第三章 人儺(じんな) 〈10〉
車は渋滞の少ない裏道を走りぬけた。まもなく大型ショッピングモール『エレクトラ』と云うところでラッキー和尚が不自然にハンドルを切る。
「結界!? おじさんここで停めて!」
千草が叫んだ。ラッキー和尚があわてて車を停める。彼は自分が土鬼蜘蛛の結界に近づいてハンドルを切ったことに気づいていなかった。
ラッキー和尚には見えていないが、結界ギリギリのところまで逃げてきた人や車が見えない壁に阻まれて、それより先へ進むことができずにいた。
携帯電話でどこかへ連絡をとろうとしている人たちもいたが、結界内は違った意味で〈圏外〉である。
千草たち3人は車を下りると、人ごみをかきわけて『エレクトラ』へ走った。
「2匹の土鬼蜘蛛が支点になって、結界が楕円状に増幅してるみたい。土鬼蜘蛛の行動半径が広がっているから気をつけて!」
『エレクトラ』正面に位置する屋外駐車場のほぼまん中に、駐車中の乗用車を押しつぶすようなかたちで、白い血にまみれた土鬼蜘蛛がいた。
大きさは3~4メートル。6本足でサンショウウオのようなシルエットをしている。頭が妙に大きくて丸い。
明宏たちからは死角になって見えないが、土鬼蜘蛛の背中から数本の触手がうねうねとうごめきなにかを攻撃していた。
そのたびに小さな炎があがり、触手がひるがえる。8本ある触手のうち3本は焼け落ちていた。
「イヤです! ダメです! くるなよるなさわるなですっ!」
タータンチェックのミニスカートに不釣り合いな迷彩色のベストを着たツインテールの女のコが、白杖をふりまわしながら半泣きで叫んでいた。
今のが最後の鬼道符だったらしい。15分もしのいでいたのは奇跡だ。気の遠くなるような時間だったに違いない。
土鬼蜘蛛の背後からふた手にわかれて明宏と千草が右へまわりこんだ。明宏に手を引かれて走る千草が陽動のために鬼爆符を打つ。
ハラリと舞った鬼爆符がミサイルのような正確さで土鬼蜘蛛の固い外殻の境目で爆ぜた。
「キアァァァァ!」
予想外の攻撃に土鬼蜘蛛が身悶えした。
「退儺師・霧壺明日香、姫鞍千草、その他1名、加勢にきた!」
千草の声に女のコがツインテールをゆらす。涙にぬれた瞳で迷彩色のベストを着たツインテールの女のコが応える。
「感知退儺師・八千代美千代なのです! 助かるです! 助けてなのです!」
「私たちはもう1匹をやる! 特一級技闘退儺師アスカがそいつを倒すからよろしく! ……明宏、走れっ!」
千草はそれだけまくしたてると、明宏を急きたてて感知退儺師・八千代美千代のわきを走りぬけた。
反対がわからまわりこんできた明日香が八千代美千代の前に立ち、うしろ手で彼女を下がらせる。
明日香はベストのポケットからトランプ大の小さなカードを1枚ぬき出した。鬼道譜である。
鬼道譜の角に人さし指を当てると、鬼道譜が垂直に立ち上がり、平板な板のように回転をはじめた。
鬼道譜に描かれた模様が輝きながら立体的に浮かび上がると、明日香がそこへふっと息を吹きかけた。
すると、鬼道譜の模様だけが光となって飛び、土鬼蜘蛛の巨体へ刻印され、次の瞬間、大爆発した。
四散した土鬼蜘蛛の身体が空中で緑色に光ると一点に集束して消えた。
「ス、スゴイなのです! やったなのです!」
土鬼蜘蛛の気配が消えたことを感知した八千代美千代が歓声をあげた。
明日香が自分の人さし指を美千代の額につけ、美千代の手をとると彼女の人さし指を自分の額に押し当てた。
〈念話〉ができるよう、お互いの波長を探る鬼道の術である。〈念話〉ができないと、今後の行動に支障をきたす。
明日香と美千代は静かにお互いの波長を感じとろうと努力した。
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一方、明宏と千草は大きく破壊された壁の穴からショッピング・モール『エレクトラ』へ侵入した。
千草が首からぶら下げた金色の笛をくわえたまま顔をおちこちへ向ける。
人間の耳には聴こえない超音波を反響させて周囲の地形を一瞬で把握する。エコーロケーションである。
「今、ぼくたちが入ってきた壁に鬼道譜が左右2枚ずつ貼られてる。あと足元にも同じものが一枚。多分、斬るヤツだと思う」
明宏がバットケースから日本刀をぬき、鞘の入ったバットケースを肩からななめにかけた。
「鬼斬譜だね」
「足元にがれきが多いから気をつけて」
『エレクトラ』1階は大型スーパーマーケットが入っていて、食料品や生活必需品が扱われている。
ところどころにあわてて貼りつけられたような大きな鬼道譜もあるが、土鬼蜘蛛はそれらを避けながら棚をなぎ倒し、奥へ奥へと進んでいるらしい。
土鬼蜘蛛の進路を変えようと放たれた鬼爆符の火が消えず、あちらこちらで小さな火の手があがっていた。照明が落ちている上に、煙が邪魔で店の奥まで見通すことができない。
「……攻撃音が聴こえない」
千草が気づいた。人のうめき声や叫び声は聴こえるが、鬼爆符の爆発音や土鬼蜘蛛が〈結界符〉に触れた時に鳴る甲高い金属音がない。
「まさか、もう技闘退儺師はやられてるってこと?」
「……私は足元に集中するから明宏クンは前だけ見て急いで」
千草が唇を噛んだ。千草の手をにぎりなおした明宏が店の奥へ早足で進む。
「血の臭いがする」
千草がつぶやいた。明宏は黙っていたが、棚や足元に飛び散っている血痕の多さにうっすらと吐き気すら憶えていた。
そこに死体や傷ついた人の姿はなかった。土鬼蜘蛛に喰われたと云うことであろう。
「明宏、右2列目の奥! 結界符の反応がある!」
カレーやシチューなどのルウがならぶ棚へめりこむように、短髪で20歳くらいの男が倒れていた。迷彩色のベスト。三級技闘退儺師・大久保一馬である。
大久保一馬を守るかのように2枚の結界符が宙に浮いている。一馬の胸が上気していた。
「千草さん、まだ生きてる!」
明宏が駆けよって大久保一馬を棚から引っぱり出した。エコーロケーションで一馬を確認した千草が彼の顔に耳を近づけ、呼吸音を確認する。
「こら、男でしょ!? しっかりしなさい!」
千草が大久保一馬の頬を平手でペチペチとたたきながら云う。しかし、彼は技闘退儺師なので耳が聴こえない。
声をかけるのは千草の気休めだが〈念話〉が通じない以上、たたかれている触覚で気づいてもらうしかない。




