『私』の願い
幼い日、ある本と出会いました。
私はすぐにその本の魅力にとりつかれ、何度も何度も読み返しました。
とても大好きな本でした。
ある時、ふと気付きました。幼い私が気づかずにみのがしていた事。ハッピーエンドの終幕で一人だけそこにいない人。
どうして気づかなかったのでしょうか。私はその時、今までと違う涙を流しました。
私は主人公の少女も少女の周りの優しい人達もその世界もみんな大好きでした。
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生後数週間であたしは捨てられた。
王国の中心から少し離れた町の小さな孤児院の前に捨てられた。
赤ん坊だったあたしはマウと名づけられ、同じ日に孤児院に来た、六歳上のギルシアと本当の兄妹の様に育った。
孤児院の子は家族の様に育つけどあたし達は特別その絆が強かった。
一歳半の頃、庭で大好きなギルお兄ちゃんと遊んでいた時だった。
ふと、頭にいろんな映像が流れこんできた。それは見覚えのある懐かしい記憶達。
それが前世のものだと認識するのにさほど時間は掛からなかった。
流れこんできたのはほんの少しで、でもあたしは倒れてしまった。
目を覚ますと、心配そうなみんなの顔があたしを覗きこんでいた。
一歳半でも前世の記憶が戻ったからか、少しだけ今までより年齢が上がった気がした。
でもやっぱり年齢が変わったなんて事はなく、大丈夫と言おうとして一歳半のあたしでは上手く喋れなかった。
倒れたせいでその後、数日外に出してもらえなかった。けど、お兄ちゃん達も一緒に部屋で遊んでくれたから別に平気だった。
前世の記憶の方は本当に少しで、困惑するほどでもなかった。
ああ、こんな感じだったというくらいで、すんなりとあたしに馴染んでしまった。
前世の『私』は、菊崎梨代という普通の人だった。最初に戻った記憶でわかったのはそれくらい。
前世の記憶がほんの少し戻ったくらいじゃ何も変わらなかった。
それにこの事は内緒にしていた。だって、前世の記憶を持ってる人なんて聞いた事がなかったから。
そしてその日を境に、あたしは前世の記憶を少しずつ思い出していった。
そのせいで何度か倒れてしまった。倒れなくてもふらりと立ちくらみを起こす事もあった。
おかげであたしは体が弱いという勘違いを起こされた。ほんとは違うのに…。
前世の『私』はやっぱり普通の人で、普通だけどそれなりに幸せに生きた。
ちゃんと寿命をまっとうして、家族に見守られて死ねたらしい。
その事を思い出した時は少し安心した。
けどね、大事な事も思い出したの。
この世界が『私』が大好きだった本の世界だと。
『私』には、とても大好きで何度も何度も読み返した本があった。
暖かくて、優しい物語。
それがこの世界。
そして、あたしが兄と呼び慕う人は物語の主要キャラ。
あたしは存在している事は分かるけど、物語に直接出る事はない。それなのに、あたしの存在は重要なのだ。
この物語はハッピーエンドで終わる。みんな幸せそうに笑ってた。彼を除いて。
たぶん、彼は…。
「マウ」
心配そうにあたしの名を呼んで、顔を覗き込まれた。
「なに、おにいちゃん」
「いや、マウがボーとしてたから。…何かあったんなら言えよ」
なにもないよ、と笑う。
ほんとに優しくて心配性な人、でもちょっと不器用さん。あたしはこの人が本当に大好きだ。
もうすぐ四歳になるあたしと、今年で十歳のお兄ちゃん。昔から何も変わらない。
いつでもお兄ちゃんはあたしをほんとの妹の様に、接して甘やかしてくる。
「あ、いたいた」
ガチャンと音がして扉を開けて入ってきたのは、この施設の院長先生の娘、アンル先生。
この施設には、院長先生のマルア先生とアンル先生、アンル先生の旦那さんのシュルジ先生がいる。
「二人におつかいを頼みたいの。ギルくんどうかしら?」
あたしは別にかまわないけど、お兄ちゃんがおつかいはまだ早いって許可してくれない。
だから、毎回こんな風にお兄ちゃんに先生も聞くの。お兄ちゃんて意外に頑固だからね。
「……行きます。マウも一緒に」
「あら、いいの」
「はい」
驚いた。許してくれるなんて。今日のお兄ちゃんはどうかしたのだろうか。
買ってくる物を聞き、お金をもって二人外に出る。もちろん手は繋いで。
「………ねぇ、おにいちゃん。どうして、マウまでいいの?」
やっぱり気になちゃうからね。
「マウはもうすぐ四歳だろ。そろそろ、こうゆう事もしておいてもいいかと思ったんだ」
それはあたしが成長したからて事かな。なんか嬉しいな。
繋いだ手をギュッと握りしめる。あたしの力なんて弱いから痛くはないだろう。顔は満面の笑みが浮かぶ。
お兄ちゃんは空いているもう片方の手であたしの頭を 撫でる。あたしはこれが好き。
でも、お兄ちゃんの髪の方が黒くてきれいでサラサラで撫でるのが気持ちよくて、好きだ。
