第二章 退儺師(たいなし) 〈2〉
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「ちょっと会ってもらいたい人がいるの。帰りにつきあってもらえる?」
千草が明宏に云った。
放課後である。
千草と明日香はトイレへ行き、明宏はもたくさとスポーツバッグへ制服を入れなおすことで、教室から他のクラスメイトがいなくなるまで時間かせぎした。
3人して謀ったわけではないが、お互いの気配でなんとなくそうした。
「帰りにって、学校の外ってこと?」
明宏が訊ねた。
「そうだけど」
「……それじゃ、場所を教えてくれないか? 一旦、家に帰って着替えてきたいから」
「どうして?」
「詩緒里ちゃんに妙なカンぐりされても困るし、おばさんにも心配かけたくないんだ。学校から帰りがおそくなるより、一旦帰宅して、学校の友だちと出かけてくるって云った方が、おばさんも安心すると思う」
「そっか」
千草はアッサリうなづいた。彼が〈雨漏り道場〉へ住んでいることも、詩緒里との関係も、先の接触テレパスで周知だ。
ただ、なぜ〈雨漏り道場〉へ住むことになったのかまでは知らない。
明日香がカバンからかわいらしいB六判のシステム手帳をとりだすと、小さなルーズリーフに住所と電話番号を書いて明宏へ手わたした。
「街の北東にある方相寺ってお寺ね。バス停とかあるから、すぐわかると思う」
「お寺……? わかった。なるべく早く行けるようにする」
「ほんじゃ、先帰って待ってる」
ふいに明日香の視線が明宏の背後へそそがれた。明宏がふりかえると、
「おそいよ、明宏。なにチンタラしてんの!?」
詩緒里が教室へ入ってきた。詩緒里には明宏の姿しか目に入っていなかったらしい。
彼が男子生徒ではなく、ふたりの美少女とならんで立っていたことに気づいた詩緒里は虚を突かれた。
「……この声が詩緒里さん?」
そんな詩緒里のようすに頓着することなく、千草が灰色の瞳をあさっての方へ向けて云った。
「え……ハイ」
千草の目が見えないことに気づいた詩緒里はすなおにうなづく。
「私、姫鞍千草と云います。実は今日、私が階段から足をすべらせたところを、武光さんに助けていただいたんです」
(……武光さん?)
千草のバカ丁寧な口調に明宏があきれた。
初手から「あんた」よばわりされた明宏への態度とは雲泥の差である。どう云うつもりか知らないが、キャラをつくりすぎである。
「ごらんの通り、私、目が見えないものですから、助けていただいた時は気づかなかったんですけど、私をかばって倒れた時に窓の桟で耳を切っておケガなされたとうかがいまして。おくればせながらお礼とお詫びを申しあげていたんです。つまらないことでおひきとめしてすいませんでした」
「あ、別に急ぎの用があるわけじゃないんで、大丈夫です。……そっか。一応、名誉の負傷だったんだ」
あとの言葉は明宏へ向けられたものだ。明宏は曖昧な表情で困惑した。詩緒里は照れたものとかんちがいしたが、
「千草の短剣によるケガです」
とは、口が裂けても云えない。
「そちらは……?」
詩緒里はかたわらに立つ明日香を誰何しながら、彼女の可憐な美しさに息を呑んだ。
(お人形みたいにキレイな人……)
「この人も同じクラスで、霧壺明日香さん」
明宏の仕草から自分が紹介されたことを察した明日香が詩緒里へ会釈した。詩緒里も頭を下げる。
「アスカさんは耳が不自由ですの」
千草が補足する。その言葉を聴いた詩緒里は手話で明日香へ自己紹介した。明日香もあらためて手話で自己紹介する。
「詩緒里ちゃん、手話できるの!?」
明宏がおどろきの声をあげた。詩緒里はさも当然と勝ちほこった顔で明宏へ向きなおる。
「カンタンなものくらいわね。この高校じゃ手話できた方がなにかと便利だし楽しいよ」
剣術道場の娘と云う要素をさし引いても、詩緒里は身体を動かすことが大好きだ。
中学生の時、学校でダンス部に所属していた詩緒里は、身体を使って気持ちを表現する手話が気に入っている。
