少しの情報ー第玖話ー
「いやぁ~驚きました。二人ともびしょ濡れで帰ってくるんですもん。一体、二人で何をしていたんですか?」
焔楽が濡れた着物を焚き火の前で乾かしていると、法術師愛染は興味津々といった感じに声を掛けてきた。
「……」
「まぁた無視ですか?そんな事では、女の子に嫌われてしまいますよ?」
「嫌われても困んねぇよ」
焔楽は己の着物を乾かす事を諦め、半乾きの状態で着物を着る。山の上り下りで疲れている為か、妖術を使うのに集中力が足りなかった。それでも、椿鬼の着物だけは完全に乾かしていた。
戻ってきた時、椿鬼に「脱げ」と言ったら、物凄く怒られた。渋々脱いでくれはしたが、早く乾かせとの一点張り。そこで集中力を使い果たしてしまった。
「まぁ、二人で何をしていようと、それこそ私には関係の無い話なんですけどね。
はぁ、そんなことよりも早く山を下りて、良い宿に泊まりたいものですよ」
「てめぇ一人で下っても構わないんだぞ」
「それは流石にねぇ。言い出しっぺは私ですし」
法術師愛染は苦笑いを浮かべながら話した。焔楽は焚き火を見詰めたまま、適当に会話を続けるのみ。何度か会話が切れても、法術師愛染は不思議と話し掛けてくる。
正直、うざったいと感じる前に疑問にしか思わない。椿鬼もそうだが、何故こうも人種の違う存在に声を掛けるのか。法術師愛染は生業柄仕方ないが、怖いだとか、そういった事を思わないのだろうか。
椿鬼も法術師愛染も、殺そうと思えば、いつでも殺す事が出来るのに。
「法術師、暇なら団子屋で話すって奴、今話せよ」
「えぇ、私からですかぁ?」
「言い出しっぺはてめぇだろ」
「ま、良いでしょう。一人で焚き火の番をしていても、つまらないだけですしね」
法術師愛染は燃え続ける焚き火に、枯れ木を放り投げ、どこか重たい口を開いた。
「師匠を探して旅をしています」
「……師匠?」
「えぇ。行方を眩ませてしまって。多聞天という法術師なのですが、ご存知無いですか?」
「……」
先程と変わらず、適当に会話を続けて聞き流していれば、確実に今の話も同じように聞き流していた事だろう。
それも、法術師愛染は軽くアッサリと「多聞天」と口にした為、余計である。焔楽からすれば、口にするのも忌々しい名前であるというのに。
何年探しても、何一つ手掛かりを掴めなかった存在だったが、ここ数日間で一気に情報が出て来ている。多聞天に仕えているという女妖怪。そして、法術師愛染。
まるで、わざと情報を転がしてきている様な気がして、胸糞が悪くなる。
あの女妖怪の話の限りでは、恐らく多聞天は焔楽の存在に気づいている。それも、己自身が殺した夜叉姫の子だということも。
「師匠、ねぇ」
「ご存知で?」
「ご存知も何も、俺もソイツを探して旅をしてる」
一瞬、法術師愛染も多聞天に仕えているという存在かと疑ったが、そうであれば、あの女妖怪と同じように焔楽を殺そうとするだろう。絶対だとは言いきれないが、少なからず信用できる相手かもしれない。
「とんだ巡り合わせですね。ですが、法術師でもない貴方が、なぜ多聞天様を?」
多聞天様、か。
「……理由は話せない」
「話したくないのではなく?」
「話せない」
「そうですか。でしたら、私も話せるのはここまでですね。目的が同じだと分かったので良しとしましょうか」
別に話せない事では無かった。復讐の相手だとハッキリ話してしまえば良い事だ。どちらかと言えば、話せなかったが正しい。
同じ復讐相手だと分かっていれば、話していたかもしれない。だが、多聞天は法術師愛染の師であり、恐らくだが、今でも慕っている。そんな奴を前にして、復讐してやりたいから探しているなど、よっぽど冷酷な奴じゃない限り無理だろう。
下手をすれば、今度こそ法術師愛染が敵に回る。
「その多聞天って法術師は、どんな奴なんだ」
