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第一章 土鬼蜘蛛(つきぐも) 〈6〉

 千草がさけぶと同時になにもない空間から小さな緑色の光がほとばしった。


 その光の先からじわじわと土鬼蜘蛛(つきぐも)のブキミなカタチがあらわれる。


「アッ……!」


 土鬼蜘蛛(つきぐも)の頭部が半分出てきたところで、明日香が思わず小さな悲鳴をあげた。


(なんだ。カワイイ声じゃないか)


 などと、場ちがいな感想を抱きながら、明宏も土鬼蜘蛛(つきぐも)の姿に若干引いた。


 目と目の間でブンブンうごめく長い触角。黒々とかがやくその姿はまさに巨大ゴキブリそのものだった。


 明日香はゴキブリが大の苦手なのだ。


 明日香の右手がせわしなく舞う。前に突き出した手を引き、親指と小指を折り曲げた手の甲を正面へ向ける。左手をそえ、立てた3本指をゆらす。


 彼女がその手を巨大ゴキブリへ向けてはらうと、大量の液体が巨大ゴキブリへ浴びせかけられた。もうもうと白煙がたちのぼる。


(……酸か!?)


 熱湯だった。


 体表を油膜(ゆまく)でおおわれているゴキブリ退治には有効な手段だが、相手は土鬼蜘蛛(つきぐも)である。


 身体は固い外殻(がいかく)でよろわれていてまったく効果はない。打たせ湯のサービス(?)みたいなものだ。


「どうしたの、アスカッ!」


 目の見えない千草に明宏が説明する。


「……大っきなゴキブリに、アスカさんが熱湯をぶっかけた」


 明日香も千草へ〈念話〉でさけぶ。


〈千草ちゃん、これゴキブリだよっ! ダメッ! 気持ち悪いっ! ヤダッ!〉


「アスカ、落ちつけっーの! ヤツは土鬼蜘蛛(つきぐも)だ! ゴキちゃんじゃない!」


 緑色の光の中からじわじわと這い出してくる巨大ゴキブリの姿をした土鬼蜘蛛(つきぐも)が平べったい口を開いた。


 下アゴには歯のかわりにふたつに折りたたまれた細い腕がびっしりとならんでいた。先端には小さなハサミがついている。


 口の中で折りたたまれたハサミつきの黒い小さな腕がカサカサと動き出す。ふつうのゴキブリより数段気持ち悪い。


(やばいっ!)


