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第二章 退儺師(たいなし) 〈8〉

     6



 多恵婆がいなくなると、明宏は自分が想像以上に緊張していたことに気がついた。肩の力をぬいて息をついた。


「どうしたのー? タエ婆こわかった?」


 千草が明るい声で訊いた。


「いいや、全然。ただ、いろいろと衝撃が強すぎて……ね」


 土鬼蜘蛛(つきぐも)退儺師(たいなし)の話だけでもスゴすぎるのに、期せずして両親の飛行機事故の原因についてまで知ったのだから、平静でいられるわけがない。


「そっか、そうだよね。……明宏クン、紅茶のおかわりもらえる?」


 千草が顔を向けた先に明日香の運んできたティーポットがあった。明宏は席を立つと千草のカップに紅茶をそそいだ。


「ありがと」


 千草はそう云いながら小さく舌打ちすると、迷うことなくカップへ手をのばした。


(舌打ちがクセなのかな?)


 明宏は前からちょこちょこ千草が舌打ちしているところを目撃していた。なにか不愉快なことがあって舌打ちしているわけでもないらしい。


「千草さんて、ホントは目が見えてるんじゃないの?」


 時おり見せる自然な動きが明宏をそう錯覚させる。


「明宏クン、エコーロケーションって知ってる? あ、ちなみに「エロコミュニケーション?」なんて訊きかえす下ネタよりのボケは却下ね」


「……そんなボケ、とっさに思いうかばないって。エコーロケーションも知らないし」


 エコーロケーション(反響定位)とは、音を反射させてモノの位置や大きさなどを把握する能力のことである。


 昔からコウモリやイルカにこの能力があることは知られていたが、人間にもできることは近年まであまり知られていなかった。


 ただし、人間はコウモリやイルカのように超音波を発することができない。


 それに代わるのが打舌(だぜつ)音、すなわち舌打ちである。舌打ちは千草の変わったクセではなく、エコーロケーションのためのものだった。


「じゃあ、さっきの舌打ちだけでカップの場所がわかったんだ?」


 明宏が感嘆した。


「そう。スゴイっしょ? ……な~んてね。この能力は訓練すればだれでもできるようになるんだって」


 障碍者(しょうがいしゃ)にかぎらず、だれでも1日1~2時間の訓練を1ヶ月もつづければ、エコーロケーションの基本はマスターできると云う。


「この笛あるじゃない?」


 千草は胸元に光る金色のアクセサリーを指さした。一見して笛とは思えないほど美しい装飾がほどこされている。


「この笛は50kHzの超音波が出せるの。ふつうの人には聴こえないけど、退儺師(たいなし)としての特殊能力のある私にはこの音を聴きとることができる。だから、この笛を吹きながらであれば、私は健常者と同じくらい周りを把握してサクサク動けるってわけ」


 明宏は境内での光景を思いかえしていた。金色のアクセサリーをくわえる姿に不自然さを憶えていたのだが、疑問が氷解した。


 ちなみに、人間の可聴範囲は20Hz~1万8千Hz(18kHz)、コウモリで30kHz~100kHz以上とも云われている。


「でも今朝は、この笛とかいろんなものを忘れて、あわてて駆けてく愉快な千草さんだったんよ。おかげで今朝の工事現場じゃアスカに追いつけなくて、舌打ちのエコーロケーションでやっとこさ、てな感じ」


