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第一章 土鬼蜘蛛(つきぐも) 〈4〉

    8



 私立台和(だいな)高等学校は視聴覚障碍(しょうがい)者を積極的に受け入れる高校として知られている。


 教員は授業に必要な最低限の手話を習得しているし、目の見えない生徒のためのテキストの朗読や点字本の作成なども、授業中から放課後まで学生主体でおこなわれている。


 武光明宏(たけみつ あきひろ)もこの高校へ編入するまで、こう云った学校があることを知らなかった。


 以前通っていた高校に比べると生徒同士が積極的にかかわりあっていて活気があり、好印象を抱いた。


「いやー、武光クンもスミにおけないなあ」


 3限目の休み時間にとなりの席の男子生徒が話しかけてきた。


 名前は成田真(なりた まこと)。ひょうきんと云うよりも軽薄な印象の生徒で、明宏のあまり得意とするタイプではない。


「あんなカワイイ詩緒里(しおり)ちゃんとひとつ同じ屋根の下に住んでるってだけでもウラヤマにシイタケなのに、今朝は我がクラスのアイドル、霧壺(きりつぼ)さん、姫鞍(ひめくら)さんと仲よくそろってご遅刻とは」


「仲よくって……たまたまだよ」


 霧壺明日香(きりつぼ あすか)姫鞍千草(ひめくら ちぐさ)の美少女コンビは学内でも評判である。


 また、詩緒里のかわいらしさも1年生では群をぬいており、裏ではすでにファンクラブができていた。


 この2日間、明宏はそんな詩緒里と一緒に登下校しているし、昼休みには詩緒里が明宏の手を引いて学食やら購買部やらを案内している。


 この時点で明宏は全校男子の羨望(せんぼう)嫉妬(しっと)を一身に受けていた。


 一方、詩緒里にそんな自覚はない。一応ギリギリこの高校の〈センパイ〉である詩緒里が、なにも知らない明宏の面倒を見るのは〈お姉さん〉になったみたいで楽しいのだ。


 そうは云っても、まわりからすると詩緒里は立派な世話女房にしか見えない。


 明宏の名前は登校3日を待たずに詩緒里ファンクラブのブラックリストへ載っていると云う。


「またまたあ。授業中も霧壺さんがチラチラ武光クンの方を見てたよ」


 ネチっこい目つきで成田真がつづけた。


 霧壺明日香の席は2列はさんで明宏のななめうしろである。明宏が気づくはずもない。今朝まで同じクラスと云うことすら知らなかったのだ。


 成田真は授業中もたびたびうしろをふりかえり、霧壺明日香の可憐(かれん)美貌(びぼう)に見とれているらしい。


 明宏も成田真の視線につられて彼女の席をふりかえったが、そこに彼女はいなかった。


「知らないよ。かんちがいだろ。黒板見てただけだろ」


 明宏は本心からそう云った。


「な、な、どうやってあのふたりと仲よくなったんだよ? このスケこまし。おれのこともふたりに紹介してくれよ」


 めんどうくさい相手にカラまれたと辟易(へきえき)すると、成田真のうしろの方でだれかが机に(もも)をぶつける「ガンッ!」と云う派手な音がした。


「たは~、痛ったあ。ちょっとだれ!? 机をきちんとまっすぐならべておかないのは! このクラスには目の見えない薄幸(はっこう)の美少女がいるんだかんね!」


 自称〈薄幸の美少女〉が威勢のよい声で周囲に噛みついた。


 うりざね型の小顔が引きたつショートカットの髪。ほっそりと美しい首。灰色の瞳。姫鞍千草である。


 千草は手さぐりで明宏の机に手をかけた。その拍子に千草の細い指先が明宏の手の甲へそっと触れる。


「……明宏クン?」


 その感触に千草が訊ねた。


「あ、ああ」


「いやー、さっきはありがとね。ほんと助かったわー」


「え、なになに? なにがあったの、姫鞍さん?」


 成田真がチャンスとばかりに千草へ話しかける。


(ちょっと待て。今朝の件は他言無用じゃなかったのか? なにを云い出すつもりだ?)


 内心、困惑する明宏を尻目に千草はシレッと答えた。


「今朝、信号無視の車にはねられかけた私とアスカを間一髪のところで助けてくれたの。雨だと私も周囲を把握しにくくなるし、アスカもちょっと油断してたみたいでね」


(……なんてベタなウソだろう)


