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起きて、制服を着て、荷物をまとめる。
上機嫌だな、と思いながら部屋を出て、天気図を貰ってくる。
風はほぼ追い風。ワンシーターだから、誰かが菱垣の家まで彼女を送っていくのだろう。
地形も平坦だから、特に気を付けるべきことも無い。
前脚は出したままにするべきかもしれない。戦闘機だと風圧で壊れてしまうが、この程度の機体なら問題はない。
ついでに、何かあったときの着陸地点も確認しておいた。多分、どこにだって降りられるだろう。
離陸は2時間ほど後だ。
僕は先に行って、プリフライトチェックを済ませた。
機体の構造が単純な分、殆どすることがない。すでにエプロンに出されていた。
宿舎に戻ると、彼女が起きていた。まだ半分ほど寝ている彼女を連れて、食堂へ行く。しかし、二人ともほとんど食べない。スープを飲んだだけで、あとはコーヒーを飲んで片づけた。
彼女も、コーヒーとビスケットだけだった。大きいのか、割って食べている。彼女の小さな口を見た。
目を逸らして、窓の外を見る。滑走路側に大きな窓はない。かなり安全側の設計である。
元に戻ると、彼女がこちらを見ていた。どうやら、起きたようである。
「今日、ここ所属のフライング・コルベットで帰る。質問は?」
「編隊を組んでですか?」
「そう。こちらに合わせて」
「宙返りはしますか」
「しません」彼女は真面目な顔で答えて、吹き出した。「でも、ロールぐらいならいいでしょう。いや、そうね………多少の慣らしは必要かも」
「了解。…………あ、一つ思い出しました。増設キットについてです」
「増設キット?」
「尾翼と、フロートです」
「フロートは、簡単。でも尾翼は……」
「削れば着きそうな気がしますが」
「いえ、逆よ。水平対向エンジンのビームマウントを削って、防火壁を強化してそこにエンジンを付けてあるから、ちょっと難しい」
「分かりました」
「他は?」
「いつから機体が来ることを知っていましたか?」
「質問は一つだけだったわね」彼女は即座にそう返して、微笑んだ。
誤魔化されているような気がするが、仕方がない。
僕はため息をついた。彼女の空のコップと皿を自分のトレーに乗せて、立ち上がった。
「怒らせてしまったかな」
「いいえ、怒ってはいません」
「へえ、是非、気分を聞かせてほしい」
「絶好調です」僕は彼女を軽く睨んで、そのまま一度も振り返らずに返却口に進んだ。
勿論、怒っているわけでも不機嫌になったわけでもない。ちょっとした意思疎通のようなものである。それを口頭で言えないのが、つまり煩わしい社会性って奴だろう。
彼女と合流して、食堂から出る。彼女も僕も荷物というほどの荷物はない。彼女はフライング・コルベットの方へ歩いて行った。機体の前に立っていた男と会話しているのが見える。
僕は飛行前点検をざっとして、座席の後ろに荷物を置き、ゴム紐で固定する。操縦席に乗り込む。バッテリーを繋いでからマスター・スイッチを入れ、パーキングブレーキを踏んでからまた機体の外に出る。
車止めを外して、こちらは機体後部側面内側についているツールボックスに入れておいた。
フライング・コルベットの方を向くと、あちらもチェックを終えて、エンジンを始動するところだった。
こちらも始動。こっちの方がずっと早くチェックを終える。
向こうが動き出した。こっちの方が風上側なので、向こうが通り過ぎるのを待つ。
ブレーキを解除。左に軸をずらしてついていく。
フライング・コルベットが離陸。
左に旋回して、トラフィックパターンに入った。離陸許可が下りる。向こうは待ってくれているらしい。
親切な奴だ、と思いながら速度を落とさずに、加速しながら滑走路に入る。
少し脅かしてやろう。
スロットルを全開に。向こうは高度500フィートだ。向こうが並走する。高度差500フィート、横にもそれぐらいある。
ぎりぎりまで我慢して、少しだけ引き起こす。前脚を引き上げる。
ロックした音が聞こえた瞬間、右に捩じりながら引き起こす。世界が捻られながら動く。相手の前方上空を急旋回で横切る。
瞼ぎりぎりにフライング・コルベットが見える。
スロットルを落とし、引き続ける。
相手がこちらを追い抜く。
ラダーは踏まない。
加速。
水平へ。
相手の右後ろ50m程につけた。
『おい、危険飛行は───』
『機体はどう?』
「かなり良いです」相手のパイロットを無視して会話する。
『そう。ならぶつけない限り問題はないわ』
「了解」本当は問題だらけだろう。
機体を背面に入れる。+Gの運動に強い分、−Gの運動はあまり得意ではないようだ。
ピッチは早い。ロールも及第点。ただ、ヨーが弱い。
二重反転の特徴だが、機体の運動がニュートラルで、操縦桿を引けば機首がほぼまっすぐ上を向く。少し特異な部類に入る挙動だ。
川の上空から逸れ、目的地へ進む。
フライング・コルベットが高度を落とし始める。
僕もスロットル・レバーを引き、降下。
500フィートになったところで巡航に戻し、水平へ。向こうはやがてまた降下しはじめ、最終進入に入った。
ダウン側に一度緩い旋回をして、180度回ったところでスロットルを絞る。
降下旋回。
前脚を降ろす。
スロットルカット。
プッシャで、フラップがないからそこそこ早く進入。
水平に起こした時には、もうあと100フィートぐらいだった。
そのまま降下。ごくわずかにフレアを掛ける。
着陸。
減速。
ブレーキは掛けない。
そのままハンガーの前へ。
最後だけブレーキ。
キャノピーを跳ね上げ、マスター・スイッチを切る。バッテリーを外し、車止めと荷物をもって降りる。
車止めを挟んで、荷物を背負ってキャノピーを降ろした時には彼女が近くまで来ていた。
少し慌てて、ラッチに鍵をかける。
鍵をポケットに突っ込み、彼女の方を向く。彼女は今閉めたばかりのキャノピーに顔を近づけ、計器盤を見ている。
「どうだった?」
「良かったです」
「向こうはかんかんだったよ」
向こうのパイロットはそのまま帰るようだ。
エンジン音が再びなりだした。
「機体は後でハンガーに入れておいて。多分、明日朝に雨が降る」
「了解」
彼女と管理棟に入る。自室で荷物を降ろし、溜息を吐く。
敗戦国のパイロットが復員せずにここに住めているのは、彼女のおかげといえる。
僕としては不満もないし、満足している状態ともいえる。
ただ、戦争の時の夢を見るたびに、次戦うのはいつだろうか、と考える。
きっともう、空戦には参加できないだろう。
それどころか、戦闘機に乗れるかすらも怪しい。
それが、際限なく苦しい。
ああ、でも…………。
せめて、彼女のサポートだけでもしないといけない。
彼女の戦時中の記憶は大部分欠け落ちてしまっている。彼女のような才能をここに隔離しているのも、それが原因だろう。
服を脱いで、シャワーを浴びる。
鏡を見ると、一人の女が泣いていた。
全く、惨めな奴。
哀れな奴。
呆れてものも言えない。
「同情か?笑わせる」
僕の口から、溜息に交じって言葉が混じった。






