法術師ー第参話ー
焔楽が羅刹を睨めば、羅刹もまた、忌まわしいものを見るかのような瞳で焔楽を見詰める。その瞳に見詰められるだけで、焔楽は兄である羅刹に恐怖し、身震いをするように毛が逆立つ。焔楽のその様子を見て、羅刹は鞘から抜いていた刀を仕舞い、焔楽に背を向けた。
「お、おいっ、羅刹ッ」
目の前から去ろうとする羅刹を、咄嗟的に引き止めてしまう。
――何故羅刹がこの場所にいるのか。それだけの情報でも欲しかったのだ。だが羅刹は、血の繋がりがある焔楽に対してでも情など無く、常に冷徹で残酷な妖怪なのだ。その為か、焔楽が羅刹を引き止めれば、目にも止まらぬ早さで焔楽に刀を向けていた。
その刀先は焔楽の首にへと当たっており、小さく出来た傷から、ゆっくりと血が流れるのが分かる。だが痛みは大して無く、殺す気ではないのだと分かる。そう分かっていても、羅刹からすれば焔楽を殺す事など蟻を殺すのと同じ様に簡単なのだ。
「私の前に姿を現しただけでも褒めてやりたいが、半妖である貴様が、よもやこの私を引き止める気ではあるまいな?」
羅刹は今にも斬って捨てるかのような瞳で焔楽を見詰め、冷たく言い放つ。焔楽は逃げ出したい本能的な衝動に駆られるも、それを悟られないよう強気に口の端を吊り上げ、笑みを浮かべてみせた。
そんな焔楽の表情を見た羅刹は、無言のまま焔楽を見詰める。
数秒、そんな時間が続いたかもしれない。その時間を破ったのは羅刹で、どこか呆れた表情を浮かべながら刀を仕舞い、腕を組んだ。こういった部分は、焔楽が弟だからの行動なのだと思う。これが焔楽じゃなければ、引き止めた時点で殺されているに違いない。
「……用はなんだ。
貴様と睨み合いをしていても時間の無駄だ。とっとと話せ」
「こんな場所で……何してんだよ」
「関係ない」
「関係なくねぇ。俺は……錫杖の音を聞いて来たんだ。そこにテメェがいるってことは、アイツがいんじゃねぇのか」
適当な理由を付けてみたが、羅刹とアイツが関わっているとは考えづらい事だった。羅刹は焔楽のする仇討ちに興味はなく、復讐をすることしか考えていない焔楽のことを嫌っている。そんな羅刹がアイツ、多聞天と関わっているなど到底思えないし、きっと多聞天を嫌っている。
「知らぬ。
錫杖の音も聞いてはいない。私がここにいるのも偶然だ。貴様は何故ここにいる」
羅刹の性格は良く理解しているつもりだ。両親が殺される前は共に暮らしていた。それに、こんなにも冷酷な男では無かった。差別などを酷く嫌い、焔楽のことも良くしてくれた。それに――羅刹だって同じ半妖なのだ。それでも羅刹は、焔楽とは比べようが無い力を持っていて、その力は妖怪すらも退けてしまう力。強い力を持たない焔楽とは全然違った。
だが何時しか、羅刹は変わってしまった。弱い者を嫌い、常に力を、強さを求めるような男に変わっていた。
そして、母と同じように同族殺しの道を歩んでいった。
それからの羅刹の行動は極めて理解出来る。先程も述べた通り、羅刹は同族殺しであり、「同族殺しの羅刹」で知られている。羅刹は焔楽と同じ、人と妖怪の血が流れる半妖でありながら、鬼という存在であり、今は、その数少ない鬼を斬って歩いているのだ。つまり、その羅刹がここに居るということは、鬼がいたのだろう。
「血の……臭いがしたんだ。それと錫杖の音。だから気になって来た」
「あぁ、これか」
羅刹は腰に提げている、二振りある内の一振りの刀に触れた。その刀は母から譲り受けた、鬼喰らいの刀である。その刀は鬼を斬り、妖力を高めていく。だが、鬼しか斬る事が出来ない為、鬼以外には傷一つ与えることは出来ない。
「鬼…いたのかよ」
「愚問な質問だな。
焔楽、いつまでくだらないことを続けるつもりだ?貴様の悪評は私の評判に関わる」
「ハッ、お偉い様にでもなったつもりかよ。テメェだって好き勝手やってんだ。俺の事、兎や角言われる筋合いねぇっつの」
「問題事は起こすな。少しでも仇を討ちたいと思うならな」
