第二章 退儺師(たいなし) 〈4〉
部屋の中央に6人がけの大きな応接セットが設えられていた。
テーブルのかたわらに集音マイクらしきものが置かれていて、コードが1台のノートPCへつながっている。応接セットの一番奥に小さな老婆が座っていた。
「タエ婆、さっきお話しした武光明宏さんをつれてきました」
千草の口調があらたまる。先刻のお嬢さま遊びのつづきではないらしい。
「ほう、ほう。武光さんとおっしゃるか。ようおいでなさったの」
タエと呼ばれた老婆がしわだらけの左手を手招きするかのようにひらひらさせた。
多恵婆は千草の声のする方へ顔を向けたが、白濁した瞳は明宏の顔をとらえていない。多恵婆も目が見えないのだ。
「武光明宏と云います。今日は突然おじゃましてすいません」
襟を正してハッキリとそう云った。
「ほう、ほう。力強いお声じゃ。まずはお座りくだされ」
多恵婆の正面に千草、明宏、明日香の順で腰を下ろす。美少女ふたりにはさまれたことよりも、老婆の真正面に座したことで明宏は緊張した。
ノートPCは明日香の席に置かれていた。見るともなしに視界へ入ったノートPCのディスプレイには、彼らのかわした会話が文章として表示されていた。
明宏の視線に気づいた明日香がほほ笑むと、ノートPCのキーボードをブラインドタッチでタイピングする。
「私もこれで会話に参加させてもらいますね。そうだ、お茶ご用意します」
ノートPCから女性の硬質な人工音声が流れた。明日香が席を立つ音に呼応して千草が訊ねる。
「タエ婆どう? なにか感じる?」
多恵婆の顔がまっすぐ明宏へ向けられた。多恵婆には千草以上の感知能力がある。
なにも見えないはずの白濁した瞳になにもかも見透かされてしまいそうな気がして、明宏は萎縮した。
ややあって、多恵婆が深く息をついた。
「土鬼蜘蛛に類する波動は感じられぬの。人儺ではなさそうじゃ。安心するとよい」
「たは~、よかったねー、明宏クン。きみの嫌疑は晴れた! アスカ、お茶うけにケーキ、ケーキ!」
「これはめでたい。酒じゃ、酒もってこい!」みたいなノリで千草がはずんだ声を出す。
「こりゃ、はしたない」
そんな千草をやさしい口調で多恵婆がたしなめる。千草が小さく肩をすくめた。
「お婆さん。〈土鬼蜘蛛〉とか〈人儺〉とかって一体なんなんですか?」
明宏はゆっくりとした口調で単刀直入に訊ねた。もっとも、婉曲にきりだせる話題でもないが。
「土鬼蜘蛛とは人を喰らうバケモノじゃ。本来、決してまじわることのない異界から〈鬼導門〉をくぐりぬけてやってくる」
鬼導門とは文字通りの門ではない。異界とこの世界の間にできた空間の穴、空間のゆがみである。
日本各地に大小さまざまな空間のゆがみができているらしく、土鬼蜘蛛はそのほころびを嗅ぎつけてこの世界へやってくる。
もともと、鬼蜘蛛や土蜘蛛と云う名前はバケモノを指すものではなく、古代日本の一豪族を指すよび名であった。
西暦3~4世紀。西日本一帯に古代国家が誕生した。大和朝廷である。
鬼蜘蛛や土蜘蛛とよばれた豪族たちは大和朝廷の支配に抗いつづけ、戦の末に果てたと伝えられている。
鬼蜘蛛族・土蜘蛛族は朝廷の敵、すなわち悪の象徴と蔑まれ、貶められ、おそれられた。
そんなイメージだけが肥大し、邪悪なバケモノの姿が生み出されたと云うのが一般的な解釈である。
「儂ら退儺師の伝承によると、バケモノたちを召喚したのは鬼蜘蛛や土蜘蛛とよばれた豪族たちであったと云う」
