第四章 死闘 〈3〉
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多恵婆の一言で散会となった。退儺六部衆のふたりは境内に待機していたヘリで追儺局へ舞い戻り、千草は明日香の部屋へ向かった。
ラッキー和尚が大久保一馬と八千代美千代を車で送っていくことになり、明宏も便乗した。
道場の近くで降ろしてもらった明宏の足どりは重かった。穴森家の人々といきなり顔を合わせるのがつらくて、道場の前を通りすぎると近所の小さな公園へ足を向けた。
日が暮れたばかりの紫色の空に星がまたたき、街灯に灯りがともった。明宏は人気の絶えた公園のベンチへ腰かけると背中を丸めてため息をついた。
(伊織さんを守れなかった。穴森家へお世話になると決めた時、みんなを命がけで守るって誓ったのに……。なにが「ぼくも退儺師になれますか?」だよ。一番の恩人も守れないで、なにが退儺師だ……)
明宏に驕りがあったわけではない。むしろ、なんの訓練も受けていない無能力の〈退儺師補助〉の初陣としては充分すぎる働きをしたと云ってよいだろう。
だからと云って、明宏が自分を許せるはずもなかった。あの状況下で伊織を助けることができたのは明宏だけだったからだ。
さらに、明宏の心境を複雑なものとしているのは、伊織が土鬼蜘蛛に「喰われた」ことである。
人は土鬼蜘蛛に喰われると〈存在した記憶〉そのものを奪われてしまう。すなわち、穴森家の父娘たちから伊織に関する記憶はすべて失われているはずなのだ。
明宏の口から穴森家の父娘たちへ伊織の死を伝えると云うつらい役目は背負わずに済んだかもしれない。
しかし、伊織のことを思い出せない穴森家の父娘たちの前で、いつも通りにふるまわなければいけないことも明宏にはつらかった。
明宏はベンチに腰かけたまま背筋を正すと、丹田に力をこめ、ゆっくりと深呼吸をくりかえした。剣術の稽古の前に必ずおこなう精神統一の方法である。
明宏は気を引きしめると道場へ向かった。
「ただいま……」
明宏が母屋の玄関をくぐると同時に部屋の奥から、ボン! と小さな爆発音がした。
鬼爆符の爆ぜる音に似ていたので明宏は色を失った。
(まさか人儺の攻撃!?)
「あっちゃっちゃっちゃい!」
「詩緒里ちゃん、一体なにが……!」
おっとり刀で台所の戸を開くと、詩緒里がコンロの前でばたばたと服を脱いでいた。
長袖シャツを脱いだ詩緒里は短パンにレモンイエローのブラジャーと云うしどけない姿である。
「……ハンバーグが爆発した」
台所や詩緒里のまわりに飛び散った小さな肉片は焼こうとしたハンバーグのなれの果てであるらしい。
「とりあえず火、火!」
そう云いながら、明宏がバタバタとコンロの火をとめた。
詩緒里はハンバーグを作っている口ぶりだったが、フライパンにはなみなみと油がそそがれていた。いろいろと作り方を勘違いしているらしい。
「ヤケドとか大丈夫?」
「あ、なんもなんも。あたしの反射神経ならこうよ」
ササッと左右に身をかわす動作をしてみせた詩緒里が、ようやく自分の姿に気づいて赤面した。
性格とは真逆のつつましやかな胸を長袖シャツでかくすと、右手で明宏の後頭部をワシづかみにしてテーブルへゴンッ! と、たたきつけた。
「イデッ!」
「バカ、変態、スケベ!」
羞恥心で暴走気味の詩緒里が明宏の顔をテーブルにグリグリと押しつける。
「……し、詩緒里ちゃん、ハンバーグのタネはちゃんと空気ぬいた?」
明宏は情けない体勢のまま詩緒里へ訊ねた。なんとか話のベクトルを変えようと必死である。明宏の言葉に思案する詩緒里の右手から力がぬける。
「え? 明宏のトコじゃハンバーグにタネ入れるの? それってヒマワリとか? 空気ぬくってなに? スポイトとか注射器とか使うの? なんか変わってるね」
明宏は確信した。詩緒里に料理の知識はない。ハンバーグを作ろうとした経緯そのものが世界の七不思議である。
「食事の支度はあとぼくがやる……やりますから。詩緒里ちゃんは着替えてきてください。シャツの油染みとか落ちなくなると困るし……」
