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修正しました。
私―飯島佐織は非常に機嫌が良かった。
「佐織、今日から学芸会の練習だね」
「そうだね!」
そう言ったのは、私の親友、北野真帆。私と並ぶと毎回真帆の方が可愛いと言われて非常に不機嫌になるが、学芸会の話題になると、その不機嫌さも一気に吹き飛ぶ。
私が楽しみにしている学芸会。三年に一回の学芸会。
運動会が終わった辺りから役決めが始まり、場面ごとに教室で練習してから体育館で練習することになる。
今年で小6だから、何か特別な劇って言われていたんだ。
「一昨日運動会終わったから、ちょっと疲れが取れないねー。あと、今日、学芸会の台本も書かなきゃいけないのよ」
「ヘ? 台本?」
真帆の言う、『台本を書く』ということに見覚えは無い。まさか、私だけ無視して通知したとか?
「知らないの佐織。って、まぁ知らないか。私が極秘で調べた情報だからね」
真帆は、ふふっと微笑んだ。
「えー、どういうこと?」
私は訳が分からず、首を捻る。
「今年で小6でしょ? だから、自分達で台本を書くんだって」
「えーーーーーーーーーーーーっ! 嘘でしょ?」
「嘘じゃないって。あと声うるさいよ」
「マジで? うーっ、困るなぁ。私何にも考えてないよ」
真帆の情報収集能力には呆れる。
私が学芸会の話をしていると、いつの間にか学校についていた。
「来週の月曜日は、学芸会の話を三組に集まってしようと思います」
先生の言葉で皆大ブーイング。
「えー移動かよ面倒くさい」
男子なんか特にブーイング。
「ちゃんと先生の指示に従ってよ男子!」
真帆は、男子に向かって人差し指をビシッと突き立てた。
「はいはい。真帆はうるさいな」
「何ですって。もう一回言ってみなさいよ! あ、言ったことによってはお前をぶっ飛ばしてやるからな」
「怖ーい。真帆怖ーい。暴力反対暴力反対!」
男子はふざけた調子でそんなことを言いながら身震いした。
「もういいわ。それよりも先生、何か言いたいことがあるんじゃないですか?」
「そうですね。では話します。今年の六年生の学芸会は、自分達で物語を作ってもらおうと思います」
「えーーーーーーーっっっっっっっっ!」
突如、私が三十分前に発した言葉と同じ言葉を発したクラスの人達。辺りは騒然とした。
「物語を書くって、クラス一国語が得意なあいつに向けてのことだろ?」
「ひいきしてるんでしょ、綾乃ちゃんのこと」
物語や文章を書くのが大の得意で、国語の成績はクラスで一番いい綾乃ちゃんを、皆が非難した。
小塚綾乃。彼女は国語の成績は最高にいい。
図工の成績もよく、またリーダーシップも良い。三年生の時の学芸会では、大道具係、照明係、音楽係と大活躍した。もちろん主役もこなした。
彼女のその本気の力は、私には想像もつかない。もしかしたら彼女は天才なのかも知れない。
「もう、そんなこと言ったって、ひいきじゃないわよ。これは小学六年生の文章力、文章の構成力のテストも兼ねている学習発表会なのよ。学芸会がなかったら、物語を作るという授業単体でやるつもりだったのよ」
「ふーん。だったら学芸会の物語を自分達で作るっていうのも、ありかもしれないね」
「しかもそれが学習発表会に生かされるっていうこと事態が嬉しいものね」
「やってみたいなぁ。もしも俺の物語が採用されたらどうなんのかなぁ」
「きっと今世紀最悪な学芸会になってるわね」
「失礼な! 知らねぇよ、もしも俺の物語が採用されて今世紀最高の学芸会になったって」
「別に知ったことは無いわね。悔しいってだけですむもの」
「っていうか絶対採用されんの綾乃のだろ」
「だよね。未来が見えるわ」
私もふと、綾乃さんの方を見た。
綾乃さんはセミロングで眼鏡の可愛らしい女の子。真帆はポニーテールだが、綾乃さんの優しそうな目付きも性格も、全部彼女に似合ってる。
「よし、絶対に完成させるぞ、物語!」
「オーッ!」