「どうして、そんなことを?」
「大和朝廷との戦さに勝利するためじゃ。バケモノを兵器として利用するため召喚したのじゃよ。バケモノたちがこの世界へやってくる原因をつくった鬼蜘蛛族や土蜘蛛族のよび名が、そのままバケモノを指すよび名となったのじゃ」
あるいは、鬼蜘蛛族・土蜘蛛族によって召喚されたバケモノの姿から敷衍して、その豪族たちに鬼蜘蛛や土蜘蛛と云うよび名がついたのかもしれない。
明日香がもどってきた。大きなトレイにティーセットやケーキが載っている。
多恵婆の前に置かれたのは日本茶と羊かんであった。
明日香は多恵婆の手をとると、湯のみや羊かんを乗せた皿の位置を確認させた。多恵婆の指が羊かんにさした金属製の楊枝に触れる。
「ほう、ほう。ありがとうの」
千草たちの前におかれたのは紅茶と小さなレアチーズケーキだった。千草は舌打ちをしながら顔をゆらしている。明日香が席につくと、多恵婆が云った。
「ほう、ほう。まずは一口お食べ」
多恵婆が日本茶をすすり、羊かんを一口かじる。
「いっただきまーす」
千草は云うなり、レアチーズケーキをパクついた。
「んー、おいしいっ! ねえねえ、明宏クン。このケーキ、アスカのお手製なんだよっ!」
「え、そうなんですか? いただきます」
明宏の言葉に明日香がうなづいた。明宏もケーキを口にする。上品な甘さだった。普段、甘いものをあまり口にしない明宏でも思わず笑みがこぼれる。
「ホントだ。おいしい! アスカさん、お菓子づくり上手なんですね」
明宏の言葉に明日香が頬を染めた。
一気にのどかな雰囲気になってしまった。小春日和の縁がわで猫をヒザに乗せながらくつろいでいるような気分である。
正直、千草たちにとっての最重要案件は、明宏が〈人儺〉なるモノであるか否かであった。それ以外にも気になることはあるが、あとのことは追々調べていけばよいと思っている。
千草たちの気分にひっぱられながらも、明宏は気になることを口にした。
「千草さん。〈退儺師〉って?」
「あ、そっか。明宏クンにはちゃんと説明して、口どめしとかなくちゃなんないんだっけ。これから話すことはマジ秘密だかんね」
千草が重要さを微塵も感じさせない口調で云った。
「……退儺師って云うのは、陰陽省追儺局第三課所属の土鬼蜘蛛退治専門家のこと」
「陰陽省?」
意外な言葉に明宏が戸惑った。
「もっとも、陰陽省そのものがトップシークレットなので、陰陽省や退儺師のことを知っているのは天皇ほか数名しかいません。歴代総理大臣ですらその存在は知りません」
明日香のタイピングした言葉が人工音声によって流れる。
陰陽省の前身である陰陽寮は古より太陰太陽暦作成に従事してきた陰陽師の所属する機関である。しかし、退儺師は陰陽師ではない。
退儺師があやつるのは日本土着の魔法で鬼道と云う。
陰陽道はもともと大陸から輸入された仏教系の魔法なので、鬼道とは法体系が異なる。
わかりやすくたとえるなら日本語と英語みたいなものだ。〈コミュニケーション〉と云う目的は同じでも、発音・文法・表記がちがう。
もちろん長い年月をかけて相互間の法術研究もおこなわれている。
陰陽道をとり入れた鬼道、鬼道をとり入れた陰陽道もあるが、陰陽道は土鬼蜘蛛退治とは術の相性がよくないらしい。
鬼道はある意味、土鬼蜘蛛退治に特化した魔法なのだそうだ。
土鬼蜘蛛最大の特徴は〈結界〉である。〈結界〉を蜘蛛の巣になぞらえて、土鬼蜘蛛とよぶようになったと云う説すらある。