「おや、お探しなのに詳しくは知らないんですね。
とても聡明な方ですよ。法術師の中でも一番能力に優れ、誰もが憧れる存在。かの有名な、悪鬼で恐れられていた夜叉姫すらも討伐された方です」
「悪鬼……」
母さん……。
「ですが、夜叉姫を討伐された後、多聞天様は姿を消されました。弟子である私にですら、何も伝えず、忽然と。そう易々と死なれる方ではないので、どこかで生きているとは思いますが、心配ですね。多聞天様は私の生き甲斐の様な存在なので、死なれては困りますしね」
やはり、多聞天が母である夜叉姫を殺した事に間違いは無いらしい。
それよりも、悪鬼で恐れられていた?母さんは悪鬼なんかじゃない。確かに、元は妖怪で鬼という存在に変わってしまったが、それでも自我を保ち、悪鬼などという邪悪なモノに変わりはしなかった。それなのに、法術師達の間では、母さんは悪鬼だと恐れられていたというのだろうか。
「……多聞天の事は理解した。だが、夜叉姫という妖怪は悪鬼じゃない」
気付けば、焔楽は法術師愛染を睨み付けるようにして言葉を発していた。勝手に悪鬼だと決め付けられて殺されたのだとしたら、それは余りにも残酷だ。悪鬼では無いのに。
「私は夜叉姫という妖怪を見た事が無いので詳しくは存じ上げませんが、私の聞いた話では、夜叉姫は鬼だと伺っていました。まず根本的な話として、鬼という存在はどのようにして誕生するか、ご存知でしょうか」
「強い怨恨に身を蝕まれた時、妖怪は鬼という存在に化すと聞く」
「ご名答。では、悪鬼は?」
「己の自我を保てなくなり、怨恨、憤怒に身を任せ、次第に邪悪なる存在、悪鬼と化す」
「という訳です。なので、夜叉姫もそうだったのでは?鬼だったのですし」
違う。確かに鬼という存在だった。でも、悪鬼じゃない。母さんは悪鬼なんかじゃない。
焔楽は心を落ち着かせようと、大きく息を吸い、吐き出した。それでも完全に落ち着くことは出来なかったが、怒りに身を任せて話してしまう事は無いだろう。
「そうかも、しれないな」
「……どこか腑に落ちない表情ですね。焔楽は夜叉姫と深い繋がりが?」
「いや」
「少し疲れているのではありませんか?このまま私が焚き火の番をしますので、お休みになられてはどうでしょう」
「……そうする」
「おやすみなさい」
焔楽は法術師愛染が寄り掛かっている大きな木の裏に回り、その木に体を預けた。完全に信用した訳では無いが、寝首をかいてくる事はしないと思ったので、法術師愛染の言葉に甘える事にする。
「……」
人間、妖怪、鬼、悪鬼。
全て、この世界に存在する生物であり、変えられない事実。その中でも唯一、数を減らし続けているのが鬼という存在。
夜叉姫は同じ鬼という存在であったが、悪鬼を生み出さぬ為に、鬼を斬り続けていた。その為か、同族殺しの夜叉姫で名を広めていた。
そして、羅刹もまた鬼と化し、母の跡を継ぐように鬼を斬り続けている。
鬼喰らいの刀。この刀も元は無名の刀であった。だが、夜叉姫がその刀で鬼を斬り続けている内に、沢山の鬼の血を浴びた刀は、血に宿る妖力を吸収し、妖刀へと姿を変えた。そして、鬼喰らいの刀と呼ばれ、恐れられるようになったのだ。
羅刹の本心は解らない。鬼喰らいの刀を強くしたく鬼を斬っているのか、純粋に夜叉姫の跡を継いだのか。
まあどちらにしても、今や羅刹も遠い存在である。
母さんと父さんと。羅刹と平和に暮らしていた頃が懐かしい。あの時は、こんな風に変わると思ってもみなかった。ずっと幸せに暮らしていくのだと思っていた。だが、純粋な子供の心を壊してしまうように、世界は優しくなどなく、残酷な現実を突き付けた。
それは今も昔も変わらない事実である。
多聞天。どこに居ようとも必ず見つけ、母さんの仇を討つ。己の身が悪鬼という邪悪な存在になろうとも。