣に越してきたときにね、小五の頃、アイツはどんなに淋しくても、法子をあやしてるときは笑ってた」
「歌いっぱいうたってくれたんでしょ?」
「憶えてるのか?」
「憶えてない。信也さんが言ってた」
「自分の人生がどうなろうが、法子だけは守る相手だって言ってたわよ」
母が微笑んだ。
「そうなの?」
「どこか特別なんだ、法子はアイツにとって」
「赤ちゃんの時の匂いがするって。乳臭いの」
「そんなこと言ってたか?」
「うん」
「もうかなり大丈夫なんじゃないのか?」
祖父が母に問いかけていた。
「かもね。子供の頃をもう一回やってるだけって感じ。お義父さんがいうように、狂ってもないんだわ」
「エビさんのおむすびでも作ってやったらどうだ?」
「天むす?」
お祖父ちゃんと法子は同時に笑ってしまった。
「丹沢からの帰り用のお弁当作ってもらったじゃないか。おまえのおむすびだって言い当てたそうだ。恵美さんのおむすびは絶品だと」
「あら、嬉しい。私もこっそり会いに行こうかな」
「行けばいい」
祖父は母にそう言ってから法子に振り向いた。
「誰が信者で誰がそうじゃないか、言っておこうか? 実は信也も余り信者ではないぞ。おまえも信心するかどうかは慎重に選びなさい。克也が戻る前に座敷においで」




