第三章 人儺(じんな) 〈4〉
「えっと、あんた……羽田って云ったっけ?」
千草が右どなりの声へ訊ねた。なんとなく空港っぽい名字だとおぼえていたらしい。
「……あのー、成田です。成田真」
「なんでもいいから、試合の実況お願い」
本当はある程度〈音〉でわかるし、明日香から〈念話〉のフォローもあるのだが、ヘンに怪しまれることのないよう保険を打っておいたのである。
明宏と佐倉の竹刀の切先が軽く音をたてて触れ合うと、佐倉が激しく踏みこんだ。
「きぁーっ!」
佐倉の竹刀が空を斬る。明宏が身体でかわす。佐倉には明宏が瞬間移動したようにしか見えない。
ふたたび佐倉と明宏が向き合う。
「ちぁーっ!」
「でぃえーっ!」
「きぉーっ!」
面、胴、小手と明宏の隙をついて果敢に打ちこもうとするのだが、佐倉の竹刀はそのつど空を斬り、明宏の身体は佐倉の正面から消える。
しかし、観客の多くは奇声をあげて打ちこむ佐倉の派手なパフォーマンスに幻惑されていた。
「武光、佐倉に攻められっ放しだな。ダメかな、こりゃ?」
成田真のもらした感想は大方の見解と一致していたが、試合を音だけで聞く千草と、目だけで追う明日香は、佐倉では武光の相手にならないことに気づいていた。
まず、竹刀と竹刀のカチャカチャ牽制しあう音が聴こえない。間合いを計る。鍔ぜりあいする。狙いをそれた竹刀が相手の防具をたたくなどの音が一切聴こえなかった。
佐倉の奇声と観客席からの歓声がなければ、ほとんどふたりの足音しかしないであろう静かな試合である。
明日香の目にも明宏が佐倉を翻弄しているようにしか映っていなかった。適当にあしらっている雰囲気すらうかがえる。
明宏と竹刀をまじえる佐倉も、自分の土俵でありながらボクシング・ルールで戦う空手家のような違和感をおぼえていた。
とにかくリズムが合わない。間合いが読めない。焦りがつのる。
(ヤツはまだ一度も打ちこんでこない。おれの攻撃をかわすので精一杯とみた! このまま攻めつづければ勝てる! 待っていてくれ、詩緒里さん! おれは勝利とともにきみを抱きしめてみせますっ!)
佐倉はインターハイ5位と云うだけあって動きも機敏で狙いも正確だが、明宏からすると戦い方がキレイすぎた。
型稽古が主の〈鬼眼一刀流〉でも、たまに防具をつけて竹刀で打ち合うことがある。しかし、道場主・穴森大膳との打ち合いともなれば、試合とは呼べないほど無茶苦茶なものになる。
すねへの攻撃など当たり前、タイ捨流(剣術の一派)みたいに蹴りが飛んでくることだってめずらしくない。
剣道は面・胴・小手しか狙ってこないが、実践的な〈鬼眼一刀流〉では、防具のないすねだろうが二の腕だろうが、隙があれば攻撃はどこにでもくり出される。それが実戦である。
「自分の型で戦おうとするな。相手の型を読み、それをくずせ」
と、大膳は云う。
型稽古は型を身体にたたきこむのではなく、身体の使い方を意識するためのものだと云う。
云われてできるものではないから日々の鍛錬が必要なのだが、どんな予想外の攻撃にも対応できるような意識で鍛錬をつづけている明宏にとって、佐倉の剣道はいかにも実直すぎた。
「てぇーっ!」
小手を狙った佐倉の竹刀が空を斬った。その竹刀を肩をならべるように立った明宏の竹刀が上から押さえつける。佐倉はそれをふりはらおうとしたが微動だにしない。
(なんだ、コイツの〈剣術〉って!?)
佐倉は今頃になって得体の知れない相手に勝負を挑んだことを後悔しはじめていた。
明宏は身を引きざま佐倉の小手を打った。観客席の明日香が思わず席を立つ。
「あさいっ!」
主審の声にふたりの副審も白旗を上げる。場内から安堵と無念のどよめきがもれた。明日香は思わず立ち上がってしまった恥ずかしさにイスの上で小さくなっていた。
そんなようすを知るよしもない明宏は、
(確実に斬ったのにな)
と、思いながら佐倉と間合いをとる。しとめたあとも油断をしない〈残心〉の精神である。
「明宏っ! 剣道はポイント制だよ!」
剣道場の隅に正座する詩緒里が叫んだ。明宏が意を察してうなづく。
「……ポイント制って?」
観客席の千草が首をひねる。
「あれかな? エコバッグ持参で1ポイントとか、500円以上の買い物で1ポイントとか……」
千草は成田真の言葉をまるっと無視して、
「明宏クンがんばれっ!」
と、声援を送った。その声に呼応して明宏への声援も増え出した。
(なるほど、ポイント制か……)
明宏が苦笑した。これも剣術と剣道の違いである。
しばしば、剣道家と竹刀で手合わせした剣術家は打ちこみが浅いと云われる。これは剣術が刀で〈斬る〉動きであるのに対して、剣道は相手を竹刀で〈たたく〉動きだからだ。
詩緒里がポイント制と云ったのは、剣道が面・胴・小手の三ヶ所をたたいてポイントを獲りあう〈スポーツ〉だと気づかせるためであった。
(やっぱ、まだまだだね、明宏は)
明宏の勝利を確信しつつ、お姉ちゃん目線で見下す詩緒里である。
佐倉は小手をあさく打たれたショックから立ちなおり、なにやら詩緒里から声援を受けた明宏への嫉妬を怒りへと転化していた。
ひらたく云えば、頭に血がのぼっていた。
「うぬぅ、許さん、許さんぞぉ、武光明宏!」
佐倉は道場の床を蹴り、雷のような激しい突きを打ちこんだ……つもりだったが、佐倉の右ななめ前からふり下ろされた竹刀が頭頂部へまっすぐたたきこまれた。
道場に杭を打ちつけるかのような豪快な一撃だった。
「面っ!」
これくらいわかりやすければ問題はあるまいと、明宏は思う。
「……勝負ありっ!」
赤旗を上げた主審の言葉に場内がどよめいた。どおおおぉ、とゆれる武道場に、剣道場でなにが起きているのか知らない校内の生徒たちまでギョッとした。