千草は携帯電話をとりだすと、
「アスカさんも今朝、登校中に車へひかれかけたところを武光さんに助けていただいたそうです」
明宏たちへ顔を向けながら云った。
明宏と詩緒里は千草がなにをしているのか理解できなかったが、明日香は千草の行為を理解した。
明日香も携帯電話をとりだすと、ディスプレイ画面を見て、ほほ笑みながらうなづいた。
明日香が携帯電話のディスプレイ画面を明宏と詩緒里へ見せた。
千草の発話がマンガのふきだしでかこまれた文章で表示されている。SNSのチャットだ。
実際のところ、千草と明日香の間では〈念話〉で話が通じるのだが、まわりにバレないよう、わざわざこのようなことをしてみせなければならない。
今度は明日香が携帯電話のボタンを親指1本ですばやく操作すると送信ボタンを押した。千草の携帯電話にピロリン! と、着信音が鳴る。
「武光さん、詩緒里さん。ちょっと私のケータイへ耳を近づけてくださいますか?」
千草が携帯電話を明宏と詩緒里の方へ向ける。ふたりが顔を携帯電話へ近づけると、
「明宏サン、今朝は助けてくれて、ありがとうございました」
女性の硬質な人工音声が流れた。
「なるほどね~」
明宏と詩緒里が感心した。
「それでは私たち、そろそろ失礼いたします。詩緒里さん、明宏さんをおひきとめしてすいませんでした」
千草の手が頼りなげに明日香をさがす(もちろん小芝居である)。
「ぜんぜん気にしないでください。あたしたちも帰りますから。あ、姫鞍さん、あたし下駄箱までヒジお貸しします」
詩緒里は千草の前へ立つと左手にヒジを触れさせた。明日香のヒジを探す仕草に気づいたからである。
雨上がりで湿度が高く、すべりやすくなっている廊下や階段で携帯電話片手に意思疎通をはかる明日香の先導では危ないと判断してのことだ。
「あら、ありがとう。それではご厚意に甘えさせていただきますわ」
右手にカバンと白杖を持った千草が会釈した。それを合図に4人は教室をでた。詩緒里と千草のうしろから明宏と明日香が肩をならべて歩く。
「それと詩緒里さん。せっかく、こうしてお近づきになれたのですから、私のことは千草と名前でおよびください」
「え、あ、はい。千草……さん」
千草が優雅にほほ笑んだ。
「そう云えば、どうして千草さんはあたしの名前を?」
おそまきながら気づいた詩緒里に、
「あら。武光さんには、とてもかわいいカノジョさんがいるって、もっぱらの評判ですのよ」
とんでもないウソを云いだした。
突然、明宏のカノジョなどと云われ、顔を耳までまっ赤にした詩緒里はしどろもどろの抗弁を試みた。
「え、……や、やだなあ。あたし、そう云うんじゃないです。あ、明宏はイトコで、まだ高校に編入して間がないから慣れるまでいろいろ大変かなーと思って……なんて云うか、できの悪い弟って云うか、頼りないから守ってあげなきゃって云うか……」
明宏に対する恋愛感情こそないが、惚れた腫れたの話題は苦手である。
「あら、そうでしたの……」
(こらこら。だれができの悪い弟だ。ぼくの方が歳上だし。て云うか、千草さんもそこはツッコむところだろう?)
明日香の歩調にあわせてゆっくり歩いている明宏のところからふたりの会話へツッコむには微妙に距離が遠い。
「でも、イトコ同士って結婚できますのよ」
こともなげな口調で千草がつづける。
「う……でもだって、それはまず、相手の同意が必要で……」
動揺している自分に動揺してますます収拾のつかなくなっている詩緒里は意味不明のことを口走っていた。もはや鍋で煮えたつ茹でダコもよいところだ。
(千草さん、ゼッタイ詩緒里ちゃんのこと、からかって楽しんでるな)
千草と詩緒里の会話に割って入れば、明宏も一緒にからかわれかねない。それを上手にあしらう自信はほとほとない。
(……詩緒里ちゃん、ゴメン)
明宏は自らも巻きこまれる愚を避けるべく〈雄弁の銀〉ではなく〈沈黙の金〉を実践した。