羅刹は冷たい視線を焔楽に向け、今度こそ焔楽の前から姿を消した。羅刹の言葉は何処か忠告のように聞こえもしたが、焔楽が今更仇討ちを止めることなど出来はしなかったし、止めるつもりも無かった。
焔楽は再び臭いを嗅ぐ。血の臭いはまだする。だが、きちんと嗅いでみれば、残り香だろうか。羅刹の臭いもきちんとそこにはあって、羅刹の言いようでは恐らく斬ったのは羅刹なのだろう。そして、羅刹が斬ったのは鬼。
そうなってしまうと、焔楽が血を辿って正体を確かめる必要性は無くなってしまったのだが、それでも錫杖の音は確かめる必要があった。
焔楽は再び歩を進め、血の臭いを辿るように、村の奥にある山にへと足を向かわせた。
◇◆◇◆
焔楽は村の奥に進めば進む程、ある違和感を覚えた。
村の入口付近には沢山の家々があり、老人達が暮らしていた。だが、焔楽が今いる場所も村の範囲内である筈なのに、民家があるだけで人の気配はしない。
付近には雑草だらけの畑に、水汲みに最適な川が流れている。暮らすには十分なものがある筈なのに、村人が居ないというのは、どういうことなのだろう。
試しに一つの民家に入ってみたが、人が暮らしていた形跡は無い。野盗にでも遭ったかと考えても見たが、それならば、ここの村に人は住んでいないだろう。
自分達の意思で移動したのか…?入口よりも住みやすそうな場所なのに、わざわざ移動した訳はなんだ。この村……何か秘密でもあるのか…?
焔楽はしかめっ面を浮かべたが、気にしても仕方が無いと思い、山に足を踏み入れる。山の中は人が通っている形跡は無く、獣道となっていた。
だが、これといって獣の気配もしなければ、妖怪の気配も無い。本当にこんな場所に法術師がいるのかと不安になるが、耳を澄ませれば錫杖の音が聞こえる。近くなっていることには間違いないらしい。
しばらく血の臭いを辿って行けば、開けた場所に出た。ポツンと一つのボロボロな民家があり、使われた形跡のある井戸がある。血の臭いは民家の中からしていた。
焔楽は無意識に、腰に提げている刀に手を掛けて、民家に近付いた。
――その瞬間、突如として見えない壁に阻まれる。痺れるような痛みを感じ、苦痛に顔を歪めた。
「くそっ、……結界かよ」
法術師…か。
妖怪である焔楽は、法術師の張った結界を通ることが出来ない。法術師の扱う結界には、法力と呼ばれる特殊な力が込められており、妖怪である焔楽が無理にでも通ろうとすれば、丸焼けとなってしまう。
「何者だ」
焔楽が黙って結界の前に突っ立っていれば、後ろから男性の声と……忌々しい錫杖の音が聞こえた。
身構えるように振り向けば、そこには袈裟を着た、若い法術師が立っている。目当ての法術師という存在ではあったが、焔楽は何処か拍子抜けした表情を浮かべてしまう。
「妖怪……ですね」
「だったら?」
焔楽の姿を見て、特に驚く様子もなく法術師は言葉を発した。法術師如きに臆したりしないが、それでも己の身を案じて、焔楽は強気に出る。
法術師の髪の毛は、赤みがかった黒い髪の毛をしており、人間にしては珍しい……青い瞳をしていた。なぜ、青い瞳が珍しいのか。その理由は簡単であり、人間という存在は真っ黒な瞳と決まっていたからだ。その為、今よりずっと昔は、黒い瞳以外を持って産まれた子は「禍の子」と呼ばれたそうだ。半妖である焔楽には関係の無い話だが、少しだけ同情を抱かない事もない話であった為、記憶している。
「この場所に何用です……?貴方のような妖怪が来ていい場所ではありません」
だがまあ、法術師相手に同情心を抱いた所で、それは己の寿命を縮める事にしかならないのだが。
「テメェこそ、こんな場所で何してんだ。法術師様が山奥でコソコソと」
……それにしても変な奴だな。大抵の法術師は妖怪を見た途端、攻撃を仕掛けようとしてくる。それに比べ、この法術師はコミュニケーションを取ってきている。よく分からないが……戦いは避けたいということか?
