第二章 退儺師(たいなし) 〈9〉
「今日はとにかく特別すぎたしねー。ふつうなら1日2回、しかもあんな短時間でつづけざまに土鬼蜘蛛とやりあうなんてあり得ないし。下手すりゃ1回の戦闘で寝こむ退儺師すらいるって云うのに、アスカは2回もやりあった。それも特一級のアスカにしかできない戦い方で」
「アスカさんにしかできない戦い方?」
「ふつうの退儺師ならあんなにひょいひょい〈爆炎〉なんて使えないんだから。〈瀑湯〉まで出したって云うじゃん? ……アスカがいたらどこでもカップ麺食べられるね」
〈も~、千草ちゃん!〉
マジメに話し出したかと思えば、すぐに茶化す。
「明宏クンも気づいていると思うけど、攻撃能力を持つのは耳の不自由な退儺師。技闘退儺師は視覚が鋭敏化することで物質的イメージ力、内的リアリティ力が向上する。このことわかる?」
「いや、ちょっと……」
明宏が頭をふった。デキの悪い生徒みたいで恥ずかしい。
「乱暴な云い方をすると、人間は思いこみだけで生きている動物なの。……なんて云えばいいかな? ……明宏クンでグルパークだよね」
「え、グルなに?」
「明宏クンってバカだよね」
自分でもそう思っていたところなのだが、ちょっとカチンときた。
「今、少しムッとしたでしょ?」
「……まあ」
「でも、さっきのグルパークでムッとした?」
「いいや」
「グルパークって、ブルガリア語でバカって云う意味なの。ようするに、私は最初から明宏クンにバカって云ってたんだけど、明宏クンは最初ムッとしなかった。なぜか?」
「意味がわからなかったし」
どうしてそこでブルガリア語なのかもわからない。
「本来、グルパークもバカも単なる音の羅列でしょ? その意味を知らない人が聴いたら、それはちんぷらかんぷらの音でしかない」
「うん」
「スチューピッドとかフールって云われたら、バカにされていることはわかるけど、バカって云われるほど腹は立たなくない?」
「まあ、そうだね」
今度は英語だ。
「どうして、バカって云われるとすなおに腹が立つのか? それは明宏クンが〈バカ〉って云う音や文字に〈バカ〉って意味を与えているから」
「……つまり、音や文字にリアリティを与えているのは、その人の心ってわけか。受け手の意識の問題なんだね?」
「お、呑みこみ早くない?」
千草が嬉しそうに云う。
「いや。なんとなく云いたいことはわかってきたけど、話の核心が見えてこない」
「私たちが日本語にリアリティを感じるのは、伝統・文化・環境によって生み出され、定着し、音や文字にすりこまれた意味を日々くりかえし使いながら強化しているから」
「思いこみを強くしていくことで言葉の意味が増す。リアリティが増すって云うことか」
「そゆこと。だから私たちはひとつの言語を習得することで、ひとつ魔法が使えるようになっているわけ。少なくとも、人の心に作用する魔法を」
「……魔法?」
「そう。たとえば、さっきのバカって言葉は、日本人に使えば相手を傷つけたり不愉快にさせる力を持つ魔法になるし、ステキとかキレイとかアリガトウなんて言葉は、相手を快くさせる力を持つ魔法になるでしょ?」
言葉は白魔法にも黒魔法にもなると云うことだ。
「私は云われたことないけど、バカとかブスとかデブなんて言葉があるじゃない? はたで見るかぎり決して太っていない女の人でも、自分の体型にコンプレックスを持っていたとしたら、デブって言葉がスゴク殺傷能力の高い魔法になったりするんだよね。単なる言葉が人を拒食症におちいらせたり、自殺や殺人の引き金になることだってあり得る。でもそれは、だれにでも一様の効果を発動する魔法ってわけでもない」
逆に云えば、千草をバカだのブスだのと罵倒しても、本人が圧倒的にそう思いこんでいないのだから、対千草の攻撃魔法にはなり得ない。
「なるほど。必ずしもいいたとえじゃないけど、それが内的リアリティってことか」
「そゆこと。私の本意じゃないんだけど、こう云うのってプラス面でたとえるより、マイナス面でたとえる方が伝えやすいんだよね。アスカがそう云えって云うからさー」
「云ってません」
千草の白々しいウソに明日香の人工音声が無情にツッコむ。
「言葉は魔法の一種で、それが人の内的リアリティに作用するってところまではわかった。でも、それがアスカさんの攻撃能力とどう関係してくるのかがわからない」
「たは~、明宏クンってすなおでヨロシイねー。それじゃ、オネエサンがもっとわかりやすく解説してあげよう。極限まで精緻かつ具体的にイメージされた内的リアリティは現実になるってわかる?」
「内的リアリティが現実になる……?」
「たとえば、一流のカーレーサーは、実走したことのないサーキット・コースをイメージトレーニングだけで実走した時と同じタイムで走ることができるって聴いたことない?」
「ある。イメトレで最速タイムをたたき出したレーサーが、そのあと実際に最速タイムを出すとか云う話だよね」
「そうそう。ジュール・ヴェルヌの言葉じゃないけど「人が想像し得ることは実現できる」ってわけ」
「でも、この話だと、レーサーが想像しただけで目の前に実際の車やコースがあらわれるわけじゃ……」
云いながら、明宏は気がついた。
「そうか! アスカさんの能力はイメージしたものを実体化させることができるのか……」
「そゆこと。ただし、自分自身に対してであれば、ふつうの人でも思いこみを具現化させることができるって云われてる。聖痕なんてのが一般例かな?」
聖痕とは、敬虔なキリスト教徒の手足にキリストが磔刑に処された時と同じ傷がうかびあがり、血が流れると云う奇跡である。
昔は手のひらに出ていた聖痕だが、後世の研究で杭は手のひらではなく手首に打ちつけられたと云う説が流布すると、聖痕は手のひらではなく手首へあらわれるようになった。
ようするに、それは霊的な奇跡ではなく、人の壮絶な思いこみが生み出したものと云ってよい。一種の自己暗示だ。
催眠術で火傷を負ったと錯覚させられた人の身体に火ぶくれができたなんて話もある。