 白杖も持たずに工事現場を歩いてきたのはその能力のおかげだったのかと明宏は得心した。


 明宏は試しに目を閉じて舌打ちしてみた。反響音などまったくわからない。


「あ、今、試してみた? どうよ?」


 笑いながら訊ねる千草に、


「うん。全然わからない」


 明宏も笑う。


「ふつうに目が見えない人も退儺師(たいなし)の訓練を受ければ超音波とか聴きとれるようになるの?」


「さすがにそれは無理。別に土鬼蜘蛛(つきぐも)の波動も〈音〉として感じるわけじゃないし。私の場合、耳がよすぎるのは幸か不幸か〈血〉よね」


 事務室のドアが開くと、明日香がもどってきた。


「あ、おかえり。アスカ」


「おかえりなさい」


 出迎えるふたりの言葉に、


『ただいま』


 と、音もなく手話でかえす。無意識に出る手話の仕草もかわいい。


「あ、ぼくこっち座るね」


 明宏が席を立ち、千草と明日香の向かいの席へ移動した。多恵婆が座っていた席の右、千草の正面である。


 多恵婆の座っていた席には遠慮があるし、可憐な美少女・明日香の正面は緊張する。


 明日香はノートPCを手で引きよせて千草の隣へ移動した。席にはまだ明宏のぬくもりが残っていたが、気にするようすもない。


「明宏クン、アスカに紅茶のおかわり入れてあげて」


 明日香は自分でやろうと腰を上げかけたが、明宏の方がティーポットに近く、動作も機敏だったので、好意に甘えて座りなおした。紅茶をそそぐ明宏に手話でお礼を云った。


「なんの話をしてたんだっけ? ……そうそう。私の耳がいいって話で云えば、明宏クン、学食で麻婆麺(マーボーメン)を食べるなんて愚の骨頂。センスなさすぎ、趣味悪すぎ。最悪でも麻婆丼だね。私みたいにタバスコ持参で」


「え、学食って……千草さん、ぼくたちが学食にいたこと気づいてたの?」


「学食にいらしたんですか? 声をかけてくださればよかったのに」


 そう云いながら明日香がタイピングする。人工音声が明日香の口の動きにおくれてつづく。


「たは~、聴いてよ、アスカ。それが明宏クンたら、詩緒里ちゃんと大きな声でイチャイチャイチャイチャまわりをドン引きさせてたんだよ。「アキヒロ~、コショウかけてあげるぅ~」「やめろよ、シオリちゃ~ん」みたいにデレデレデレデレ……」


「んなことするかっ!」


 赤面して否定する明宏の剣幕に千草がひゃっひゃっひゃっと笑う。


 しかし、明宏は気がついた。千草の再現には悪意ある脚色がほどこされていたが、詩緒里が明宏の丼にコショウをふりかけたのは事実だ。


「え、まさか千草さん……?」


「あの程度の喧噪(けんそう)なら、知りあいの声を聴きわけるのは屁でもないわ」


〈千草ちゃん、云い方!〉


 明日香が〈念話〉で千草の言葉づかいをたしなめた。たしかに「屁でもない」は少々お下品である。


 しかし、明宏は千草の言葉づかいの悪さよりも、あんなにはなれたところから彼らの会話を聴きわけていたことにおどろいた。視界に入っていても気づかない可能性すらある。


「アスカが気づかなかったのは、明宏クンたちけっこう遠くのうしろに座っていたからねー。……でもアスカ。明宏クンにはバレちゃってるけど、もし声かけられてたら、とんでもない大喰らい(フード・ファイター)だって思われちゃったかもよ?」


(……あ!?)


 明日香がなにかに気づいて頬を赤らめた。そう云えば、と明宏も思い出す。チャーハン皿の上に丼が3つ重ねられていたことを。


〈ちょ、……やめてよ、千草ちゃん!〉


 明日香が〈念話〉で千草に抗議する。


「なに云ってんの。私はアスカのために、ただの〈爆乳大喰らい女〉でないことを証明してあげようってんじゃないのよさ」


〈ぬあっ!? ただの爆乳大喰らいって……他に云い方あるでしょ!?〉


 明宏には千草の言葉しか聴こえていないが、明日香がからかわれて怒っているのはわかる。


「お願い、明宏クン理解してあげて。アスカはいつもいつも自慢の爆乳を維持するために、チャーハン、カツ丼、ワンタンメン、かき揚げ天うどんを食べているわけじゃないってことを!」


 明日香が食べた昼食メニューを丁寧(ていねい)にならべあげた。明日香はまっ赤な頬をふくらましてむくれ、明宏はただただ苦笑する。


「……ようするに、攻撃能力を持った技闘退儺師(たいなし)は戦闘後それくらい体力を消耗するってこと」


 千草の言葉に明宏がハッとした。

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