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おいてあった木箱に座って、整備録とマニュアルを開く。整備録は殆ど真っ白である。マニュアルは実験装置のものと、オリジナル機のものだった。
オリジナルのものから開く。機体名はAcro360-Sというようだった。特別なことは何も書かれていない。どちらかというと、大人しい方の機体のようだ。
三面図と機体を見比べる。エンジン部は面影がほとんど残っていなかった。元々レシプロエンジン機なので、二倍近い馬力のロータリーエンジンでも積めたようだ。
改造前はわからないが、改造の後は試験飛行が二回ほどされただけだった。フェリーも短距離で、工場が近くにあったのだろう。
注目したのはハンマー・ヘッドの注意書きだった。一定以下の速度だとラダーが全く効かなくなるらしい。
スピン脱出用パラシュートが取り付けられない。ちょっと不安だ。
後半のカタログ部に、尾翼増設キットというものがあった。
機体後部がかなり改造されているので、つけるのは無理かもしれない。一応、相談しておくべきだろう。
ハンガーの中にパーツが色々あったので漁ってみる。
どの機体のものかわからないものが多かったが、いくつかそれらしいものがあった。
機体下面につけるバスケットがあった。かなり大きい。座っている木箱ぐらいはある。ひと一人頑張れば入るかもしれない。
JATOがつけられるだろうか。想像して、吹き出す。戦闘機用のJATOが、胴体の太さの2分の1ぐらいである。多分、荷重に耐えきれずに分解するだろう。
実験装置の方に手を伸ばす。少し遠く、横にずれて取る。
オールフライングは安全係数3で設計されているようだ。同じようなものがなかったため、かなり前の戦闘機の尾翼構造を参考にしているらしい。
オールフライング式の操舵装置なら見たことがあるはずだが、開発陣は気づかなかったのだろうか。
ラダーはかなり大きなカウンターがついている。エルロンも分離式でカウンターがついている。オリジナルよりも大きくしている、とのことだ。
機体の運動の測定は4軸と斜め45度の軸を測定するらしい。
低圧タイヤのために、スパッツを変更してある。泥が入りそうで不安ではある。近づいてみてみると、後ろ側はかなり大きく削られていた。
見たいものは大体見たので、ゲストルームに向かう。
鍵を開けてもらう。入ると、菱垣は「鍵占めてね」と言って奥へ戻る。
石鹸のにおいがした。もうシャワーを浴びたようだ。
上着を置いて、ホルスターをチェストの上に置いた。
明日が楽しみだ。
なにせ、1tも無い機体に800馬力のエンジンである。垂直上昇もできるはずだ。
ソファに座って、イメージする。
目を瞑る。
でも浮かんできたのは鳳流のコックピットで、
やっぱり僕は、敵と戦っていた。
スピンに入れ、周りを見る。
遥か上空に隊長機。
エンジンをアイドル。
ラダーを当てて、脱出。
フル・スロットル。
咆哮。
上から突っ込んでくる一機を確認。残りはずっと下と、隊長機の周りの数機。
気づかないふりをして、上昇。
いくつもの黒い柱を潜る。
敵も降下を緩める。
フラップをじわじわと出し、戻す。
スロットルも絞っていく。
まだ我慢。
敵は速度を落としたことに気が付いていない。引き起こしてきた。速い。
近寄ってきたところで、操縦桿を思い切り引き、フラップを全開。
敵がつられて上を向く。
フル・スロットル。カナードが失速する。
機首が下がる。主翼も失速寸前だ。
敵が撃ってきた。高すぎる。
引き起こすのを我慢して、フラップを戻す。
斜め上に引き起こす。敵は早すぎてうまく回り込めていない。
敵が反転し、向かってきた。そのまま回り込めばよかったのに。
相手の速度が大分落ちている。
そのままバレル・ロール。
敵がオーバー・シュートして前に出る。
遠い。まだ撃てない。
追い上げていく。
機首はやや抑え気味。
下に回り込もうとしたら即座に撃てるようにする。
トリガに指を添える。
逃げられずに、相手が失速。
撃つ。
浅い。
操縦桿を引く。
ピッチをゼロにして、減速。敵の真上へ。
エンジンの回転数が上がる。
こちらも失速させて、背面のまま機首が下がる。
ピッチを定速に。
加速。
躰がシートに押さえつけられる。
敵の影が目の前に飛び込んでくる。
撃つ。
左にラダーを蹴って、離脱。
見ると、煙を吐いて墜ちていった。脱出なりなんなり、好きにすればいいだろう。
上を見る。隊長機はもうすでに最後の一機に迫り、撃ち落とそうとしていた。
フルスロットルのまま、上昇。
爆撃機の編隊が見える。
隊長機も上昇。後ろについた。
雲の上。
銀色に輝いているだろう。
整然と編隊を組んでいるだろう。
エンジンが共鳴して、唄っているだろう。
それが、私の敵。
雲を突き抜け、爆撃機の上に回り込む。
一斉に機銃が騒ぐ。
こちらを狙っている。
隊長機は六発爆撃機の左翼に迫っている。
同じ所へ。通り過ぎるころには、翼をもがれたそれは既に墜ち始めていた。
「篠滝、残弾は?」隊長の声。
「500」
「帰投する」
おそらく、基地までに少し戦うということだろう。
見つからないように、敵の編隊とぶつからないようにコースをとる。
敵は爆撃機とその護衛だから、高く飛ぶはず。
低空まで降下して、編隊を小さく組みなおす。
いきなり、隊長機がブレイクする。
驚き、操縦桿を思い切り引く。フルスロットル。
軋む音がきこえ、後ろには
「…………き、篠滝」
彼女の声。僕は目を開ける。
「はい…………」
「どうしたの?」
「いえ、特に」
「嘘。泣いているわ」
僕は頬を触った。確かに、何かに濡れている。
「早くシャワーを浴びて、寝なさい。私も寝るから」
「はい」
僕はそれに従った。
シャワーを浴びて、身体を拭いて歯を磨く。
そのままベッドにもぐりこんで、目を閉じた。