「明宏。戸の閉まる音がするまでその姿勢のまま動かないでよね。ちょっとでもふりかえろうもんなら命はないかんね」
「……ハイ」
明宏はすなおに答えた。明宏の後頭部を押さえつけていた手がはなれても、きちんと云いつけを守って微動だにしない。
犬の苦手な明宏だが、詩緒里の前では忠犬のように従順である。
背後で戸の閉まる音が聴こえて明宏はようやく身体を起こした。
台所中へ飛散したハンバーグの残骸を片づけ、詩緒里の準備した材料に大規模な修正をほどこし、夕食の支度を済ませるのに30分を要した。
3
「明宏は料理上手だな」
出稽古から戻ってきた穴森大膳が缶ビール片手に感嘆した。
食卓へならんだのは、事前にきちんと炊けていたごはん、詩緒里のハンバーグ改、ポテトサラダ、トマトスープである。
剣術のみならず生きるために必要な技術はできるだけ早く教えこむと云う、穴森の家風で育てられた明宏は料理も得意だ。
詩緒里も伊織から同様のことをしこまれているはずなのだが、詩緒里の料理オンチは単に性格の問題である。
自分に興味のないことはまったく学ぼうとしないし、耳に入らないタイプなのだ。
「……ホントおいしい。人って意外な取り柄があるもんだね。明宏、明日からお弁当作ってよ」
「いいよ」
詩緒里の言葉を明宏がうけあった。
詩緒里が台所へ立つことだけは断固阻止せねばなるまい。断じてあれは料理ではない。破壊工作である。火事にでもなったら大変だ。
「じゃあ、明日は唐揚げが食べたいっ!」
「ちょっと待て」
詩緒里のリクエストを大膳がさえぎった。
「……?」
「今日はせっかく明宏が食事を作ってくれたのだから、明日は父さんが自慢のカレーをふる舞ってしんぜよう。知っているか、明宏? カレーのおいしさの秘訣はタマネギペーストとトマトなのだぞ」
(母さんも、よくそう云ってました)
明宏は思わずそう云おうとしてやめた。覚悟していたとは云え、伊織のいない穴森家の夕餉がいつもと変わらぬにぎやかさをみせていることにショックを受けていた。
「母」と云うキーワードに穴森父娘がなんの反応も示さないであろうことを目の当たりにするのがつらかった。
「……このタマネギペーストを1日寝かせるのがポイントなんだ。さらにトマトの分量が存外ムズカシクてな……」
「お弁当にカレーっておかしくない? それに父さんの入れるトマトの量ちょっと多いよ」
「そうか? おれはもっとトマトトマトしていてもよいと思っていたのだが」
穴森父娘の会話を聴きながら、明宏は自分の手料理を伊織へふる舞っていなかったことに気がついた。一度くらい伊織に自分の手料理を食べてもらえばよかったと後悔する。
「……伊織さん」
我知らず明宏の口からつぶやきがもれた。詩緒里がそれを耳ざとく拾い上げた。
「ちょっと、明宏。それ、どこの女?」
「……え、ぼく、今なんか云った?」
「云ったじゃん。イオリとかなんとか」
「なに云ってる、詩緒里。イオリは男の名前じゃないか。かの剣豪・宮本武蔵の養子が伊織だろうに」
「そんな人いたっけ?」
首をかしげる詩緒里の姿に明宏の胸が痛んだ。伊織の名前を聴いても穴森父娘がなにかを感じるふしは微塵もなかった。〈百眼〉椎名季武が、
(まだつらい想いをするであろう)
と、云ったのはこれかと思う。伊織の死は明宏の両親のそれよりなにもなかった。
愛する人を忘れてしまうほど哀しいことがあるだろうか? 愛する人たちに忘れられてしまうほど哀しいことがあるだろうか?
「ごちそうさま。……なんか少し疲れたんで、部屋で休みます」
明宏はなんとか食事をおえると、団らんの輪からそそくさとぬけだした。
「夕飯の支度ありがと。洗い物はあたしがやるから、食器置いといて」
「それじゃ、あとよろしく」
詩緒里に頭を下げ、食器を水の入った洗い桶へつけると、明宏は部屋へ戻った。
明宏は部屋着に着替えると、ベッドへうつぶせに倒れこんだ。身体に力が入らなかった。
明宏は枕に顔を押し当てると、嗚咽がもれぬよう伊織の死を悼んで心の底から泣いた。