それから国語の時間が四時間ぶっ通しで続けられ、半分の人は二十分間の休み時間も惜しんで物語を書き続けた。
作文用紙がどんどん減っていく。
同時に皆の集中力もどんどん上がっていく。
特に綾乃さんはサラサラと鉛筆を走らせ、既に三時間目の時点で五十枚目を書いていた。
そして尚もまた三分に一回の割合で作文用紙を取りに行く。彼女の頭の中ではすでに物語の内容が定まっているに違いない。百パーセントそうだと思う。世の中百パーセントはないって言うけど、これは断言して言える。
彼女の中では物語が既に完成している。
給食時間中には、先生は校長先生に作文用紙を運んでいった。
私の作った物語は、友達が転校してしまった物語だ。その友達を取り巻く友達の物語。真帆の作った物語は、泥棒が学校に乱入する物語だ。
ちなみに綾乃さんの作った物語はこんな感じの物語だ。
書き出しを書いてみる。
◆◇
あんな、幸せそうな家庭が…憎い。
あんな綺麗で清潔感のある家族も…全てが憎すぎて。
彼女は、誰からも愛されていなかった。誰からも。誰からも。
友達からも、家族からも。
裏切られたのだ。
皆から。
相手を恨んじゃいけないって、この前、言われたばっかなのに。
いや、全然、この前じゃない。両親にそう注意されたのも、昔のことだった。
今の彼女の目の前には、絶望の二文字しかなかった。
◇◆
見てよこの最初っからシリアス丸出しの物語。
すごすぎて何も言えないわ。
ちなみにこの物語の内容は、深刻な物語で、いつもちょっと陽気で明るい綾乃さんからは想像もつかない物語だった。
とある少女が絶望の淵にいたとき、死のうと思っていたそのとき、ある転校生の男の子によって、彼女は自殺を食い止められる。クラスの友達も協力してくれて、彼女を取り巻く問題に力を貸して解決させる物語だったのだ。誰だってすごいと思うだろう。私だって内容を知ったときにはびっくりした。
それから一週間ぐらい、学芸会の話は先生の口から一切出てこなかった。
島本恋雪先生は現在24歳の若い教師だ。大学を出たばっかで周りのオバサン先生からはゆとり世代とか言われているけど、本当に全然そんなことないと思う。
恋雪先生は、若くて活発で、男子にも女子にも人気がある。六年生に新任の先生が来ることはこの学校にはあまり無いことだし、しかも優しい先生だったから、皆に当然人気があった。
やがて月曜日の朝の会が終わり、私達は三組に集合した。
三組は去年までランチルームだったから、他のクラスよりも面積が広い。
私のクラスは六年一組。何故か常に一年生から六年生まで問わずこの学校の「一組」というのは、「若い先生や新任の先生が就くことが多い」という伝説が、いや、噂がある。
やがてそれぞれのクラスの先生が全員三組に集合した。
作文用紙を沢山抱えて。
「えー、学芸会の土台とする物語が決まりました。同時にその物語の作者も発表します」
二組担任の今年異動してきた若いイケメン先生(しかも未婚で、狙っている女の先生が10人を超えているという噂がある)が言った。
辺りは突然の発表にドキドキワクワク。
真帆も、「私選ばれるかも」と胸をドキドキさせている。私も心臓の音が聞こえるくらいドキドキしている。
「選ばれたのは、「とある少女の物語」を書いた、小塚綾乃さんです!」
皆はオオーーーッッッ! と歓声を上げた。中には、「やっぱりね」という言葉もある。
「流石、綾乃ちゃん! 私もそうなるんじゃないかって予想してたわ!」
「頑張ったね!」
綾乃さんはすっごい照れ臭そうにしながら前へ出た。
「それでは小塚! 受賞の一言を!」
「え?あ、その……。……う、嬉しい! 良かった! 私の書いた物語、全然自信なかったけど、受賞したことで自信が持てた!」
「って佐藤~。受賞じゃねぇよ~。選ばれたんだって!」
綾乃さんに受賞の一言を求めた佐藤が、男子に注意された。
「言ってみたかっただけだっつの! 揚げ足取らないでよ!」
そのやり取りに、綾乃さんを含んで、皆が笑った。
