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第三章 人儺(じんな) 〈12〉

〈くそっ!〉


 大久保一馬が最後の力をふりしぼり、人儺(じんな)の退路へ残りの鬼道(きどう)譜を配置した。しかし、透明な羽を羽ばたかせ空中へ浮いた人儺(じんな)に床の上の鬼道(きどう)譜は効果がない。


 明日香が右手でたちのぼる炎のような舞いをみせた。特一級の技闘退儺師(たいなし)・霧壺明日香必殺の手詞鬼道(きどう)〈爆炎〉である。


 この攻撃が決まれば、人儺(じんな)と云えども一巻の終わりである。


 しかし、明日香の右手から〈爆炎〉はあがらなかった。


(……どうして!?)


 明日香のみならず、気配を察した千草も動揺した。明日香は何度も〈爆炎〉を試みたが、なにも起こらない。


「アスカ、鬼道(きどう)譜!」


 千草が叫んだ。考えている暇はない。明日香も鬼道(きどう)譜を人さし指の上で回転させるが、術式が作動しない。


「ギハハァ……」


 人儺(じんな)が空中で前へ進み出ると左手をゆっくり上げた。五本の指が槍のようにのびて退儺師(たいなし)たちを貫こうとした。


 刹那、明宏の身体が動いた。右手にふりまわされるかのように低い姿勢で前へ出ると、青磁色の刀をひらめかせた。


 刃の軌道が青磁色の光る楯となった。人儺(じんな)の指が触れると左手が沸きたつようにはじけ飛んだ。


「キアァァァァ!」


 白い血が飛び散り、人儺(じんな)の顔が苦痛に歪む。


 人儺(じんな)は手首から先のない左手を右手で押さえたまま、ニヤリと悽愴(せいそう)な笑みを浮かべて緑色の光に包まれて静かに消えた。自ら異界へ去ったのである。


 退儺師(たいなし)たちの圧倒的敗北であった。命拾いしたと云ってもよい。


 明宏はぼう然と立ちつくしていた。だれも明宏が刀の意思で踊らされたことなど理解していない。


(伊織さんの内から出てきた、この刀は一体……?)


 明宏が右手に下げた青磁色の刀をいぶかしみつつ眺めていると、刀が明宏の右手の中に吸いこまれて消えた。右腕の中に刀の気配が残る。


 しかし、他の退儺師(たいなし)たちは消えた人儺(じんな)に気をとられていて、明宏のふしぎな刀にまで気がまわらなかった。


「……ちょっと、まだ結界が消えてない!?」


 まだ人儺(じんな)、あるいは土鬼蜘蛛(つきぐも)がどこかへひそんでいるかもしれない可能性を千草が示唆(しさ)した。


〈……こいつは想像以上にヒドイ有様だな〉


 退儺師(たいなし)たちの頭の中で声が響いた。


〈念話〉の獲得すら無理であろうと云われた明宏の頭の中にも響いている。


「だれっ!?」


 千草が気丈に誰何(すいか)した。


 破壊された『エレクトラ』外壁から、サングラスにスーツ姿の小柄な30代男性が入ってきた。


〈安心しろ、お前らの敵じゃない。おれは〈張界(ちょうかい)師〉亀鞍要(かめくらかなめ)だ〉


退儺(たいな)六部衆!?」


 退儺(たいな)六部衆の〈張界(ちょうかい)師〉亀鞍要は〈百眼(ひゃくがん)〉椎名季武(すえたけ)とならび称される感知退儺師(たいなし)のトップに君臨する能力者である。


 彼は土鬼蜘蛛(つきぐも)と同質の結界を張ることができる上に、見知らぬ相手の波長を感知し〈念話〉を送ることすら可能だ。


 そのあとに、アンティークドールのようなフリフリのドレスを着た瞳の大きな老婆がつづく。老婆は先に戦線を離脱した感知退儺師(たいなし)・八千代美千代の手を引いていた。


人儺(じんな)には逃げられたがね。このまま結界が解かれるとパニックになるから、おれが結界を張ってるっつーわけ〉


 亀鞍要が〈念話〉でそう告げた。結界内にいた人々の記憶こそなくなるが、破壊された建造物が復元するわけではない。いきなり『エレクトラ』が半壊していたら、周囲の人々がパニックを起こすは必定である。


「それじゃ、うしろの方は……!?」


 千草の言葉に明日香や大久保一馬も刮目(かつもく)する美千代の手を引くフリフリドレスの老婆は、退儺(たいな)六部衆の生ける伝説〈修復師〉有坂有里(ありさかゆうり)である。若き退儺師(たいなし)たちが退儺(たいな)六部衆の姿を見るのははじめてだ。


 技闘退儺師(たいなし)はイメージしたものを実体化させる能力がある。


 特一級の技闘退儺師(たいなし)である明日香の攻撃イメージ力も相当なものだが、有坂有里にはイメージ力だけでなく絶対記憶能力がある。


 どれほど瞬時であろうが一度観たものは細部まで完璧に思い出せる特殊な才能である。


 そう云った記憶の集積を拠りどころに、土鬼蜘蛛(つきぐも)との戦闘によって破壊された空間そのものをイメージ力で復元させることができるのだ。


〈こりゃまた、こっぴどくおやられになりましたわね。こんな大規模な修復、先の戦争以来ですのよ〉


 亀鞍要から〈念話〉で有坂有里のつぶやきが転送される。


 周囲をじっくり観察した有坂有里が祈るように両拳を額へ当てて目を閉じた。

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