 明宏は考える前に動いていた。首に押しあてられていた刃も意に介さず、身体を力一杯左へ回転させる。


「な……!?」


 千草の身体がふりまわされて足が浮いた。短剣を持つ千草の右腕が上にそれて明宏の左耳をあさくかする。


 明宏は回転の反動で千草の腕の先へすべってきた白杖(はくじょう)を右手でにぎりしめると、千草の身体を背負うカタチで明日香の前へ走り出た。


 右肩で明日香を横へ突き飛ばした刹那(せつな)、巨大ゴキブリの下アゴから無数のハサミがのびてきた。明宏が白杖でそれを左へなぎはらう。


 ふつう、目の見えない人が用いる白杖(はくじょう)は軽量かつ脆弱(ぜいじゃく)で、走行中の自転車の車輪に巻きこまれただけでも壊れてしまう。


 しかし、千草のそれは対土鬼蜘蛛(つきぐも)用の護身武器をかねた特別製だ。


 巨大ゴキブリを傷つけることこそできないものの、なんとかその攻撃をいなすことができた。


 その間に、明宏へ突き飛ばされ、倒れかけた明日香は体勢を立てなおした。低い姿勢で巨大ゴキブリへ向きなおる。


「今だ!」


 明宏と目のあった明日香が行動で答えた。


 右手を優雅にひらめかせ、たちのぼる炎のような動きをみせると、明日香の手から放たれた炎が巨大ゴキブリを包みこんだ。


「ギキキキキキッ!」


 黒板に爪を立てて引っかいたような耳障(みみざわ)りな声をあげながら巨大ゴキブリが身悶(みもだ)える。


 巨大ゴキブリが身をくねらせるたびに、明日香がおびえながら手をふるう。


 体育館の天井を越えるほどの火柱が上がり、まだ全身もあらわでない巨大ゴキブリは緑色に光る球となって収斂(しゅうれん)して消えた。


 3人はぼう然と立ちつくしていた。


「ちょ……千草さん、苦しい。腕、放して……」


 明宏が云った。千草が明宏の左手を背中でしっかりロックしたまま右腕で首にしがみついていたからである。


「あ、ごめん、ごめん」


 千草はあわてて両腕を放した。


「痛たたた……」


 明宏は右手で左肩を押さえ、左腕をゆっくりと前後へまわす。


(やっぱりの結界が消えても、明宏クンの記憶は失われていない……か)


 千草がひとりごちる。


 明日香が血相をかえて明宏の前へ立った。


 唐突な動きにおどろいた明宏にかまわず、ポケットから出したハンカチで彼の左耳を押さえた。千草の短剣が明宏の左耳をあさく斬っていた。


 明宏は明日香の挙動で自分が耳をケガしていることに気づいた。痛みはほとんどなかったが、意外と出血がひどい。


 肌を伝って流れ落ちた血でシャツの(えり)は血まみれである。それで明日香は大ケガとかんちがいしたらしい。


「アスカさん、大丈夫だよ。ハンカチ汚れちゃうからいいって」


 明宏の口の動きを読んで、明日香は云わんとすることを察したようだったが、ふるふると(かぶり)をふった。


『大丈夫じゃないです』


 声を出さずにそう云った。明日香は目に小さな涙をうかべながらこわい顔で千草へ向きなおった。千草を責めているらしい。


 明日香は普段おとなしいだけに本気で怒らせるとハンパなくこわい。千草は引きつった顔で必死の弁明を試みる。


「私がわざと斬りつけたわけじゃないんだって。明宏クンがケガしているのだって、アスカに云われてはじめて知ったんだし……、それはしょうがないでしょ? 敵かもしれなかったんだから。私たちの安全を守るためにも、最低限の保険はかけておかなくちゃ。……だから敵をあざむくにはまず味方からって云うじゃ……、そりゃあ、結果的に味方のアスカしかあざむいてなかったかもしんないけど……」


 千草の必死の弁明に明宏は苦笑した。


 たしかに千草のやり方はメチャクチャだが、彼女の危惧(きぐ)もわからなくはない。ふしぎなくらい腹はたたなかった。千草の人徳であろう。


 明宏は明日香の右肩をチョンチョンと人さし指でつつくと、大きく口を開けてわかりやすく云った。


「もういいから。ありがとう」


 その言葉に明日香もようやく怒りの矛先をおさめた。


 明宏が千草へ訊ねた。


「これからどうする? 今から3人で遅れて授業へ顔を出すのもヤバイよね?」


「とりあえず保健室だね。明宏クンのケガを処置して、あとは点字室で授業がおわるまで時間をつぶすしかないっしょ。次は昼休みだから、時間差で教室へもどればそれほど怪しまれずに済むと思う」


「なるほど」


 明宏は首肯(しゅこう)した。


「アスカちゃ~ん、ヒジ貸して~」


 千草が甘えた声を出した。


 本当はひとりでも平気で歩けることを知っている明日香はぷ~っとむくれた顔を見せたが、基本的にいぢわるできない性格である。


 明宏へ身ぶりでケガした耳をハンカチで押さえるよう指示すると、千草の左手を明日香の左ヒジへ(ちょっと乱暴に)触らせた。


「たは~、アスカってば、やさし~い。ひょっとして地上に舞い降りた天使なんじゃないの?」


 千草が見えすいたゴマをする。


「アスカさんが天使なら、さしずめ千草さんはペテン師だね」


 明宏が冗談を云った。明宏の口の動きを読んだ明日香がクスクス笑いながら小さく何度もうなづいた。


「あ、ひっどー」


 千草が笑いながら抗議の声をあげた。明宏もほほ笑んだ。

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