やがて綾乃さんの物語は台本として、学年全員分印刷されることになった。劇にするから、ちょっと省略されたけど、実物はちゃんと先生の方で管理されているから誰でも読むことは出来るらしい。
ちなみに学年の全員が書いた物語は、図書室に展示されることになるらしい。系統をまとめるらしいから、私の物語はきっと友情物語として扱われる事だろう。
「佐織~。実物、読んできたよ! ちょっとしか読んでないけどびっくりするぐらいすごかったよ! 言葉出ない!」
「ホント? やっぱりすごいよね綾乃さんは!」
私は年下と遊ぶ約束をしている綾乃さんを見て、微笑んだ。どうやら一学年下にモテる弟がいるらしくて、だからよく一学年下の子と遊ぶらしい。
「フレンドリーだし、友達多いし、才能あるし。あぁいう子を天才っていうんだろうね」
私はしみじみとそう言った。
その翌日、クラスごとに振り当てられた役を決めることになった。
主人公と転校生の男の子はクラスじゃなくて学年全体で決めることになっている。
私はクラスごとに振り当てられた役をすることにしたかったのだが、クラスの推薦で、真帆と一緒に主人公のオーディションをやる羽目になった。
「転校生の男の子も、主人公なんだよね」
「だから男女それぞれ一人ずつ主人公になるんだよね。なるほど、平等じゃない」
私と真帆が廊下で話し合っていると、綾乃さんが話しかけてきた。
「私の物語、昨日読んだって話してたけど、どうだった? 実は自信ないんだ、あんまり」
「何言ってんの綾乃ちゃん! すっごく面白かったよ、そんな自信なさげに言ったらこっちこそ心配になってきちゃうじゃない!」
「そうかなぁ……」
「わ、私もそう思うよ。省略された台本見ても、すっごく面白かったもん。どうやったらあんな物語が書けるのか教えてほしいよ!」
「正直そんなに自信があったわけじゃないし、ヤケクソだもの、四時間なんて書けるもんじゃないわ。適当に書いちゃったもの」
「そうなの? これで適当!? 本当にすごいね!」
私達には到底真似出来ない。
しかし彼女の才能には圧倒される。一体どうしたらあんな物語が書けるのだろうか。不思議だ。
「何か本気で言ってるように見えないけど、気のせい?」
「ん? 本気で言ってるって」
真帆はそう言いながら優しく微笑みかけた。
綾乃さんは心底嬉しそうにしながら去っていった。
「私、綾乃ちゃんが羨ましいの」
真帆が少し寂しそうにそう言った。
「そりゃそうよね。私だって羨ましいもの」
「だって自分の作品が学芸会に生かされるなんていいものじゃないのよ」
「私も思うわ。あぁ、何で私は才能ある子に生まれてこなかったんだろう、とか」
「そんなことないわ。皆素晴らしい才能を持っているのよ」
私がそう言ってヘラヘラしていると、恋雪先生が来て言った。
「でも私、自分才能あるなって感じたことありませんよ」
「それはまだ貴方が才能に気付いていないからよ。もしかしたら、今まで自分が思ってないだけで、才能あるなって他の子に思われている事だってあったはずよ。それは、小塚さんにも言えることだし、学校の全員に自信を持ってそう言えるわ」
恋雪先生はフフン、と鼻を鳴らした。
「ちなみに私はまだ才能に巡り会えてないよ!」
恋雪先生は真面目な話の最後にこういうオチを持ってくるから、盛り上がる。恋雪先生はいい先生なのだ。
皆を盛り上がらせることこそ、最強の武器かもしれない。
「先生、今、綾乃さんの実物を読んでいいですか?」
「あぁ、良いわよ。市の図書館に全部展示して、一年ぐらい展示させてもらえることになったの。図書館の館長さんが、小塚さんの物語を読んで感動しちゃったらしくて。こういう本がいつでも読めるのなら、是非一年展示させてもらいますって涙流しながら言ってたわよ」
「そうなんですか! 図書館の館長さんを泣かせるとは、綾乃さん、恐るべし!」
放課後に綾乃さんの本をじっくり見るという話を先生として、それから配役決めにかかった。
綾乃さんは、物語の作者ということでナレーター役。彼女は滑舌が良いから、噛まずに言えると思う。
