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第四章 死闘 〈8〉

     10



 衣替えから2日がすぎ、明日香が久しぶりに登校した。まだ梅雨の時期には早いが、今にも降り出しそうな鬱屈(うっくつ)とした空模様である。


 しかし、明宏が教室へ着くと、窓際の明日香の席のまわりだけはにぎわいを見せていた。明日香の欠席を心配していた友だちが嬌声(きょうせい)をあげている。


 千草も白杖(はくじょう)を腕にぶら下げて、窓にもたれながら輪の外に加わっていた。


『も~、アスカがいなくて寂しかったよ~』


 そう手話で語り、明日香へすりよる臼井浩子の頭を明日香がほほ笑みながらよしよしとやさしくなでた。


 明宏は明日香が今日登校することを昨夜のうちに知らされていた。明日香からは先のお見舞いのお礼をかねた簡潔なメールで。千草からは電話で。お見舞いに行った時よりも元気そうな姿に明宏は安堵(あんど)した。


「……体力は回復したみたいだけど、鬼道(きどう)の力はまだ戻っていないから、しばらくの間はアスカをのぞく私たち4人で土鬼蜘蛛(つきぐも)退治に当たることになったから」


 昨夜の電話で千草は云った。たましいの深いところで鬼道(きどう)の力を使うことを拒絶する一方で、退儺師(たいなし)として現場復帰を願う明日香にとって、鬼道(きどう)の力が戻った方がよいのか、戻らないままの方がよいのか明宏にはわからなかった。


 ただ、苦しみながら鬼道(きどう)の力を使うくらいなら、戻らないままの方がよいだろうとは思う。そんなことをぼんやりと考えていたら、いきなりうしろからだれかに組みつかれた。


「な、夏服の霧壺さんも、萌え~」


 クラスメイトの成田真である。


「清楚可憐な霧壺さんの夏服姿に見とれてしまうキミの気持ちはわかるけど、朝っぱらからヘンな想像をしてはいけませんなあ」


「んなことするかっ!」


 云いながら、明宏の顔が赤くなった。お見舞いの時のことを思い出してしまったからである。


 明日香のお見舞いに行ったことや、その時のことがバレたら、クラス中の男子生徒から命を狙われることになるだろう。


「……ありゃ、図星? 朝っぱらからたまってるねえ、青少年」


 おどける成田をふりほどき、逆に関節をしめあげて、成田の顔を机に押しつけた。


「痛たた、ごめん武光、冗談、冗談だってば」


 そんな明宏たちに明日香が気づいた。遠目から会釈する明日香へ明宏も会釈をかえす。明日香の視線に気づいた成田がうらみがましく云った。


「ちぇ、いいな武光ばっかり。……あとで霧壺さんに、武光が霧壺さん見てヘンな想像してましたってチクってやる」


「ふうん?」


 明宏がしめあげた成田の腕に力をこめる。


「痛たた、ウソです、冗談です、お許しください、武光サマ!」


 成田がたまらず悲鳴をあげた。まだ平和な朝であった。



     11



 千草がかつてないほどの異変を感じとったのは4限目の途中であった。


 窓の外は泥のようにねっとりと(くら)く、強い雨でぬれそぼっていた。窓に映りこんだ教室の雰囲気まで陰鬱で蛍光灯の光だけが妙に明るい。


 千草は背筋を伝う冷たい汗を感じながら、方相寺で待機している感知退儺師(たいなし)の八千代美千代に〈念話〉を飛ばした。


〈ミチヨちゃん、感じてる!? 間違いじゃないよね!?〉


〈今からそっちへ向かうなのです! タエ婆さまも近隣のチームや退儺(たいな)六部衆へ応援要請しているのです!〉


 千草は美千代と〈念話〉しながら机の中で携帯電話を操作した。あらかじめ設定されていたエマージェンシー・メールを送信する。


 2分を待たずして校内に緊急放送がかかった。保険医・清水萌絵の声である。いつもの酔った口調ではない。


「緊急放送です。ただ今、警察からこの学校を標的とした爆弾テロ予告があったとの連絡が入りました。ただちに全校生徒および職員は本校から2km圏外へ避難してください。これは避難訓練ではありません。くりかえします。全校生徒および職員は、冷静かつ迅速に、本校から2km圏外へ避難してください」


 突然の放送に校内が騒然となった。


 本気でおびえる者やガセだと信じてとりあわない者など反応はさまざまだが、教師たちは動揺をかくしつつ生徒たちをなだめ、避難誘導を開始する。


 一斉に席を立つ音が校内に響き渡った。


「カバンとかはいい。貴重品だけ持って静かに急げ」


 教師たちの声は切迫していたが、生徒たちはパニックを起こすことなく落ちついて行動していた。


「こんなことってあるんだ?」


 そうつぶやきながら教室を出ようとした明宏の身体に千草がさりげなく手を当てた。


「あ、千草さん。大丈夫? ヒジを貸すよ」


 明宏の言葉に千草が耳打ちする。


「保健室に行くよ。私たちの敵がくる」


(……土鬼蜘蛛(つきぐも)!?)


 クラスメイトはすでに避難を開始していた。明宏と千草はクラスメイトより遅れ、他の生徒たちにまぎれて階段を下り、保健室へとすべりこむ。


 そこには保険医・清水萌絵と明日香がいた。清水萌絵のロッカーの前には大量の酒瓶がならんでおり、机の上には見知ったベストが積まれていた。ベストはポケットに鬼道(きどう)符の入った退儺師(たいなし)のものだ。


 千草の送信したエマージェンシー・メールは追儺(ついな)局や清水萌絵にとどいており、警察をよそおった追儺(ついな)局から学校側にウソの爆破テロ予告も伝えられている。


 あとで追儺(ついな)局の意向を受けた警官が派遣され、事件はガセネタとして処理されるシナリオだ。


「アスカ! あんたなんでこんなとこにいるの? あんたも避難すんのよ!」


 千草がめずらしく明日香へ怒気を向けた。明日香は傲然(ごうぜん)と首を横にふる。


「それよか、まずは状況を説明してもらえる~?」


 保険医・清水萌絵が先ほどの緊急放送とは別人のようにけだるい声で訊ねた。


土鬼蜘蛛(つきぐも)よ。それも5匹。人儺(じんな)の波動も感じる」


人儺(じんな)をふくめて5匹!?」


 明宏と清水萌絵がおどろきの声をあげた。明日香も目を丸くした。さすがに5匹とは思っていなかったのだ。一度にそれだけ多くの土鬼蜘蛛(つきぐも)があらわれたと云う記録はない。


「この学校へ迫ってきてる。到達まで約15分。出現場所は校庭のどまん中っぽい。さいわい、ここは3つのの担当地区の境界になってるから、ミチヨちゃんたちをふくめて12人の退儺師(たいなし)が10分以内に集結することになる。技闘退儺師(たいなし)が6人。退儺(たいな)六部衆にも応援要請をしたって云うから、数の上ではこっちの方が多い」


「……さいわいって、なんだ知らなかったの~?」


「なにがですか?」


 清水萌絵に千草が訊きかえす。


「ここは昔から鬼導門の候補地とされていてね~。だから今みたいな緊急対策マニュアルもできてたし、3チームの退儺師(たいなし)が集まれるよう設定されていたんだよ~。本来、この学校も退儺師(たいなし)養成専門学校になるはずだったの~」


「鬼導門の候補地……」


 明宏はもとより千草や明日香も知らぬことであった。そのため、土鬼蜘蛛(つきぐも)が大挙できると云う。

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