第三章 人儺(じんな) 〈8〉
ノックの音につづいて事務室の扉が開くと、明日香、多恵婆、千草の順で入ってきた。明宏が起立して多恵婆へお辞儀した。
「おじゃましてます」
それが多恵婆に見えているとかいないとかの問題ではなく、そう云った礼儀が身についている。首からぶら下げた金色の小さな笛をくわえていた千草が云った。
「あ、ラッキーおじさん、お茶の支度してくれたんだ。ありがとー」
「こりゃ千草。目上の人に対する口のきき方がなっておらんぞ。……ほんにすいませんの、香雲さん」
(……ラッキーおじさん?)
意外な呼び名に明宏が目を白黒させた。
明日香の父は霧壺香雲と云う。〈コウウン〉と云う音が〈幸運〉に通じるため、千草は幼い頃から勝手に〈ラッキーおじさん〉と呼んでいる。
それが人口に膾炙し、今では近所や檀家の人まで〈ラッキー和尚〉などと、めでたいんだかマヌケなんだかわからない呼び方をする。もっとも、当の本人が気に入っているようなので問題はないが。
「はっはっ。タエ様、お気になさらないで下さい。千草ちゃんは元気が一番」
「ほらね、タエ婆。おじさんに私の敬意はちゃんと伝わってるんだから」
「図にのるでない。ほんに、このじゃじゃ馬娘は……」
「はは……」
明宏も思わず苦笑した。それを耳ざとく聴きとがめた千草が、
「ちょっと明宏クン、なんであんたまで笑ってんのよ?」
ドスのきいた声で問いただす。とんだヤブヘビである。明宏が云いわけを考えていると、
「それじゃアスカ、千草ちゃん。あとよろしく」
ラッキー和尚こと霧壺香雲は、手話と口話(千草にも聴こえるように)で伝えると事務室をあとにした。
明日香が多恵婆を先と同じ席へ座らせる。向かいがわに明宏、千草、明日香の順で座る。多恵婆が口を開いた。
「ほう、ほう。今日はわざわざお呼びたてして申しわけないのう。武光さんのことは追儺局や〈五古老〉も大変興味を持っておった。土鬼蜘蛛の結界へ出入りできる一般人などここ数百年の歴史にもなかったことじゃて」
「『人儺記』以後ってことね」
千草の言葉に小さくうなづくと多恵婆がつづけた。
「来週〈百眼〉が武光さんを調べてみたいと云うておる。異存はないかの?」
「〈百眼〉?」
追儺局には〈退儺六部衆〉と呼ばれる超級退儺師がいる(ちなみに、明日香は特一級、千草は一級である)。
〈百眼〉椎名季武は、最高レベルの感知能力を持つ感知退儺師である。
「……ええ、かまいませんけど。調べるってなにをするんですか?」
「肛門から針を通してちょっと電流を流すだけだってば」
そう云う千草に、
「千草さんもいっぺん脳に電極通して調べてもらった方がいいかもしれないね」
さすがの明宏も冗談だとわかったので冗談でかえす。明日香も小さく笑う。
「たは~、明宏クンも云うねえ」
「千草! 無駄口をたたくでない」
多恵婆が千草を一喝した。
「なに、先日、儂がやったように、ただ〈視る〉だけじゃ。場合によってはちょっと採血させてもらうかもしれんが、その程度のことじゃ。こわがることはない」
「ええ、それならかまいません」
「それから退儺師の件じゃが……」
その言葉に明宏は緊張した。
「やはり、おぬしに退儺師の訓練を課しても、能力が開花する可能性は皆無じゃろう。……しかしじゃ」
多恵婆がつづける。
「土鬼蜘蛛の結界に出入りできる能力だけでも貴重であると〈五古老〉から判断された。退儺師の能力はなくとも、鬼道符を打つなどの援護ができそうじゃし、おぬしにはふたりを助けた剣の腕もある。退儺師は危険な任務じゃが、おぬしが望むのであれば、試験的に〈補助〉として千草と明日香のチームにつかせてもよいと云う話になった」
「えっ、ほんとですか!?」
「明宏クン、私らとチームになるの!?」
おどろいたのは明宏だけではなかった。明日香や千草も初耳であったらしい。
「儂としては別地区のベテラン退儺師の下へつかせたいところじゃが、学業優先じゃからの。千草と明日香はまだまだ退儺師として経験不足じゃが、能力そのものは高いので妥当と判断されたようじゃ。……どうする武光さん? 命を落とすかもしれぬ危険な務めじゃが、おぬし〈退儺師補助〉として働く気はあるかの?」
「もちろんです! やらせてください!」
明宏は即答した。自分が土鬼蜘蛛退治に役立つのであれば本望である。両親のような犠牲者を出したくないと思う。
多恵婆は小さくため息をついた。明日香は明宏を複雑な表情で見つめている。
「決まりだね! よろしく明宏クン!」
千草がはずんだ声で云った。
「千草! 明日香!」
多恵婆が厳しい声を発した。
「よいか。武光さんは鬼道の力がないお人じゃ。多少、剣の腕が立つと云っても、今後の実戦ではお荷物となるやもしれん。おぬしらは武光さんの命も守るつもりで戦わねばならんことを肝に銘じておくのじゃ」
〈はい!〉
明日香と千草は厳しい表情でうなづいた。
「大丈夫です。ぼくに土鬼蜘蛛は倒せないかもしれませんが、千草さんとアスカさんは命がけで守ってみせます」
3人の覚悟をしかと見さだめた(聴きさだめた)多恵婆がやさしく笑って云った。
「ほう、ほう。武光さん、ふたりのことをよろしく頼みましたぞ」
「はい!」
「アスカ、武光さんに鬼道符を」
明日香が席を立つと、事務所の棚の引き出しからふたつの小さなカードホルダーをとり出した。〈爆〉〈結〉と書かれているカードホルダーは、防水布製でベルトや内ポケットにはさめるようになっている。
上部はマジックテープで開閉できるカバーになっていて、小さな飾りボタンに点字で〈B〉〈K〉と刻印されている。
明日香が明宏にそれを手渡し、千草が説明する。
「こないだ話した鬼道符ね。それぞれ10枚ずつ入ってる。〈爆〉ってあるのが〈鬼爆符〉。それが土鬼蜘蛛に触れると小さな爆発を起こす。致命傷は無理だけど、ダメージは与えられるし、足どめにもなる。〈結〉ってあるのが、こないだも見せた〈結界符〉。ちょっとしたバリヤーになる。どっちも土鬼蜘蛛の結界内で打てば、勝手に土鬼蜘蛛へ向かっていく」
「わかった」
「ほう、ほう。それから給与のことじゃが……」
「給与ですか?」
多恵婆の意外な言葉に明宏は戸惑った。
「仮契約なので月給は出ぬが、1回の出動につき3万円の手当がつく。月末締めの翌10日支払いじゃ。実績によって手当の金額は上がるようになっておる。負傷した際には労災もあるので心配せんでよい。特別口座を開設するので、次にくる時は印鑑を持ってくるように……」
(なんかいきなりバイトの面接みたいになってきたな)
妙な感慨を抱く明宏だったが、多恵婆の表情が急変した。