「では、主人公の大親友役は……」
「私、やりたいです!元気いっぱいの少女役を演じたいです!」
「では主人公が好きだった男の子を演じるのは……」
「僕、やりたいです!台本見て、ピッタリな性格だと思ったので」
「大道具係をやる人は、後でちゃんと代役決めをやります」
流石先生。皆を舞台に立たせる気だ。
「よし、大道具係の皆は明日の中休み体育館集合ね」
「大道具って結構面倒なんだよね」
「その分練習あるし、大変よね」
「では、主人公を決めるオーディションをしたいと思います。」
体育館に集められた主人公と転校生の男の子のオーディションを受ける十人でごった返した。
「はい、ではまず、最初の場面を自分なりに考えた振り付けで、演じてほしいの。じゃあまず赤崎さんから」
赤崎さんはちょっと目立つ目が多少大きい女の子。自分では世界一可愛い女の子と言っているが、正直真帆の方が可愛いと思う。まず顔が良くても、性格がねぇ。自分が世界で一番とか言ってるから、鏡見て来いと思う。
「『おはようございます』」
そしてここで、クラスメートの男子からの、『お前何言ってんの? お嬢様ぶってんの?』という台詞が飛んでくる。
「『…………』」
ここで赤崎さん黙る。演技力すごい……。
そこですかさず女子から『ホントこいつダサいよね。何でこんな奴が生きてんの?』という悪口が返る。
赤崎さんのその演技力が才能といえるだろう。私、落ちるかもしれない……。でも、真帆が受かってほしい。
主人公の藤崎梨花は、元々はお金持ちで、父親のやっている不動産会社も順調に進んでいて、家族全員高級マンションに住んでいた。が、その父親の経営している会社が倒産して、両親は揉めた。そして挙句の果てに母親は不倫をしていて、その不倫相手の子供も出来てしまった。父親はそんな母親と、何の罪もない大切な一人娘の梨花も捨ててしまった。
父親はその後、消息不明でいたが、やがてとある商店街のとあるマンションで自殺していたことがわかった。
彼女はその後、母親の弟夫婦の家に転がり込んだが、その家庭はもう大変だった。
父親、すなわち梨花の母親の弟はギャンブルとパチンコに溺れ、どんどん梨花の面倒も見なくなった。
母親、すなわち梨花の叔母は金の為なら子供を売るような最低な奴で、酒と金に溺れていた。
母親の弟夫婦には子供がいたが、その子供は母親の金目当てによって見知らぬ男達に売られてしまった設定らしい。
しかしこんな物語を教師がオーケーするものだろうか。何か裏がありそうに見えるが、気のせいだろうか。
「さて、次は飯島さん」
「はい」
私はのろのろと立ち上がった。
何せ、推薦されたのだから不安なのだ。
私は自主的に、ではなく、推薦でオーディションに足を運んだのだから、もしも受からなくても期待していた自分が悪い、と推薦してきた相手に責任を押し付けるのが良い方法だった。
でも、主人公の推薦を受けた身なのだ。
そんなことを言った時点で、推薦してくれた相手の信頼も失うことになる。
「『おはようございます』」
よし、上手く言えた。次に先生からの『お前何言ってんの? お嬢様ぶってんの?』という暴言が浴びせられる。しかし、何か心に響くなぁ、そのトーンで言われると……。
ついに私はオーディションを終えた。
真帆は立派な演技力で、多分受かること間違いなし。だと思う。
「真帆、よく頑張ったね」
「佐織も上手だったよ。私よりも上手だったから」
「そう?」
「そうだよ」
真帆の言葉に浮かれながら私は帰路についた。
「ただいまー」
「お帰りなさい」
弟が冷静な声で返す。
「あんた、塾の宿題やってるの?」
私は、弟の手元のプリントを覗き込んだ。
「うん。お姉ちゃんも宿題をやればいいのにね」
弟は、私を横目に、言った。
「ちゃんとやっているよ、失礼だね」
「お姉ちゃんも塾通えばいいのに」
話を変えるんじゃない。
「そうやって返すな。大体、誰に向かってそういうこと言ってるんよ」
「お姉ちゃんに向かって言ってんだよ、頭悪い馬鹿姉ちゃん」