「へー、やるじゃん、武光」


 明宏はあきれたが、成田真はすっかり信じこんでいた。


「あ、そうだ。明宏クン、ちょっとヒジ貸してくれる? 行かなきゃなんないトコがあったんだ」


 そんな成田真には文字通り目もくれず千草が云った。


 ちなみに「ヒジを貸す」とは目の見えない人を先導することを指す。


「……ああ、いいよ」


 突然のことにおどろいたが、明宏は席を立つと左ヒジを千草の右手につかませた。成田真がうらやましげな表情を見せたものの、明宏は気づかなかった。


「ほんじゃ、教室出て左ね」


 千草の指示にしたがって、ふたりは教室を出た。



     9



 私立台和(だいな)高等学校に目の見えない生徒は、千草をふくめて十数人いる。


 明宏は校内で他の生徒たちが「ヒジを貸している」ところを見ていたので意味するところはわかっていたが、実際に目の見えない人を先導するのははじめてだ。


 勝手がわからずゆっくり歩いていると千草が()かすように云った。


「もっとフツーにサクサク歩いてよいよ」


 その言葉に明宏は歩を早めたつもりだがそれでもまだ遅い。


 千草は内心苦笑したが、彼なりに気を遣っていることを察してなにも云わなかった。


「姫鞍さん。さっきはなんであんなことを?」


 ベタなウソのことだ。


「チグサでいいよ。名字で呼ばれるのって他人行儀であんま好きじゃないんだよねー」


 そう告げると、千草は説明した。


「3人一緒に遅刻してきた理由を下手にカンぐられる前に、口の軽そうな男子生徒の前でそれらしい理由を吹聴しておけば、自然とクラスに広まるでしょ? いちいち自分で説明する手間もはぶけていいし。……あとは保険かな?」


「ホケン?」


「明宏クンが敵か味方かわからないけど、万が一、明宏クンが敵で私たちになにかあった場合、私と明宏クンがいたことが伝われば手がかりなるかもしれない。そのためのちょっとしたパフォーマンス」


 さっきはわざと(もも)を机に打ちつけて教室の耳目(じもく)を集めたのだ。


(……てことは、アスカさんみたいな超能力を持った仲間が他にもいるのか)


 明宏はそんなことをぼんやり考えながら抗弁した。


「敵も味方もないって。今朝のことだってたまたま出くわしただけで、ぼくが一番ワケわかんないんだってば!」


「たは~、そうみたいだね。あ、1階の点字室に行きたいんで、階段のとこで教えて」


 ふたりがいるのは校舎の2階である。明宏は階段の前で足をとめると千草へふりかえって云った。


「ここから階段だよ」


 千草は明宏の左ヒジを左手でつかみなおすと右手を階段の手すりにかけた。明宏は千草の足元を気にしながら階段を下りる。


「次の段で最後。踊り場だよ」


「うん。ありがと」


 階段があるつもりで平らなところへ踏み出すと、段差分を踏みこんで足を痛めてしまうことがある。明宏はそのことに気づいて声をかけた。


 習慣で階段数を把握している千草は彼の細やかな心配りに、


(……こりゃあシロでしょ?)


 と、思った。


 実のところ、千草は明宏のことを試していたのだ。


 千草には広い意味での感知能力がある。そんな能力のひとつが〈接触テレパス〉である。


 触れた相手の心を読む能力だが、彼女はこの能力があまり得意ではない。


 相手に触れて同調するまで少し時間がかかる上に、彼女の中へ流れこむ情報の取捨選択ができないからだ。


 必要のない情報ばかり膨大(ぼうだい)に抱えこんで必要な情報を得られないことすらある。そう云う時の疲労感はハンパではない。


 明宏が彼女たちの敵であれば、事前に点字室で待機している明日香と彼を〈退治〉するつもりでいた。


 ひらたく云うと、殺すつもりでいた。


 そんなわけで、千草は拍子ぬけするとともに安堵(あんど)した。


 明宏から感じられたのは剣術に打ちこむ純朴(じゅんぼく)な少年の姿でしかなかった。彼女たちや敵のことを知らないと云うのも本当らしい。


 ただ、千草は明宏の表層的な情報しか読みとっていなかった。


 彼の両親の死を読みとっていれば、このあとよけいなことをしなくて済んだのだが、神ならぬ千草に知るよしもない。


 明宏は平静をよそおっていたが、制服の上からヒジをつかまれているだけとは云え、カワイイ女のコに触れられていることでちょっとばかりドギマギしていた。


 千草も男子生徒と触れあう機会は多くない。彼女自身どさくさまぎれにこの状況を楽しんでいたことは否めない。


「ね、ね、明宏クンってイケメン?」


 階段を下りると千草が訊いた。


「なんだよ、それ?」


「私が明宏クンに「ヒジを貸して」って云ったら、まわりの女の子たちの空気がちょっち変わったんだよねー。センボーって云うか、ジェラシーって云うか? 明宏クンがブ男だったら、そう云う反応なくない?」


