第四章 死闘 〈9〉
「明治のおわりに創設されたこの学校の前身は『台和聾盲学校』って云ってね~。鬼導門の警護・封印を目的とした退儺師養成専門学校として出発したの~。台和って云うのは退儺のシャレでね~」
清水萌絵がクスリと笑う。
「秘密裏に退儺師養成専門学校を計画してた初代学長はすぐに亡くなっちゃったんだよね~。その計画を引き継ごうとしていた2代目学長も戦争中に亡くなっちゃって~。なにも知らされていなかった、今の3代目学長が聾盲学校の精神を受けついで、健常者とか視聴覚障碍者の垣根をとりはらい、みんなが協力して学びあう真の意味でのバリアフリーな学校『私立台和高等学校』にしちゃったってワケ~。今の学長、教育熱心でよい人なんだけどね~」
「……モエちゃんセンセー、なんでそんなに詳しいの?」
千草は清水萌絵が追儺局の協力者だと聴かされてはいたが、その素性までは知らなかった。
「それはね~、私のおじいちゃんが『台和聾盲学校』退儺師養成専門学校プロジェクト中心人物のひとりだったから~」
「なるほどね。それでこんなアル中保険医がクビにもならず、学校に勤務できてたってわけか」
冗談めかして云った千草の言葉に、清水萌絵がちょっと拗ねた目をした。
「知ってる~? お酒ってお清めの効果があるのよ~。保健室にストックされたお酒は鬼導門と目されるこの地を清めるためのものなんだってば~。そこのラベルよく見てみんさいよ~」
清水萌絵の指さした日本酒のラベルを見て、明宏と明日香があきれた。
荒れる波のデザイン画にごまかされて気づかなかったが『純米大吟醸 退儺』とある。『大灘』とか勇壮な海の波をイメージした名前に似ていると云えば似ているが、秘密組織のすることではない。
「ダメでしょ、そんなのつくっちゃ……」
話を聴いた千草も追儺局のセンスに頭を抱える。
「ね~? 私がお酒好きの保険医をよそおう理由がわかったでしょ~。やむなくなのよ~、やむなく~」
鬼道譜の入った退儺師のベストも、酒瓶の積まれたロッカーの下に隠されていたらしい。
しかし『純米大吟醸 退儺』の他にも、麦・米・蕎麦・芋の各焼酎だけでなく、ジンやスピリットやウォッカと云ったアルコール度数の高い酒瓶(しかも中途半端に量が減っている)が大量にストックされているのを見て3人は、
(……ウソだ。それはゼッタイにウソだ)
と、一言一句違わぬ感想を抱いた。
12
千草がふと顔を上げた。どこからか〈念話〉がとどいたらしい。
「他の2チームから連絡が入った。感知退儺師は私とミチヨちゃんがいるから置いてきたって。もうすぐ技闘退儺師が4人やってくる。そしたら校庭に鬼道譜を配置して、土鬼蜘蛛を迎え撃つ準備をするよ」
千草は明日香へ向きなおると云った。
「ね、わかるでしょ、アスカ? 他のチームが感知退儺師を置いてきたワケ」
援護攻撃しかできない感知退儺師が最悪の戦闘状態で犠牲になることを恐れての配慮である。
4匹の土鬼蜘蛛はともかく、空を飛べる人儺に鬼道譜のトラップは通用しない。初手をしくじって混戦にでもなれば、技闘退儺師が感知退儺師をかばいながら戦うことは難しくなる。
明日香も『エレクトラ』の戦闘でおびえきった美千代の表情を忘れているわけではない。
「今、鬼道の力が使えないあんたもジャマなの。ましてや、病み上がりでしょ?」
千草のキツイ言葉にも明日香は首を横にふる。
〈私が千草ちゃんを置いて逃げられるわけないでしょ? ……実戦になれば鬼道の力が戻るかもしれないし〉
「……前の実戦で鬼道の力が使えなくなったクセに、なに甘いこと云ってんの! あん時より状況はヘビィなんだよ」
〈だからじゃない! だから私は千草ちゃんを守るために……〉
「……ただいま参上なのです」
レインスーツのフードをはらいながら保健室へ入ってきた八千代美千代と大久保一馬の前で、明日香の頬がパンッ! と鳴った。
千草が勘だけでふるった平手が見事に明日香の頬を張り飛ばしていた。
「千草さん!」
明宏がとがめ、一馬がいきなりの光景に痛そうな顔をした。明日香も虚を突かれ、ぼう然とたたずむ。千草にたたかれたことなどなかったのだ。
「……どしたのです?」
文字通り状況の見えない美千代の耳にだれかのすすり泣く音が聴こえた。
明日香ではなく、明日香の頬を張り飛ばした千草が泣いていた。
「……アスカが『エレクトラ』のあとで倒れた時、私がどれだけ心配したと思ってんの! あんたの仕事は土鬼蜘蛛を倒すことで、私を守ることじゃないでしょ!? ……自分の仕事もわかってない無力な退儺師に出る幕はない!」
厳しい言葉とは裏腹に明日香を命がけで守ろうとしている千草の本気が伝わった。静まりかえった保健室で保険医・清水萌絵が面倒臭そうに云った。
「……よくわかんないけどさ~、チグサはアスカちゃんを戦闘に参加させたくないけど、アスカちゃんは逃げたくないんでしょ~? それじゃ間をとってアスカちゃんは私と一緒に保健室で待機ってことでよくない~?」
「……って、モエちゃんセンセー、あんたも逃げなきゃ」
千草が涙を手の甲で乱暴にぬぐいながら云った。
「あのね~、万が一、あんたたちがケガした時のために保険医はいるのよ~。それにここは安全なの~」
「安全?」
「学校には土鬼蜘蛛が侵入できないよう〈張界師〉の結界が張りめぐらされているし、学校の敷地に入った土鬼蜘蛛は学校の外に出られない結界が幾重にも張られているの~。ようするに、この学校は人間がつくった土鬼蜘蛛を追いこむ〈檻〉なの~」
「千草さん、それならいいじゃないか。アスカさんもそれでいいでしょ?」
ゆっくりと口を開けて云う明宏の言葉を読唇術で把握した明日香がようやくうなづいた。
「しょーがない。でもアスカ、ゼッタイ出てきちゃダメだからね。あ、ベストとって」
明日香が机の上にあった退儺師用のベストを千草へ渡す。明宏もベストを羽織り、ポケットの鬼道符を確認する。
雨のそぼ降る校庭に4人の退儺師が到着した。みな、フードのついた薄手のレインスーツの上から退儺師のベストを着用している。
「千草さん、退儺師の人たちがそろったみたいだよ」
窓の外を視認した明宏の言葉にうなづくと、千草・明宏・一馬・美千代の4人は、校庭に面したガラス扉から保健室を飛びだした。激しい雨が顔をたたきつける。
「風邪ひかないでね~」
清水萌絵の台詞に明宏と千草が苦笑した。フードのついたレインスーツを着ていないのはふたりだけである。
閉ざされた保健室のガラス扉の向こうから、明日香の心配そうな表情がのぞいていた。