「美女を拾いまして」
「は……?」
法術師はニコリと微笑み、焔楽との距離を詰めて来る。法術師が動く度に、シャランとした錫杖の音が忌々し気に耳に響き、焔楽は警戒したように刀に手を掛けた。
「おやおや、そんな警戒しないでください。貴方と戦うつもりはありませんよ」
警戒心というモノを知らないのか、法術師は怯えきった獣を宥めるように微笑み、焔楽の前に立つ。焔楽はそれでも警戒は解かず、刀に手を掛けたままだ。
「随分と人間が嫌いなのですね。
……それとも、法術師が嫌い、ですかね?」
何処か見え透いたような瞳に焔楽は苛立ちを感じ、勢い良く抜刀し斬りつけようとしたが、法術師は軽々と焔楽の攻撃を避けた。
法術師の扱う錫杖は重たいと聞く。それに、法術師の纏う袈裟もそう軽くはないだろう。それなのに、焔楽の攻撃を軽く避け、ヘラヘラと笑っている。その姿は、ただの弱い法術師で無いと理解し得るモノであり、それと同時に、この法術師の男を気持ち悪いと感じた。
「妖怪だと思っていましたが、よくよく見てみれば、貴方半妖ですね。半妖特有の人間に似た姿と獣の姿。狐……ですかね」
「チッ……ジロジロ見てんじゃねぇよ」
「それにしても美しい髪ですね。人間では有り得ない薄紅色の長髪。そして狐の耳。凄い。半妖になんて、そうそう出逢えるものじゃありません。少し触ってみても……?」
「うぜぇっ!なんッなんだッ!」
気付けば怒鳴っていた。半妖など見た事が無いと言わんばかりの言葉。警戒していないというアピールなのか。イライラして仕方がなかった。まるで――甘い優しい言葉で油断させるかのようで。
焔楽は動揺を隠し切ることが出来ずにいた。人間というものは、妖怪であろうと半妖であろうと、妖という存在を嫌い、恐れ、法術師のような人間は妖を殺すことを生業としている。それなのにこの法術師は、焔楽に興味津々かのような素振り。
「なんなんだ、と申されましてもね。先程も言いましたが、戦う気はありませんよ。そんなに怯えなくても良いんですよ?」
怯えなくても……?俺は怯えてなんていない。こんな訳の解らない法術師に怯えている様では、仇討ちなど夢の中の夢に決まってる。
「あ、そうか。私は愛染と申します。見て解る通り、しがない法術師です。貴方の名前は?」
何か思い付いた様に法術師は両手を合わせ、何故か名乗りを上げた。そして、ジッと焔楽を見詰めてくる。その瞳は焔楽の心の中を覗いてくる様で、人間を相手にしている筈なのに怖いと感じた。焔楽は、警戒心は解かないものの、大人しく従っていた方が身の為だと感じ、今は法術師に従う事にする。
「……焔楽」
ポロッと零れるように焔楽は名乗った。それを聞いた法術師愛染は嬉しそうに両手を合わせ、再び焔楽との距離を詰めた。
ジーッと見詰めて来る。焔楽はそんな法術師の行動に理解が追いつかず、どうして良いか解らなくなる。殺しても良いと思うが何処か調子が狂い、多聞天の事を聞き出せる雰囲気でも無かった。焔楽は溜息を吐いて、抜いていた刀を鞘に仕舞う。
その様子を見て、法術師愛染は優しく微笑み掛けるのみであった。