「千草さんがぼくみたいな新参者に声をかけたのがめずらしかったんじゃない?」


「そっかなー?」


「知らないよ」


 明宏はそれなりに精悍(せいかん)でととのった顔をしている。


 編入初日から明宏に注目する女子生徒も少なくなかったが、穴森詩緒里と云う〈カワイイ系美少女〉の背後霊が強力な虫除けになっていたことは云うまでもない。


 千草の目的とする点字室は1階の奥まったところにあった。


 点字室とは千草のような目の見えない生徒たちのために点字の原稿を作成するための部屋である。


 教科書や本などを点字化する作業を担当するのは、週2回・午后にやってくるボランティアと、学内有志による「点字サークル」の面々である。


「ほんじゃ明宏クンはここで待ってて。待て。おあずけ」


「ぼくは犬かっ!?」


 千草は笑いながらひとりで点字室へ入っていった。


 明宏も苦笑すると、すなおに点字室の壁にもたれかかって千草を待つ。


 本当なら明宏が一緒に入室しても問題はないのだが、点字室には明日香が待機している。千草はそれを知られたくなかった。


「いやー、最悪のバヤイ、殺そうかと思って」


 とは、さすがに云えない(千草ならあっさり云ってのけそうではあるが)。


 もっとも、まだ学内のことも明日香や千草の行動パターンも知らない明宏からしてみれば、明日香が点字室にいたところで不審をおぼえる理由はない。


 千草の深謀遠慮(しんぼうえんりょ)(?)は杞憂(きゆう)にすぎなかった。


 千草は明日香へ無言で、明宏が敵ではなさそうだと伝えた。


 明宏の推察通り、千草と明日香は〈念話〉で会話することができる。


 心を読む能力ではなく、心を伝える能力である。そのため、お互い云いたくないことや知られたくないことまで見透かされる心配はない。


 千草は明日香とふたりだけの時には言葉を口にすることで明日香と〈念話〉しているが、本来は声や身ぶりを使わずに意思疎通(いしそつう)を果たせるのが〈念話〉の強みである。


 明日香が大きな胸をホッとなで下ろした。その雰囲気に気づいた千草が〈念話〉で訊いた。


〈なに? アスカも明宏クンが気になるの?〉


 明日香はまっ赤な顔を左右にふりながら応えた。


〈私の力を人に向けて使うのかと思ったらこわかったの。もし、彼が〈人儺(じんな)〉だったとしても、人の姿をした相手に私の力をためらわず使えるかどうか自信がなかったから、よかった~と思って〉


〈……そりゃそっか。よしんば相手が〈人儺(じんな)〉だったとしても、はた目にゃ単なる殺人にしか(うつ)らないもんね。私も非常事態でテンパってたのかな? そんなアスカの気持ちを考えてやれなくてごめん〉


〈ううん。一応、その時のための覚悟の予行練習ができたって云うか、なんかこれはこれで意味があったんだと思う〉


〈たは~、やっぱアスカはいいコだねえ……って、ちょっと待って!〉


 点字室の外にいた明宏もおどろいた。これまでしずかだった点字室の中からいきなり、


「ちょっと待って!」


 と云う千草の緊張した声が響いたからだ。点字室の扉が乱暴に開いた。


「明宏はいるっ!?」


 千草が顔をおちこちへ向けながら云った。


「……ここにいるけど」


 いきなり呼び捨てにされたことよりも、彼女の剣幕にたじろいだ。


「やっぱ、まだ完全に信用できないってかー? 一緒にきて。……アスカ、行くよ!」


 千草はブレザーのポケットから白く短い棒をとり出すと、手の中で瞬時に長い杖へと変えた。目の見えない人が用いる携帯用の白杖(はくじょう)だ。


 千草が白杖を廊下へ当てながらツカツカと早足で歩いていく。


(ひとりであんなにガンガン歩けるんじゃないか。ぼくはからかわれていたのかな?)


 無視して教室へもどろうかと思いかけたが、点字室から霧壺明日香があらわれた。明日香が少々緊迫した面持ちで明宏へ会釈(えしゃく)した。


 明日香の表情にただならぬものを感じた明宏は、しかたなくふたりのあとをついていくことにした。


 明宏は早足で千草に追いつくと訊ねた。


「ちょっと、突然どうしたの?」


「バケモノ」


 千草の一言に明宏も緊張した。


「あんたの云うバケモノの出てくる気配がする。1日に2回、しかもこんな短時間にこんな近い場所へあらわれるなんて前代未聞だよ。……あんたホントに関係ないの?」


「そんなこと疑ってたのか? あるわけないだろ!」


「そう思って安心してたとこだったんだけどね~。……あ、こりゃ外だな。明宏、ヒジ貸して。下駄箱まで走って!」


 千草がそう云うより早く〈念話〉で彼女の話を聴いていた明日香が下駄箱へ駆け出した。


 明宏はヒジでは危ないと思い、千草の手首をにぎると、


「走るよ」


 と、云った。千草の足どりを背中越しにたしかめながら徐々に速度を上げ、明日香へ追いつく勢いで走る。


 下駄箱に着いたところで4限目の始業のチャイムが鳴った。


「あ、授業が……」


 云いかけた明宏に、千草がぴしゃりと云い放つ。


「人の命とどっちが大事!?」


 その一言で明宏の肚も決まった。

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