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第四章 死闘 〈14〉

     20



 千草は自分がどう云う状況におちいったのか理解できなかった。突然、土鬼蜘蛛(つきぐも)の気配が迫ってきたと思ったら、一馬に突き飛ばされたのだ。


 目の見えない千草には地面へたたきつけられるタイミングがわからず、いつの間にか全身を強打した。本能で頭をかばうのが精一杯だった。


「大丈夫、千草さん!?」


 一瞬気を失ったらしい。雨のせいで周囲の音がうまく聴きとれず、方向感覚を失ってパニックを起こしかけたが、明宏の声で我にかえった。


 明宏が千草をかばうようにしゃがみこむと、うしろ手で千草の左肩に触れる。明宏と千草の位置関係を把握させるためである。


 明宏の冷えきった腕をつかんだ千草の心に、ほんの少し勇気がわいた。土鬼蜘蛛(つきぐも)退儺(たいな)の刀の波動だけはエコーロケーションを使わなくても感じとれるので、全体の位置関係を把握した。


「……一馬さんは?」


「千草さん、立てる?」


 千草の問いを無視するつもりはなかったが、それどころではなかった。明宏の緊迫した声と一馬からの〈念話〉の返事がないことで千草も察した。


「あっ、つ……」


 身体を起こそうとした千草が小さくうめいた。


「大丈夫!?」


「たは~、右足首ヤッちゃったみたい」


 倒れた時に妙なひねり方をしたらしい。あまりの痛みに骨折したかもしれないと疑う。


〈千草ちゃん!〉


「……アスカっ!?」


「アスカさん!?」


 保健室の窓ガラスを割って飛びだしてきた明日香が千草の元へ駆けよった。明宏にうしろをふりかえる余裕はないがアスカの息遣いを感じた。明宏は立ち上がりつつ明日香へ云った。


「千草さんをたのむ。右足首を痛めたって」


「……そゆコト」


 明宏のセリフを〈念話〉で明日香へ中継した千草がすまなそうな声で云った。明日香が肩を貸して千草を立ち上がらせた。全身を強打した千草がうめく。


 明日香も千草を支えながらよろめいた。走ることはおろかふつうに歩くこともできそうにない。


「ぼくが守るから、ゆっくり保健室へ下がって」


 3人はジリジリと後退した。明宏は視界の隅に血煙が上がるのを見た。高砂(たかし)土鬼蜘蛛(つきぐも)に斬り裂かれて絶命するところだった。


 高砂(たかし)の亡骸を喰らおうとした土鬼蜘蛛(つきぐも)が結界符に触れてたじろぐ。高砂(たかし)の鬼斬譜を迂回した土鬼蜘蛛(つきぐも)が明宏たち気づき、こちらへと歩を進めている。


 タガメのような土鬼蜘蛛(つきぐも)が大きなハサミをふり上げて攻撃してきた。明宏が退儺(たいな)の刀で斬りむすぶ。


 先刻はやすやすと土鬼蜘蛛(つきぐも)の身体を斬り裂いたが、ハサミのように武器となっているところは硬度が増しているらしい。


 退儺(たいな)の刀はハサミの下部分だけを斬り落とし、上半分を跳ね上げた。土鬼蜘蛛(つきぐも)の白い血しぶきが舞う。


「ゲヒィィィィ!」


 怒りをあらわにした土鬼蜘蛛(つきぐも)が反対のハサミをふるって、明宏たちを左側面からたたき飛ばそうとした。


 明宏は明日香たちをかばうよう前へ踏みだすと、袈裟斬りでハサミを根元から断ち斬った。ハサミを失った土鬼蜘蛛(つきぐも)の腕が明宏の顔をかすり、明宏が倒れこむ。


 泥まみれになった明宏はすぐさま体勢を立てなおし、土鬼蜘蛛(つきぐも)へ刀を向けた。左頬を鮮血が伝う。


 土鬼蜘蛛(つきぐも)が明宏へ顔を向けた。


(ヤバイ!)


 と、刹那に思う。


 土鬼蜘蛛(つきぐも)が千草たちへ対して横向きになる。さっきは土鬼蜘蛛(つきぐも)がそのまま横転して一馬をひきつぶしたのだ。


 明宏はハサミを失った土鬼蜘蛛(つきぐも)の前足をかいくぐり、6本あるうしろ足の前2本を右下段から斬り上げた。


 うしろ足を失って土鬼蜘蛛(つきぐも)の身体がかしぐ。明日香が千草へおおいかぶさり、背中の結界譜で土鬼蜘蛛(つきぐも)の横転から守ろうとした。


 明宏も土鬼蜘蛛(つきぐも)の背中にあるトゲを斬り落とそうとしたが、


(間にあわない!?)


 絶望しかけた時、鬼道(きどう)譜が打ちこまれ、土鬼蜘蛛(つきぐも)の動きがとまった。


(これはさっき一馬さんの打った……)


 鬼縛譜であった。明宏が土鬼蜘蛛(つきぐも)退儺(たいな)の刀をふるうと同時に、明宏たちの左後方から赤く柔らかい光沢を放つ大太刀が土鬼蜘蛛(つきぐも)の身体を一刀両断した。


 さらにその巨体を大太刀を手にした女が蹴り飛ばす。土鬼蜘蛛(つきぐも)の巨大な肉塊が緑色の光に吸いこまれて消えた。


「ありがとうございます」


 明宏は頭を下げた。そこに立っていたのは背の高いモデルのような金髪美女だった。


 金髪美女はターコイズブルーのアヤシげな刺繍(ししゅう)が全体にほどこされたピンク色のジャージを着ていた。退儺師(たいなし)用のベストも同じ色で、スワロフスキーがアクセントで光る。ひらたく云えば、派手だ。


 レインスーツを着ていないのは動きにくくなるのを嫌ってのことであろう。ワイシャツの袖を引き裂いた明宏にはわかる。


 金髪美女は雨で顔に貼りついた長い前髪をかき上げた。前髪の下から眼帯がのぞく。隻眼である。


 耳の聴こえない技闘退儺師(たいなし)は目を酷使するため、前髪が目にかかるのを厭うものだが、彼女の前髪は右目の眼帯を隠すためのものらしい。


 時代錯誤な女暴走族(レディース)の総長みたいだが、手にした大太刀と鬼縛譜が彼女の正体を物語っていた。


 退儺(たいな)六部衆のひとり〈羅刹姫(らせつき)〉桐壺雷華(らいか)である。


 校舎の裏から18人の一級技闘退儺師(たいなし)が躍りでた。待ちに待った援軍である。


〈一班は人儺(じんな)の牽制。二班は奥の土鬼蜘蛛(つきぐも)を退治し、青砥志津(あおと しづ)を保護。三班は手前の土鬼蜘蛛(つきぐも)を退治し、大久保一馬の回収に当たれ〉


 明宏たちの頭の中にも〈羅刹姫(らせつき)〉桐壺雷華(らいか)の〈念話〉が響いた。


 最後に悠々とあらわれたのは、透明のビニール傘をさしたスーツ姿の背の低い男性だった。


 サングラスが実に似合わない〈張界(ちょうかい)師〉亀鞍要である。彼が〈羅刹姫(らせつき)〉桐壺雷華(らいか)の〈念話〉を明宏をふくむ全員へ中継していた。


〈刀の少年はふたりを安全な場所へ誘導。……いいコたちじゃないか、守っておやり〉


 最後のセリフはなにかの冗談らしかったが、明宏にはわからなかった。

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