単純なのかもしれないけどでも、嬉しく感じるからこんな時間が長く長く永遠に続けと思ってしまう。
無理とわかっていても、願ってしまうんだ。
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春の木漏れ日は優しくて。きれいな花の回りには同じようにきれいな蝶が飛び回る。
穏やかで微笑みが溢れそうな季節。
どの季節も好きだけど、春は心が落ち着く季節だ。
でもね、今年は穏やかにはいられない。だって……
「マウ……こめん。迎えに来るから」
「…うん。大丈夫」
今年の春、ギル兄さんは施設を出る。
兄さんは十二になった。十二になると申し出れば訓練を受け、ある程度の力があればそのまま兵士か騎士になれる。
兄さんもそれに行くのだ。
兵士か騎士になれればそれなりのお給金が貰えって色んな保証も付くから、孤児の男の子にありがちな事だ。
『私』の記憶からすると兄さんは力が認められ、騎士見習いとなり後に騎士の中でもトップを行く。
それなりの安定を手に入れ、あたしを迎えに来ようとした矢先、物語は始まりあたしはそのまま孤児院にいる事になる。
物語の中のマウは、その事を知らない。でも、兄さんは落ち着いた後またあたし迎えに来ようとしていた。
兄さんとあたしがその後どうなったかは知らない。
知っているからこそ悲しい。だってこれから長い間、兄さんに会えない。下手したら迎えにだって来てくれないかもしれない。
ポンと頭に手を置いて、目線をチビのあたしにあわせ言う。
「マウ……俺はおまえに嘘をつかない。迎えに来る、絶対に。だから泣くな」
「な、いてないもん」
多分、これはただの強がり。信じてるけど怖い。もしほんとに迎えに来てくれなかったらて、考えてしまって。
「俺はマウの笑った顔が好きだ」
ずるいな、ギル兄さんは。
そんな風に優しく笑うんだから。
だからね、少しだけ甘えてもいいかな。
「ぜたいだからね。うそついたら、ギル兄さんのこときらいになるからね」
「ああ、かならずだ」
泣きついたあたしを抱き締め、ポンポンと背中を叩いてくれた。ほんと優しいな。
あたしが落ち着くのを待ってから離れ、頭を撫でてくれた。
「院長先生、マウは俺が迎えに来ます。だから」
「わかっているわよ。それまで、マウは預かっているからちゃんと頑張るのよ。ギル、無理だけはしないのよ」
施設の子達とも言葉を交わし、最後にまたあたしの頭を撫でると、ギル兄さんは去っていった。
遠ざかる背中。それが見えなくなるまであたしはずっと見ていた。
物語の始まりにはまだ遠い。ここはプロローグにもならない。
七年後。それが始まりの年。
物語は、ギル兄さんが十九になる年に始まる。
この世界には魔物が蔓延っていた。その魔物を封じたのはとても遠い昔。
その時から世界には千年の平穏が約束された。
そう、何もしないのであれば封印は“千年”しか持たないのだ。
だから、千年の時が経つ度に封印は更新される。
封印を任される事は、いわば世界の運命を握っているに等しい。
封印を為したとされる“巫女姫”、“巫女姫”を守る二人の“騎士”、“巫女姫”に力を貸したとされる“魔女”。
この四人は“封印の守人”と呼ばれる。
物語の主人公はその巫女姫。
ギル兄さんは巫女姫を守る騎士の一人。
“封印の守人”は毎回神殿で占われ、選ばれる。時には占いで一つの役目に、数人の候補が出る時もある。その時には、その候補者を全員集めてもう一度占われる。
選ばれた四人は神殿で一年、封印について学び、力を高めなくてはならない。
これは今までの封印で命を落とす物がいたから、それを防ぐために為された決まり。
この一年の間に兄さんと巫女姫はお互いに引かれあう。
一年が経った後、封印の場所でそれぞれに与えられた役目を果たす。
“巫女姫”は封印の役目を。
“騎士”の一人は封印の蓋である剣を再び地に刺す役目を。
“騎士”の一人は封印の地から漏れ出た魔物からの守りという役目を。
“魔女”は“巫女姫”に魔力を貸しあたえるという役目を。
今代の“封印の守人”は無事に封印を為し遂げ、ギル兄さんと巫女姫は祝福されながら結ばれる。
これで物語はハッピーエンドで終わる。
けれどそのハッピーエンドに彼はいなかったのだ。
魔物から封印を“巫女姫”を、守った騎士。
彼はハッピーエンドの中にいなかった。みんなが笑っている中にいなかった。
彼はきっと命を落としてしまったのだろう。
あたしは彼を救いたい。それはたぶん『私』の願い。
けれどそれでも、あたしは彼を救おう。
ほんとに幸せなハッピーエンドにするために。
だってそれが、『私』が望んでいたことだから。
今回は、ほのぼの系の物語です。
更新は週一で、『泉君、貴方は観察対象です。』と平行して書くので亀更新です。
誤字脱字などがありましたら、気軽にご指摘ください。
読んでくださった方々、ありがとうございました。