弟が姉に対する失礼な言動を働かせる。
「何だと? これでも頭は良いんだぞ! 国語算数社会理科、全教科の点数90点越えだぞ。偉大なるお姉様に謝罪しなさい」
「ふーん。じゃ、すみませんでした。あ、あと俺昨日全ての教科のテストで100点だったんだよ全部」
「な、なんだと!? 嘘だ、有り得ん。弟が姉に勝る等有り得ない……」
「別にそんな有り得ないことじゃないよ。大体勉強しないお姉ちゃんが悪い」
「うぅ……」
私には弟がいる。俊という子だ。頭良くて顔も良くて。でもちょっと神経質なのがたまにキズ。
なのでこんな性格でも弟は同じ学年(弟は小2)の女の子にモテている。上の子地味ねぇ、と何度皆に言われたことか。えぇ私は地味です根暗です可愛くないです! だからそんなことを人の前でホイホイ言うんじゃない。その人がどれだけ傷ついているか分からないくせにそんなことを言うなよ。
何てことを思っていると、母親から電話がかかってきた。
「あぁ、佐織? 俊はいる? 俊の塾から連絡があったのよ」
「ん? ……俊、塾からだって」
「はーい」
俊が残像が残るぐらい超高速で動かしていた鉛筆はあっという間に机の上に放り出される。鉛筆がぐったりしているのが見えた。ような気がした。
「はい、はい。え、そうなんですか? あ、分かりました! ………姉ちゃん! 俺、塾の家庭教師呼ばれたよ、女の先生! 家庭でも面倒見たいっていう人達がいっぱいいるって! その中から一人選ばれたらしいんだよね!」
俊の言葉と話はなんかよく分からない。
でも女の先生が何で? はっ、俊は実は家ではあんなこと言ってるけど塾では勉強は一番下っ端とか? だから面倒見たい人が現れたとか。
そうなれば非常に機嫌がいい。でも、弟よりも成績の低い私が言うことではないか……。
「で、何で家庭教師が来るの?」
「何か俺のことをお世話したいって人が現れてね。あ、勿論成績が悪いってわけじゃないからね。一応トップクラスだから」
「トップクラスだから……じゃないわよ、何自慢げに話してるんだ」
「うるせぇな! そうだよ自慢だよ別に俺なんか勉強以外自慢できることないんだよルックスも何もかも自慢出来ねーよ!」
弟が目に涙を浮かばせた。何か可愛い。こいつ可愛い。ルックスは自慢できないと言っていたがもはや最強の武器じゃないのか。
「まぁそう怒らないでさ、ほら、コンビニからガリガリ君買ってきてあげるからさ」
「いらねーよこんな寒い時期にアイスなんて。……って俺を馬鹿にしてんだろーっ!」
「な、何故バレた……」
「ひどーーい!」
女の子っぽい声を出して、弟は泣き出してしまった。
あと、こいつは泣き虫だ。些細なことでよく泣く。特にプライド高そうだから傷付けられるとすぐ泣く。
そういう奴こそ、周りから見て情けない人だと思われるということに気が付かないんだろうか。
弟も、勉強に関しては頭いいけど、こういう人間の気持ちに関することはわからないんだろうな。
ピンポーン……。
「うぐっ、グズッ……。………あ、はーい、今開けますね。家庭教師の女の先生ついに来たか……」
弟は家庭教師の人が来るとすぐ泣き止み、意気揚々と玄関に飛び出した。が、代わりに絶望の顔へと変化した。
「何だと……? 思ってた人と違う……」
うん私もそう思う。
私が思い描いていた女の家庭教師像は、眼鏡をかけていてセミロングの優しそうな女の人だった。
でも今目の前にいる人はどっからどう見てもオバサンなのだ。
ぽっちゃり系で、顔に皺がよっている。これは塾の男子から嫌われてそうな先生だ。
「何で松井……?」
どうやらこの人は松井というらしい。
「今日から俊君の家庭教師をすることになりました。松井直子です」
彼女は深々とお辞儀をする。
「こんにちは、俊君~! 私が担当するの、楽しみにしてた~?」
「はい、楽しみにしてました」
お前が来るまではな……。と俊は小声でつぶやいた。
松井先生が離れると、俊は私に小声で囁いた。
