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第二章 退儺師(たいなし) 〈3〉

     4



「あら、どうしたの、それ?」


 穴森道場へ帰宅した明宏の顔を見るなり伊織(いおり)が訊ねた。左耳のガーゼである。


「学校でちょっとケガしちゃって。傷はぜんぜん問題ないんですけどワイシャツが血で汚れちゃって。……これって落ちますかね?」


 明宏が申しわけなさそうにスポーツバッグから(えり)の赤黒く染まったワイシャツをとりだした。


「なんもなんも」


 と、伊織が笑う。


 血染めのワイシャツを受けとった伊織が洗面所で洗面器に水を張る。ぬるま湯にしないのは血液中のタンパク質を凝固させないためだ。


 明宏はもうひとつあったことを思い出し、ポケットから明日香のハンカチをとりだした。


 明日香がケガをした明宏の耳に当ててくれたハンカチである。明宏の血で茶褐色(ちゃかっしょく)に汚れていた。


「あ、そうだ、これもお願いします」


 ハンカチを手にとった伊織が意味ありげにほほ笑んだ。


「ね、このハンカチのコ、カワイイ?」


「え!?」


 明宏は不意を突かれて狼狽した。脳裏に明日香の可憐(かれん)美貌(びぼう)がよぎり、思わず顔から火が出る。


「そっか、カワイイんだ? やるじゃん明宏クン。大丈夫。このハンカチも新品同様、気合い入れてキレイにしてあげるから、まかせといて」


「すいません。よろしくお願いします」


 明宏は頭を下げた。


「あ、それと明宏クン」


「はい?」


「ちゃんと、このコに新しいハンカチもプレゼントしてあげなくちゃだよ」


 指にはさんだハンカチをひらひらさせながら伊織が云った。


「もちろん、このハンカチもキレイにしておかえししなくちゃだけど、人の血で汚れたハンカチを使うのはイヤかもしれないでしょ? だから、このハンカチをおかえしする時に新しいハンカチも一緒にプレゼントしてあげないと」


「……伊織さんに云ってもらってよかった。気づきませんでした」


「あさってまでにはキレイにしてあげるから、カワイイハンカチ買ってくるのよ」


「あ、はい」


 明宏は答えながら困っていた。あくまでお礼と割りきっても、女の子(しかも可憐な美少女)へのプレゼントとなると無意識にかまえてしまう。女の子の好みや流行がわからない。


 一生懸命えらんだものを陰で「センス悪っ!」とバカにされるのも恥ずかしい。


 詩緒里に相談してみようかとも思ったが、それはそれで恥ずかしいし妙なヤキモチを妬かれてしまいそうだ。


「……ちょっと、学校の友だちのところへ行ってきます」


 洗面所でハンカチの染みぬきをしている伊織の背中へ声をかけた。


「あら。もう友だちできたんだ~。よかったわね~。いってらっしゃい。気をつけてね~」


「はい」


 明宏は私服へ着替えると道場をあとにした。



     5



 方相寺は街はずれの小高い丘に建っていた。穴森道場もよりのバス停から約5分。豊かな緑にかこまれた古刹(こさつ)である。


 寺の境内まで長い石段がひたすらつづいている。明宏は鎌倉や京都の古寺へ観光にきたような錯覚すらおぼえた。


(千草さんはこんなところへよびだして、だれと引き会わせるつもりなんだろう? 土鬼蜘蛛(つきぐも)とか云うバケモノとなにか関係があるのかな?)


 石段をのぼりおえると森の中に広い境内があった。


 奥の中央に本堂があり、そのうしろ両翼に僧坊がある。右側に講堂、左側には五重塔までそびえていた。その裏手から本堂裏の斜面にそって墓地が広がっている。


 厚く低くたれこめていた雲の切れ間にうっすらと茜色の空がのぞく。整然と掃き清められた境内のところどころに黄金色の光が降りそそぐ。


(とりあえず、どこへ行けばいいんだろう?)


 明宏が本堂へ歩を進めると、右手奥に見える僧坊の引き戸が開いた。中から出てきたのは千草と明日香である。どこからか気配をうかがっていたらしい。


 ふたりとも私服に着替えていた。千草は若草色のTシャツにカーキ色の七分丈パンツ。金色に輝く小さな筒状のアクセサリーを首に下げている。


 明日香は刺繍(ししゅう)のほどこされた白いスモックにロングスカート。それぞれよく似合っていてとてもかわいかった。


 足元こそお寺の下駄(げた)ではあったが、彼女たちの愛らしさを損ねるものではない。


「武光さん、お待ちしていたでありんす」


「……今度は花魁(おいらん)ごっこでもしてたの?」


「はにゃ?」


 明宏の言葉に千草が灰色の瞳をぱちくりさせた。


 彼女はずっと〈お嬢さま言葉〉で遊んでいたつもりなのだが、普段使い慣れない言葉を話しているうちに脱線した。


 千草の口調は丁寧(ていねい)語ではなく(くるわ)言葉になっていた。すなわち江戸時代の遊女の言葉である。


「おかしい? たは~、ま、いっか。わざわざきてくれて、ありがと」


 千草が普段の話し方へもどすと明日香がヤレヤレと嘆息した。あのあと〈念話〉でも、ずっとお嬢さま口調をつづけていたので、いいかげん辟易(へきえき)していたのだ。


「とにかく、会ってもらいたい人がいるからついてきて」


 千草は首にかけていた金色のアクセサリーを小さな唇でくわえると、(きびす)をかえしてひとりでずんずん出てきた僧坊へ向かって歩く。


(まるで目が見えているみたいだ)


 明日香が会釈で明宏をうながした。明宏と明日香が千草のあとへつづく。


 僧坊の引き戸わきに小さな表札が出ていた。〈霧壺〉とある。


「アスカさんのおウチなのか……」


 明宏は自身の口をついて出たつぶやきに少し場ちがいな緊張をした。今朝出逢ったばかりの可憐な美少女の家へ訪れていることを意識してしまったからだ。


 当然、明宏は明日香の部屋……ではなく、お寺の事務室へ通された。


 書類のたくさんつまったスチール製の棚がならび、ホワイトボードの月間表には法事などの予定がところせましと書きなぐられている。


 部屋の隅に積み上げられたダンボールには、お守りや「合格祈願」などとプリントされたキーホルダーが入っている。古刹に似つかわしくないほどふつうの事務室だった。


 唯一、古刹の雰囲気をただよわせているのが、部屋に造りつけられた黒輝たる仏壇と、そこへ納められた異形の面であった。


 額から突き出た1本の角。4つの瞳。古色を帯びてくすんだ金色が時代と風格を感じさせる。

(呪いのお面とかじゃないよな?)


 迷信深い性格ではない明宏ですら、少しばかり畏怖(いふ)をおぼえる。

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