第二章 退儺師(たいなし) 〈6〉
「どうしてですか?」
「明宏さん。おぬしは、なぜ地球上で人間だけがこれほどの文明をつくりあげたかわかるかの?」
意外な質問に明宏は戸惑った。
「……他の動物よりも知能が発達しているから、ですか?」
「では、なぜ知能が発達したと思う?」
(……二足歩行をするようになったからですか?)
そう答えようとした明宏を、千草の言葉がさえぎった。
「動物として生きのびる能力が圧倒的に欠けていたから」
「千草の云うとおりりじゃ。肉食獣のように鋭い牙や爪もなく、草食動物のように俊敏な脚力があるわけでもない。生きのびるための能力が欠落していたからこそ、知能を発達させ、道具を発明し、文明を発達させたと云うわけじゃ」
明宏にも多恵婆の云わんとすることがわかってきた。
「つまり、退儺師としての特殊な能力は、目や耳が不自由であることによって補われたり、発達する能力の延長線上にあると云うことですか?」
「端的に云えばの」
多恵婆が首肯する。土鬼蜘蛛の結界効果がに作用しないのも、五感のひとつが遮断されているためだと云われている。
「太古の昔より、巫女や呪術師などの超能力が発現するのは儂らのような補強者だったのじゃよ。おぬし、卑弥呼は知っておるじゃろ?」
「邪馬台国の女王・卑弥呼ですよね」
明宏がうなづく。
「ヒミコ、あるいはヒメコともよぶが、儂らの伝承によると、卑弥呼は〈否する耳の巫女〉あるいは〈否する目の巫女〉と云う意味での。目か耳が不自由であったとされておる」
「明宏クンは、卑弥呼の腹心の部下の名前、知ってる?」
千草が皮肉っぽい笑みをうかべながら明宏へ訊ねた。
「いいや、知らないけど」
「難升米。〈無し目〉だって。わかりやすいと思わない?」
「……アスカさん、ホントですか?」
からかわれているのかと思って訊きかえす明宏に、
(ホントです)
明日香が唇の動きだけでうなづく。
「そうなんですか」
得心する明宏の声に千草が、
「ちゃんと『魏志倭人伝』に書いてあるっつーの。するってえとなにかい? 私の云うことは信用できないけど、アスカの云うことなら信用できるってことかな?」
明宏が云いわけを考えていると、多恵婆が言葉を継いだ。
「実は、最初に土鬼蜘蛛を異界からよびよせるべく鬼導門を開いたのは、卑弥呼じゃと云われておる」
「卑弥呼が? どうしてですか?」
「当時、卑弥呼の邪馬台国は狗奴国と戦争をしておっての。敗色濃厚であったらしい。その形勢をくつがえすべく異界から土鬼蜘蛛を召喚しようとしたのじゃ。今では古天文学によってその日付もわかっておる」
「卑弥呼が鬼導門を開いたのは、紀元248年9月5日。皆既日食があったんです」
明日香のタイピングしたノートPCが人工音声で告げる。
「土鬼蜘蛛の召喚に失敗したのか、土鬼蜘蛛の召喚を阻もうとする者に誅されたのかはさだかでないが、卑弥呼はその日に亡くなったと云う」
一説によると、卑弥呼は日の巫女(太陽の巫女)であり、この皆既日食は天照大神の〈天の岩戸神話〉の元になったとも云われている。
「鬼蜘蛛族・土蜘蛛族は、卑弥呼の死後、禁術とされていた鬼道を用いて、開いたままになっていた鬼導門からバケモノのを召喚したんだって。卑弥呼がやろうとしていたことを、まんまパクったわけ」
千草の言葉に明日香のタイピングがつづく。
「でも、卑弥呼や鬼蜘蛛族・土蜘蛛族は知りませんでした。人を喰らいすぎた土鬼蜘蛛が人儺になることを。鬼蜘蛛族・土蜘蛛族は人儺によって滅ぼされたそうです」
多恵婆は静かに頭をふった。
「滅ぼされたと云うのは正確ではない。ごくわずかではあったが生きのびた者たちがいた。その者たちが退儺師となったのじゃ」
それがアスカや千草の祖先である。
退儺師の家系は、アスカの霧壺家や千草の姫鞍家だけではない。
代々、退儺師の長を務める藤壺家や、退儺師に強大な権限を誇る〈五古老〉の金壺家、桐壺家(明日香の霧壺家はこの傍流にあたる)、梅鞍家、亀鞍家、壺鞍家など、さまざまな姓で全国に散らばっている。
退儺師はそれらの家系からのみあらわれるわけではない。
ただし、その資質があらわれるのは〈補強者〉にかぎられるため、全国の聾学校・盲学校へ極秘に退儺師が派遣されている。
退儺師としての資質アリと認められた生徒は、それぞれの学校に設けられた養成施設で人知れず訓練にはげむこととなる。
「霧壺家や姫鞍家のように由緒正しい退儺師の家系は、その能力を最大限にまで高めるため、あることをしたと云われておる」
「あること……?」
明宏が首をかしげる。
「私たちの御先祖様は、自らの家系に〈補強者〉しか生まれない鬼道をほどこしたんだって。云うなれば、私たちには土鬼蜘蛛退治の〈呪い〉がかけられてるってわけ」
吐き捨てるような千草の口調を多恵婆が叱責した。
「千草、かような云い方をするでない! 儂らの使命の重みを忘れたわけではあるまい!」
千草は怒りとも哀しみともつかぬ表情で沈みこんだ。そんなことは重々わかっている。退儺師としてのプライドもある。
それでも、退儺師の家系に生まれてこなければ目が見えたのではないか? もっと自由に生きることができたのではないか? と云う想いが胸中をよぎらぬこともない。彼女たちにとって退儺師は継ぐことを宿命づけられた家業なのだ。
千草の想いは多恵婆にも痛いほどよくわかる。若いころは己の〈血〉を呪ったことさえある。
しかし、罪なき人の命と記憶を守るために戦う退儺師としての崇高な責務を自分の使命であると本気で覚悟できた時、そのような迷いは消える。
それは退儺師の家系に生まれた者であれば、だれもが通らねばならない道であった。
「明宏さん。おぬしは退儺師となるために、目や耳をつぶす覚悟があるかえ?」
明宏は言葉につまった。「できます」とは即答できなかった。
土鬼蜘蛛についてなにも知らなかった明宏にそこまでの覚悟があるはずもない。生半可な気持ちで「退儺師になれますか?」などと訊いた自分が恥ずかしかった。