「こいつ、塾のクラスの皆から嫌われているんだ。オバサンって。中には松井って呼び捨てにする奴もいるんだ」
「ふぅん」
「ちょっと、子供部屋を案内してちょうだい」
松井先生が早速私と俊が共同して使っている子供部屋にずかずかと割り込んできた。
「「あっ」」
俊が悲鳴を上げた。それとほぼ同時で私も悲鳴を上げた。
何せ子供部屋の本棚には、私が書いたすっごくヤバイ物語もあるのだ。あと俊の卒園アルバムもちゃんと残っている。
「あら~、俊君の保育園の時の写真~。可愛い~」
どうやら俊の卒園アルバムを見たらしい。
俊が小声で「あとでアルバムをタオルで拭こう」とつぶやいた。
人の本棚を勝手に見るな。物色するな。やめろ。
そう思ったが、彼女は私の本が沢山入っている本棚には目もくれず、俊の本棚を見ていた。
なるほど、彼女は勉強を教える家庭教師としてこの家を担当したのではなく、ただ単に俊と一緒にいたいから家庭教師を引き受けたのだろう。まさか俊のカッコよさはオバサンまでも魅了するのか。俊、恐るべし。
「ランドセルほったらかして、俊君のお姉さんってば、いやぁねぇ。……それに比べて、俊君、えらいわねぇ。ちゃんと片付けているなんて」
うるせぇ。
私は子供部屋の前で立ち尽くした。
おい、松井。私のランドセルを見るな。
こいつは本当の駄目教師だ。立ち振る舞いも、礼儀作法も身につけていない。親の顔を見てみたいものだ。
「ん……? あら、学芸会の台本……? 『とある少女の物語』ってそのまんまじゃないのよ」
松井は学芸会の題名を見てケラケラ笑った。途端に私は松井に対して激しい怒りがわき出てきた。
「何これ、小学生が書いたものじゃないのよ。六年一組、小塚綾乃ぉ? 私の方が物語上手く書けるっていうのに、教育委員会、頭おかしいんじゃないの?」
頭おかしいのはお前だろ。何で本文も読まないで決め付けるんだよ。最低だろ。教師失格だろ。っていうかお前は図書館の館長すら泣くような物語書けるのか。絶対おばさんと少年の物語とか書きそうなんだけど。
隣で俊が、「お姉ちゃん、何やるの?」と小声で尋ねてきた。
私が答えようとすると、松井が何やら俊のランドセルもあさり始めた。おい、被害を拡大するんじゃない。
「あら、俊君は『西遊記』をやるの? 見に行こうかしら」
物色すんのやめろっつってんだろ。
「やめてください。宿題をしないといけないので」
「なぁに、家庭教師の時間が終わるまでずっとここにいなきゃいけないのよ。だから、一緒にいましょ? 宿題教えてあげるわよ~」
俊の言葉もかき消され、俊が涙目になったそのときだった。
「やめてください」
私も声を出していた。
「何よ、私は今から俊君のことを見守らなきゃなんないのよ。それをやめろなんて頭おかしいんじゃないの? 俊君もそう思うでしょ?」
頭おかしい? 特大ブーメランですね。
「俺はそう思いません。だから俺の家庭教師を辞めてください」
俊は、直球で返した。
「何よ、俊君まで。貴方達二人とも……いえ、俊君を除いて、頭おかしいんじゃないの?」
何故俊だけ除くんだ。俊だけ。
「そこまで言う必要はありません。出て行ってください」
「何でよ。私は俊君と一緒にいたいのよ。……あ、いえ、俊君と一緒に勉強したいのよ」
本音、出た!
流石にこんな気持ち悪い人から好かれていると知った俊は、私にしがみついた。
「松井先生、もう、本当にやめてください」
「何でよ、私の愛は誰にも届かないって言うの? 私、未婚だからさ、出来れば成人した俊君と結婚したいのよ」
その途端、俊は泣き出した。
私も泣きそうだ。
この人、頭おかしい。
何、愛って。小学生男子に対して愛って何だよ。
「私の愛は受け止められないの?じゃあ愛のキスをしてあげるわよ」
キモいキモいキモいキモいキモいキモいキモい。
頭の中がその言葉でいっぱいになった。
「これで貴方も私の虜になっちゃうわね、俊君……」
やめろ、トラウマもんだぞこれは。
松井のガサガサの唇が俊に当たろうとする。
こんな可愛らしい私の弟の顔にお前を触れさせるか!
