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第一章 土鬼蜘蛛(つきぐも) 〈2〉

    4



 24時間源泉かけ流しと云う穴森道場自慢の大きな(ひのき)風呂の湯船につかりながら、武光明宏はこの1ヶ月をふりかえっていた。


 彼の平凡な日常は1ヶ月前になんの予兆もなくくずれ落ちた。


 明宏は両親を飛行機事故で(うしな)った。


 飛行機は離陸直後に原因不明の大爆発を起こし、四散して太平洋上へ墜落した。生存者はひとりもいなかった。


 テレビのニュース映像に流れる無機質なカタカナのテロップだけが彼の両親の死を無情に告げていた。


 テルヒサ タケミツ(45)

 ユリカ タケミツ(44)


 明宏の両親の飛行機事故死の一報を受け、すぐに駆けつけてくれたのが穴森夫妻だった。すなわち、穴森大膳と母方の姉である伊織だ。


 明宏はぼう然としていた。あまりにも両親の死に現実感がなさすぎた。


 遺体はおろか遺品もなく「あなたのご両親は亡くなりました」と云われて実感のわくはずもない。


 テレビのニュース映像や新聞へ掲載された写真で、茫漠(ぼうばく)とした海上にただよう飛行機の破片を見た時でさえ、その飛行機に自分の両親が乗っていたことを想像するのは難しかった。


 かたちだけの葬儀も執りおこなわれた。祭壇にかかげられたふたりの遺影を眺めても、やはり両親の死を実感することはできなかった。


 哀しまなくてはならないのだろう、泣かなければならないだろうと思ってみても涙は出てこなかった。


 ひょっとすると自分はとんでもなく冷酷な人間なのではないかとすら疑った。そのことを穴森大膳へ打ちあけると、


「実はおれもそうなんだ」


 大膳も困ったように云った。


「どっかの空とか海で事故死したって云われても、遺体もない、事故現場にも行けないとなると実感がわかなくていかん。葬式をすれば腑に落ちるかとも思ったがダメだ」


 大膳は嘆息するとつづけた。


「……でもな、今はそれでいいんじゃないかって思う。たぶん、こう云う唐突な死を受け入れるには時間がかかるんだよ。〈無心のかまえ〉で日々をすごしてけば、ある日ふとあいつらの死を実感として受け入れられる日もくるだろう」


(……ひょっとすると、穴森のおじさんはぼく以上につらいのかもしれない)


 明宏はそう思った。


 明宏の父と大膳は穴森道場でともに修行した竹馬(ちくば)の友である。


 明宏はそんな両親から剣術の手ほどきを受け、穴森道場へ稽古に通っていた。親戚と云うより、もはや家族と云ってよい。


「お前は決して冷酷な人間なんかじゃない。本当に冷酷な人間だったらそんなことで悩んだりするわけがない。お前がやさしい人間だってことは、おれもおれの家族もみんな知ってるから安心しろ」


 大膳は最後に少しだけ口調をあらためてこう云い足した。


「……そんなツマランことで悩むのは鍛錬が足りんからだ。鍛錬して心を研ぎ澄ませば迷妄(めいもう)を断ち斬ることができるってもんだ。一に鍛錬、二に鍛錬。三四がなくて、五に乾麺だ。おめえに喰わせる乾麺(かんめん)はソバ、ってな。かっはっは」


 笑いどころのつかめないギャグで話をまとめると、明宏の頭をくしゃっとなでた。


 大膳へ相談した明宏は少しだけ自分を許せる気がした。



     5



 両親を喪った明宏は穴森道場へ居候(いそうろう)することとなった。


 穴森大膳(いわ)く、


「成人まで面倒を見なければ亡くなった妹夫婦に申しわけがたたぬ。道場に部屋は余っている。高校編入の当てもある。泥船に乗った気持ちでまかせなさい。かっはっは」


 である。『かちかち山』ではあるまいし、泥舟に乗ったらじわじわ沈んでしまうだけだが、そこはもちろん大膳の冗談だ。


 ひとりでも大学卒業まではなんとかなりそうだったので何度も固辞したのだが、穴森夫妻に押し切られた。


 ある朝、伊織の率いる引越屋に急襲された明宏は布団のまま簀巻(すま)きにされ、引越荷物と一緒に穴森道場へ拉致(らち)られた。


雨漏(あまも)り道場の女菩薩(にょぼさつ)〉と(うた)われる温厚な伊織だが、肚をくくると大膳よりもはるかに強くてこわい。


「ちょ、ちょっと、伊織さん!?」


 穴森道場へ向かう4トントラックの暗い荷台で布団のまま簀巻(すま)きにされた明宏が(むな)しい抗議の声をあげた。


 オレンジ色のツナギに軍手、頭にバンダナと云う対引越完全装備の〈雨漏り道場の女菩薩〉が明宏の抗議を無視して応えた。


「これって誘拐っぽくない? サスペンスみたいでおもしろかったでしょ~?」


「おもしろかったでしょ? じゃないですよ、……ッテ!」


 4トントラックがゴトリとゆれて明宏は軽く舌を噛んだ。


「大丈夫~?」


 荷台の壁に手をついてゆれをこらえた伊織が自分へ云い聴かせるように語り出した。


「私たちに迷惑かけたくないって云う明宏クンの気持ちはわかる。私たちのワガママだってことも重々承知してる。明宏クンはイヤかもしれないけど、私たちはどうしてもこうしたいの」


「……どうしてですか?」


「んー、たぶん、明宏クンは大人だからひとりでもしっかりやっていけると思うんだけど、それでもやっぱし心配なのよね~。それにダイちゃんはこわいんだと思う」


「こわい? おじさんが?」


 明宏の知っている穴森大膳とはおよそ無縁の言葉である。


「そう。明宏クンがあなたのご両親みたいに、ある日突然いなくなってしまったらどうしよう? って」


 明宏は闇の中で沈黙した。


「飛行機事故なんて滅多に起きるもんじゃないし、まして、その事故が身内に降りかかるなんてだれも想像してないでしょ? 私たちは親しい人の死を経験するのははじめてじゃないけど、それでも今回の事故はあまりにも突然で跡形がなさすぎるって云うか……」


 実感がなさすぎてこわい。今の明宏になら理解できる。


「もちろん、明宏クンが、突然、私たちの前から姿を消すなんてあり得ないことはわかってる。でも理屈じゃなくて、感情の奥底に刻みこまれた小さな傷が私たちを不安にするんだよね」


「そんなこと云われても……」


「私たちは確信がほしいんだと思う。たとえば明宏クンが成人するなり、大学を卒業するって云う一区切りの時間を共有することで「もう安心ね」って云う感情的な確信がほしいんだろうなって」


「……」


「明宏クンのお父さんと由里香の……妹の死を認めて乗り越える〈儀式〉として、明宏クンの成長を見とどけることが私たちには必要なの。ダイちゃんや私を助けると思って一緒に暮らしてくれないかなあ……」


 伊織の云うことは本心だろう。それ以上に明宏を心配していることも身に()みた。


 ここまでしてもらって、こうまで云ってもらえて、伊織の誠意を踏みにじるわけにはいかなかった。


 明宏は簀巻(すま)きにされた布団の中からあえかな声で、


「……わかりました、伊織さん。よろしくお世話になります」


 と、云った。


 両親の死を聴かされても泣かなかった明宏が、穴森夫妻の深いやさしさに心打たれて静かに泣いた。


 穴森伊織はそんな彼に気づかぬふりでペットボトルのスポーツドリンクをひと口飲んだ。

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