「俊君、私、可愛いでしょ?」
「嫌だ嫌だ嫌だ……」
私はじりじりと玄関の方に歩み寄った。
ドアが背中に当たる。よし、松井はたった今玄関近くの子供部屋から出てきたばっかりだ。このまま松井を玄関まで押しやって……。
「俊くーん!!」
松井はどんどん私達……いや、俊に近付いてきて、最後には走ってきた。
「嫌だぁぁぁぁ! お姉ちゃん逃げてぇぇぇぇ~!!」
涙でぐちゃぐちゃの弟の手を、ぎゅっと握りしめる。私も涙を流すところだった。
私はタイミングを見計らって勢いよくドアを開けた。
松井の体は空中へ放り出される。
そして私は、松井が家の外に寝そべったのを確認してすぐさまドアを閉め、鍵をかけた。
やがて松井の扉を叩く音がしたが、私は俊を慰めていた。
「大丈夫? もう、何なのあいつ」
「うん、大丈夫……」
俊がもうそろそろ泣き止む。ドアがドンドン言っていたが無視だ無視。
「あのさ、西遊記の何役?」
「俺、猪八戒だ」
「猪八戒? 豚? あんた、太ってるっけ?」
「違う。西遊記は代わりばんこにやるから。つまり、演じる人が変わるってこと」
「ふぅん。あ、私、『とある少女の物語』の主人公のオーディション受けたの」
「あ、そうなんだ。っていうか『とある少女の物語』を書いたの、あの小塚綾乃さんでしょ? 三年生の時の学芸会で大活躍したっていう」
「そうそう、何か綾乃さんって、小説家になる為に生まれてきた人なのかもね」
「何事も夢に一生懸命なのはいいことだと、俺は思うけど、お姉ちゃんはどう?」
「ん……」
俊は時々グッと来る言葉を言う。
それにしてもまだドアを叩く音は鳴り止まない。こいつ、本物のストーカーになりそうだ。
「もう、警察に通報する?」
私がそう言うと、俊はブンブンと首を縦に振った。
数時間して、私の家は大混乱になった。
でも家はマンションだからわざわざ駐車場に停めなきゃならない。
やがて松井は連行されていった。今頃カツ丼でも食べているのだろう。
◆◇
はぁ、もう、今日はオーディションの結果発表なんて聞いてないっすよ恋雪先生。
と言いたくなるほどに突然のお知らせだった。
中休み―つまり今の時間にまたまた体育館に集合だ。何回呼べば気が済むんだ。
と言う間に、私は合格発表者を少しでも見たいという人の波に押され、強制的に体育館へとたどり着いた。
「ふがむがむが!! 離せ離せ!」
そんな言葉を発しながら。
真帆と私は緊張に満ち溢れていた。
もしも私達二人だけで受けていたら、一人が落ち、一人が合格する。そんなことになってだんだん距離を開けていくようになっちゃって最後にはもう親友じゃなくなっていて……。
っていうことにならないように、私は真帆がもし受かったら応援するし、もしもどちらとも受からなかったら、それはそれでいい。
とにかく私が受からなければ、真帆との友情をずっと続けられる。
だが、現実はそう自分の思い通りにならなかった。
「主人公の藤崎梨花役は……、飯島佐織さんに決定しました!」
パチパチパチパチパチパチ!
拍手が巻き起こる。
え……?
私、受かったの……?
それで、真帆は、落ちたの……?
私は真帆を急いで見た。
「真帆……」
「佐織……」
周りが賞賛の拍手を送っていたが、真帆一人だけが、真剣な顔をしていた。
「ごめん、怒って……る?」
「おめでとーーーーーーーーうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
「ま、真帆!」
真帆は私に抱き付いた。
「佐織、おめでとう! 佐織!! おめでとう!!!」
真帆は泣いていた。
やめてよ真帆……。そんな顔するの……。
私も、泣きそうだよ……。
「お姉ちゃん! 合格おめでとう!」
「俊!」
俊が、合格発表を見ていた。
今週三度目の涙を目にいっぱい浮かべて。
「俊! 真帆! ありがとう!」
私達は三人で抱き合った。




